チーターとガゼルの話

チーターは地上最速の短距離ランナーとしての名声を不動のものとしているが、その獲物であるガゼルも又短距離ランナーとしては動物界屈指のスピードの持ち主である。 もちろんこのことは偶然ではなく、自然淘汰によって両者の足が遅い固体が淘汰されていったために生まれたバランスであると考えられる。

エリート集団の中でも更に足が速いチーターは、他のチーターよりも多くの獲物にありつき、より多くの子孫を残すことができる。 そして群れの中で他のガゼルよりも足が遅いガゼルは優先的にチーターの餌食となって子孫を残すことができなくなる。 かくしてこの軍拡競争はどちらかがなんらかの物理的な制約に達するまで、両者の足の速さを増していく方向に進み続けることとなる。


しかしながら、ある種の人間的価値観から考えるとこの軍拡競争はどちらの利益にもなっていないように見える。結果としては互いに相手を補強してエスカレーションしていくだけであり、しかも足を速くするためには身体的リソースを集中しなければならない。チーターは最速のランナーたるために華奢な体格となっており、せっかく捕まえた獲物をハイエナなど他の肉食獣に奪われることや、さらには子供を他の肉食獣に襲われることも多いらしい。


もしチーターが

「足の速いやつだけが獲物を独り占めするのは不公平だ。それにそいつらが子ガゼルやまだ繁殖能力のある若いガゼルまで狩っちまうからガゼルの数も増えない。 これから狩るのは繁殖を終えた年寄りガゼルだけにすべきだ!」

みたいなことを言い出し、何らかの合意によってこれが守られたらどうなるだろう?


ガゼルには足の遅い固体を淘汰する圧力は働かなくなる。もちろん繁殖を終えた年寄の中でみれば足の遅い固体から狩られていくことになるだろうが、これらの固体は既に繁殖を終えているわけであるから、どの順番で狩られようと次世代に影響しない。

ガゼルの個体数は増えるだろう。繁殖を終えるまでチーターに狩られることがないわけであるし、足の速さという淘汰圧がなくなれば、足を速くすることに廻していたリソースを他に振り分けることも可能となる。足は遅いが繁殖能力の高い固体が子孫を増やす確率も高まる(注1)。


ガゼルが増えれば、チーターも個体数を増やすことができる。加えて、チーターの方も足を速くすることにこれまで程リソースを集中せずにすむようになる。 その結果、孔雀のような性淘汰に重点がおかれるのか、或いは他の淘汰圧に対応するようになるかは状況次第だろうが、これはチーターの「厚生」にリソースを廻すことができるようになると見ることも可能だろう。


本来、自然淘汰に価値判断は存在しない。しかし、ある種の価値基準から見れば、このチーターとガゼルの世界はより望ましいもである。チーターもガゼルも単純な「生き残り」以外の部分にリソースを廻せるようになるし、繁栄の基準の一つでもある固体数も増やすことが出来るのだから、


ところがある日、、、、


(参照) 「進化の存在証明」 リチャード・ドーキンス
(注1) もちろん食糧供給の制約や他の肉食獣の存在はとりあえず無視するとして、という条件付であるが。