アベノミクスに備えるにはどうすればよいか

アベノミクスと称して行われている「大規模な実験(浜田内閣参与)」は、筆者の理解では通貨価値の毀損によって経済を立て直すという実験であり、その実験の大きな柱は二つ、一つは労働者の賃金をドル建てで減らすことで企業の収益を上昇させるということ、そしてもう一つは国民の持つ安全資産(預貯金・国債等)の実質価値を毀損することで政府のもつ債務の負担を減らすということにある。

前者については円安で潤う輸出企業の収益が上がれば雇用も増えるだろうし投資も増やすだろう、そうすると内需企業にもその恩恵が行きわたるだろうし最終的には国民全員が幸せになれるだろうという経団連が好きそうなトリクルダウン的なストーリーも用意されているが、それは仮に実現するにしても先々のことだろう。


つまり個人単位で見れば当面は実質賃金の下落圧力と保有する安全資産(特に預貯金)の毀損圧力にさらされるという事であり、個人レベルでは当然なんらかの備えをしたくなる状況である。 しかしながらどのような「備え」が可能かと考えると、これはかなり難しい話と考えざる得ない。


まず「賃金」について言えば今から打てる有効な対策など殆ど無いに等しいだろう。 詳しくは「アベノミクスで実質賃金は上がるのか?下がるのか?」で書いたが、アベノミクスが進めば勝ち組企業の社員は実質賃金が上がる可能性があるが、その他の企業(負け組企業)では実質賃金は下がる可能性が高い。 しかしながら「勝ち組企業に勤めれば安泰だ」みたいな話は誰でもそう思うだろうし、だからこそこういう企業に入るのは難しいわけで、今からどうこうできる余地は極めて限られている。(敢えて言えば労組を強化するというのは選択肢にはなりうるが、、)


よって「アベノミクスに備える」というのは今持っている「蓄え」をいかに守るか(或いは増やすか)に掛かってくる。 


いきなり横道にそれるが、人々が資産をため込んで使わないのが経済の停滞の原因であり、例えば

藤野 ;デフレの何が悪なのかというと、何もしない人たちが潤うということに尽きます。これに対して安倍首相が目指すのは、チャレンジする人にとって良い社会を築くことです。その意味でも、成功してもらいたいですね。
http://toyokeizai.net/articles/-/13250

というような主張は最近よく聞かれるものであるが、現象論としては間違ってはいないものの、いささか偏った見方ではないだろうか? 

「日本の高度経済成長はその高い貯蓄率によって支えられた」というのは定説であるが、要は社会資本が不足し、かつ市場にも旺盛な資金需要が存在している時には国債は国を通して公共投資に、預貯金は銀行を通じて企業の投資になり高度成長を促したわけである。 しかし現在では国民の預貯金だけでなく日銀の膨大な資金を金融機関に押し込んでも肝心の投資需要が無い為そこからなかなか市場へは出ていかない。 ここに至って預貯金は経済成長にマイナス、という話になり、企業が投資をしやすいように国民は貯金なんかしないで消費するなり株を買うなりしろ!という流れになったわけである。 しかしながら、そもそも国民が貯蓄をしていたのはマクロ的な経済成長の為というより自らの生活設計の為で、つまりそれらは住宅購入資金や老後資金であり、それを消費に回してしまえば生活設計が狂うし、老後資金をリスク資産で回すような生活設計は多くの人の好むところではないだろう。 

「何もしない人」、つまり長期の生活設計の為にこつこつ預貯金を貯めている人に、「安全資産からはがっつりインフレ税をとりますよ」と言ってむりやりリスクをとるように仕向けることを、「チャレンジする人にとって良い社会を築く」というのは投資を推奨する人々ならではの少々美しすぎる言い回しのように筆者には感じられる。

(ただ、一方で筆者も以前のエントリー(参照)で書いた通り、莫大に積みあがった国債残高についての最終解決はおそらくインフレでしか達成されないと考えている。 筆者としてはまず財政再建を地道に達成し、その上で徐々にインフレによって国債残高の目減らしを行っていくというプロセスが望ましいと考えているが、この手法による調整では、時間もかかるし景気停滞下の増税や緊縮財政が避けられない事からなかなか支持が得にくい手法ではあるだろう。)


で、話を戻して、このインフレ税のターンに国民は如何に対応できるかと言えば、これも又かなり難しい話になる。


こういった場合の昔から定番は「金」であるが、そんなのはみんな知っている話であり、とっくの昔に価格が高騰している。 もちろん今後も更に上昇していく可能性もあるが、現状の水準が度重なるFRBの量的緩和によって高騰したものと考えるなら、FRBが引き締めに転じた時点で大きく反落する可能性もあり、リスクが低いとは言い難い。

同様のことは株価にも言える。 こちらも既にアベノミクス期待を織り込んだ水準にまで上昇しているとすれば、今後はむしろ失望売りによる反落もありうる。 黒田日銀は初っ端から「やれることは全てやった」らしいのでそれが本当なら第2弾、第3弾は期待できないかもしれない点も留意すべきだろうが、実際には効き目が期待はずれなら「おかわり」はありうるだろう。 一方で、思ったより効果が大きく更に株価が上昇する可能性や、それに加えて市場に滞留した膨大な資金が一気に流れ込んで完全にバブル化する可能性もある為、そういった投機的な意味も含めて有力な、ただしハイリスク・ハイリターンな、オプションと考えることは可能だろう。

評価が難しいのは外債や外貨預金等の円安に賭ける資産運営だろう。 しかしながらこれも以前に別の文脈で書いたことがあるが、レジームチェンジが引き起こすことができる円安はおそらく過去の円高のような徐々に進むものではなく一気に水準が変化するものになると筆者は考えている。 金利平価的に考えても長期のトレンドとして円安トレンド(経時的に円安になっていくトレンド)が維持できるとも思えないし、輸出企業が大きく儲けることができる水準から更に円安がどんどん進むというような事態はやはり考えにくい。そして既に最高値から25%程下落した現状の円安水準はそれを全て織り込んでいる可能性もある。 

但し、これももちろん逆の要素もあり、FRBが引き締めにまわったりヨーロッパ情勢が改善したりすれば短期的に円安圧力が増加するだろうし、かつての円キャリートレードのような動きが拡大すれば短中期的に更に円安に振れる可能性もある(もちろん既に織り込まれている可能性もある)。 いずれにしても神経質な展開が予測されることになるのは間違いない。ソロスが警告したような資金逃避による雪崩的な円安(参照)ついても懸念されるが、これはある意味銀行取付けと同じで、「銀行の取り付け騒ぎを引き起こすのは合理的ではないが、いったん始まってしまったら参加するのが合理的だ(キング英中銀総裁)」という類のものであり、今すぐそれに備えて資金を逃避させるのが合理的かどうかは微妙である。 もちろん余裕があるならそういった事態にも備えて一部逃避させておくのもありだが、損をする確率もかなりあることは意識すべきだろう。


結局、アベノミクスが既に市場に織り込まれ、レジームチェンジしてしまった(かもしれない)状況から、「蓄え」を比較的安全に守る方法は少なく、ハイリスク・ハイリターンか、ローリスク・ローリターンかの差はあれ、既にどのオプションも(リスクプレミアムも含めて考えれば)インフレ税を織り込んだ期待値になってしまっているということである。 インフレ税は一般的な国民が簡単に逃れられるものではなく、もしそうならそもそも機能しないということであろう。


まあより大きな目でみればアベノミクスがあってもなくても、国民は潜在的には「一人当たり722万円の借金」を背負っていた訳で、これが顕在化する時が来ただけとも言える。 そういった意味では大人しく潜在的な「借金」を返すつもりで安全資産を持ち続けるのか、或いはリスクをとってこれを回避して資産を守る、或いは増やそうとするかは、各人の嗜好、判断に委ねられることになるという現実的にはさっぱり役に立たない結論になるわけであるが、敢えて言えばインフレ税を徴収されることを前提に生活設計を見直すということが「アベノミクスに備える」の第一歩という事になるだろう。


最後にもっと身も蓋もない話になるが、貯金も殆どない、所得もいわゆるワーキングプアレベルの人(或いは失業者、生活保護受給者等も)についても述べておくと、彼らの生活は短期的には多少苦しくなるかもしれないがそれほどクリティカルな影響はないと筆者は考えている。 若干乱暴な言い方になるが、こういった人々の生活水準は「賃金の鉄則」で示唆されているように一国における慣習的な許容度によって決まっており、バブルや恐慌のような特殊な状態を除けば景気にそれほど大きく左右されるものではない。 


「賃金の鉄則」について以前のエントリー(「ブラック企業と「賃金の鉄則」」)から引用して少し紹介しておくと

「賃金の鉄則」

ラサールが定式化した賃金理論。平均賃金は、労働者の生命の維持と子孫の繁殖とのために一国において慣習的に必要とされる最低生存費に局限される。したがって、資本主義制度のもとでは労働者は相対的に窮乏化する傾向があるという説。賃金生存費説。

http://kotobank.jp/word/%E8%B3%83%E9%87%91%E9%89%84%E5%89%87

というものであり、あまり労働者にとって楽しい鉄則ではない。 このうち「子孫の繁殖」については既に微妙かもしれないが、ともかく低所得層、失業者、生活保護受給者の生活水準は、政府(或いは世論?)の信じるところの最低生存費に左右されるという事になる。(逆から見れば少なくともその水準は働いていようがいまいが国から最低賃金、失業保険、生活保護等により保証されているとも言える)。


尚、この鉄則を現実に照らして見れば

しかし、歴史上この「鉄則(という名の予測)」は「鉄則」というほどには実現してこなかった。 その理由についてはリカードが以下のように考察している。

デヴィッド・リカードが気づいたように、新しい投資、技術、またはある他の要素が人口より速く増加する労働需要を引き起こしさえすれば、この予測は実現しないだろう。この場合、実質賃金と人口の双方ともが時間に伴い増加する。人口推移(国の工業化に伴う高い出生死亡率から低い出生死亡率への推移)は、賃金を最低生活賃金よりもはるかに高いものへ誘導し、発展した世界の大部分でこの原動力を変化させた。まだ急速に拡大する人口を持っている国でさえ、技能労働者の必要性が、他のものよりはるかに速く上昇する賃金を引き起こしている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%83%E9%87%91%E3%81%AE%E9%89%84%E5%89%87

となってきており、歴史的には必ずしも多くの労働者の賃金が「最低生存費」に一方向的に近づいてきた訳ではなかった。 しかしながらリカードが気づいた「賃金の鉄則が実現しない条件」は既に先進国では成り立たなくなりかけており、「賃金の鉄則」が(一部の人々を除いて)実現する条件がそろいつつあるように見える。 そして今回のアベノミクスはこの時計の針をより早く回すもの、つまり一部の勝ち組を除く多くの人々の実質的な生活水準をよりこの「最低生存費」に近づけるもの、或いは「所得の二極分化」を促すものではないか、というのが筆者の懸念である。 


結論部分も同エントリーから引用すると

では資本主義制度のもとでは(一部の優秀な人々を除く)労働者は相対的に窮乏化することを受け入れなければいけないのだろうか? 


その答はイエスなのかもしれないが、たとえイエスであったとしてもブラック企業やワーキングプアの存在が不可避であるかどうかは別問題、というのが筆者の理解である。 


リカードは「賃金の鉄則」に関し、「労働の市場価格が最低生活または自然賃金を長期にわたって超えることができると信じていただけではなく、自然賃金は物理的に労働者を維持するのに必要なものなのではなく、「習慣と慣習」によるのだ」と主張している。 つまり「相対的に窮乏化」するとしても、その均衡する水準は必ずしも物理的に生きていけるギリギリである必然性は無く、文字通り「健康で文化的な最低限度の生活」が確保される賃金水準が「習慣と慣習」による最低生活賃金であっても良いわけである。その手段としては国民の意識の改革も必要なのだろうが、より直接的な手段としては政府による再分配の強化が考えられる。 政府の介入は経済成長にとってはマイナスになる可能性はあるが、これが資本主義制度が内包する問題であるなら何らかの介入無しに自然に解決される可能性は低いだろう。

もちろんそれでも「相対的な窮乏化」は進むのかもしれないが、高額所得者には程遠くても普通に定時で働いてそこそこの生活ができるだけの賃金をもらってそれなりに幸せな人生をおくるという選択肢は多くの人にとってそれなりに価値があるもののはずであるし、そういう選択肢がない先進国というのは生きづらい社会になってしまうのではないだろうか。

ということになる。 残念ながらアベノミクスは再分配の強化に熱心とは到底見えない。 多くの人にとって生きづらい社会が待っていることにならなければいいのだが、、


関連過去エントリー:「ブラック企業と「賃金の鉄則」」(2012/06/13)
http://d.hatena.ne.jp/abz2010/20120613/1339583071