日本のデフレ「不況」とは何だったのか?

先日のエントリー(「なぜ日本だけがデフレになったかを少し考察してみる」)では何故日本だけがデフレになったかについて考察してみたが、今回は日本のデフレ「不況」とはなんだったのかについて考察してみたい。


この二つを分けてエントリーにしていることからもわかるように筆者は「デフレ」=「不況」とは考えていない。 というか、そもそも1995年からずーーっとデフレだった、みたいな話に乗っかるならそのうちの過半の期間は景気拡張期だったわけだし、実際にインフレ率がマイナスとなった1999年から2005年までを見ても景気後退期だったのは2001年位である。 


世の中には「デフレ」=「デフレスパイラル」と考えている向きも多いようだが、デフレスパイラルは

物価下落と利益減少が繰り返される深刻な状況。デフレによる物価の下落で企業収益が悪化、人員や賃金が削減され、それに伴って失業の増加、需要の減衰が起こり、さらにデフレが進むという連鎖的な悪循環のこと。<デジタル大辞泉>

であって、本当に「デフレスパイラル」であったならその最中に景気が回復したり、失業が減少したりするようなものではないはずである(それならそもそもスパイラル化していないことになる)。 つまり1999年以降で景気拡張期に日本が経験したデフレは上記のようなスパイラル的な原因以外で、景気や失業率の回復と両立し、かつ長期に渡って継続する原因を考えなければならないことになる。


それに対する筆者のカンタンな答が前回のエントリーでの考察だったわけだが、それについては既に長々と書いたので、今回は少し視点を変えて、なぜ景気回復期のデフレが多くの人に「デフレ不況」と見なされたのか、そのデフレ不況「感」がどこから来たのか、について少し考察してみたい。


この問いに対する一義的な答はおそらく実質賃金が上昇しなかったことにある。 いくら政府が景気循環における景気拡張期にあたると主張しても実質賃金が増えなければ実感はわかない。 以下は2002年以降の景気拡張期の実質企業収益と実質雇用者所得を過去の景気拡張局面(いざなぎ景気(1965年10月〜1970年7月)、平成景気(1986年11月〜1991年2月))と比較した図(通商白書2008)であるが、実質企業収益はそれなりに伸びているのに、実質雇用者所得は全くと言っていいほど伸びていない。 これでは過去の好況期を知っている人にとっては全く「好況」と感じられなかったのも無理はないだろう。



いきなり少し話が逸れるがこういったデータを持って企業が労働分配率を引き下げたことがデフレの原因となった、という主張も最近よく聞くが、筆者は不況「感」の原因ではあってもデフレの原因とまで言えるかどうかは微妙だと考えている。


確かに実際に労働分配率の推移を見てみると、デフレ期に相当する期間は労働分配率が下がっている期間が多いが、基本的に景気後退期に上昇し、景気拡張期に下落するというパターンが崩れている訳ではないし、例えば1986年頃は相対的に労働分配率が高まる傾向のある不況期(プラザ合意後の円高不況期)であったにも関わらず労働分配率は62%程度(全産業)であり、バブル崩壊を機に一気に急伸し、高水準での景気拡張・後退を経て2001年のピーク後に徐々に下がり、ようやく2006年頃に63%まで戻したというのが大まかな推移なわけで、下がったと言ってもバブル崩壊前の水準(約57%)と比較するとまだ戻しきってすらいないとも言える。 又、日本総研リサーチアイの「先進国における労働分配率の動向」で纏められている他国との比較を見ると、ドイツや米国も同じ時期に同じような勢いで労働分配率を下げており、水準的にもそれほど違うわけでもない。


もちろん一つの視点に立てば、景気拡張期に期待されがちな「企業収益回復→失業率低下→賃金上昇→景況感改善(期待インフレ率上昇)→投資増→(最初に戻る)」というスパイラルが賃金上昇の所で断ち切られた事が景気拡張期であるにも関わらず賃金も殆ど上昇せず物価もデフレのままだった理由だ、という理解は正しいかもしれないが、賃金上昇がインフレスパイラルをまわしていくような現象は他の先進国でもきわめて弱まっており、それが日本だけがデフレになった原因と言えるかは微妙ではないだろうか。

例えば実質賃金に対する見込みは同じであっても、インフレ率がプラスの国では名目で賃金が上昇すると予想するだろうから期待インフレ率はプラスになり、インフレ率がゼロの国では名目賃金は上昇しないと予想するから期待インフレ率は上昇しない、という話だと、「人々がインフレ率がプラスだと予想するから期待インフレ率はプラスになる」という話となにが違うのか?という話になってしまう。 経済が日本より更にひどく、賃金どころか失業率が右肩上がりの国でもインフレ率が高ければ雇用者の賃金は上昇すると見込まれるだろうからこれだけを理由にするのは弱い気がするわけである。 



ただ、一方でこういった実質賃金の停滞と労働分配率の低下がどのように起こったかを考えれば、この時期、景気拡張期であっても「不況」だと感じられていた理由は理解できる。


この時期、円高によって製造業の一部は国際競争力を失って労働需要が減少した。 更に1997年頃にはそれまでGDPでそれなりの割合を占めていた建築業界の就労者数も減少に転じた。2009年までで見ても製造業はピーク時から約420万人、建設業は約160万人も労働者を減らしている(下図参照)。 

こういった業界からあぶれた労働力は、残る選択肢である第三次産業(サービス産業)へと移行したわけであるが、解雇規制が厳しい日本では首切りは容易ではなく、多くの企業はある種の「負債」として労働者を抱え続けなければならず、この人員余剰が解消されるまで経営の大きな重しとなりつづけた。 又、労働力の受け皿になったサービス産業も競争が激しくなったこと等により収益性が低下した。 


(尚、産業別就業者数のデータは2002年以降分類が変わっており飲食店関連が組み換えになった事により下図では2003年が不連続となっている)


又少し話が逸れるが、解雇規制の存在がこういった「調整」が速やかに行われることを阻害したのは事実であろう。 足元の生産に必要ない労働力をすぐに解雇できるのであれば企業は需要が減った分だけ労働者を減らして対応でき、比較的速やかに業績の立て直しが可能になるし、こうした企業から吐き出された余剰労働力は低コスト高クオリティの人材として成長産業に移動し、結果として経済の新陳代謝を促すことになる"かもしれない"。 逆に日本のように一旦正社員として雇った労働者は簡単には解雇できないという事になると、企業からみれば労働者を雇う事は単年で見た時のコストの増加にとどまらず、長期での固定コストの増加を意味し、「負債」としての一面を持つようになり、結果として解雇規制はこうした経済構造の転換期には正社員という「負債」によるデットデフレーション的な効果を経済にもたらすことになる。 (もちろん、一方で欧米では普通に見られる景気後退時の失業率の急増が避けられるという意味では解雇規制はプラスに働いており、資本・企業側から見ると今となってはマイナスでしかなくても労働者にとってはプラス面も大きいとも言える。)

結局かなり時間がかかったものの2000年前半頃にはこういった「調整」もひと段落し、同時期に進んだ米国のバブル景気にも後押しされ製造業も大いに潤った。 しかし、やっと身軽になった製造業は正社員をそれほど増やさずに派遣等の非正規雇用を増やすという選択をした(尚、上掲の労働分配率の推移で製造業が特に急な減少をみせているのは派遣を増やしたことと関係があると思われる(参照))。 結果として失業率は回復してもその質は以前のものとは異なっており、「失業率低下→賃金上昇」という安直なリンクはなかなか機能しないことになったわけである。


これらをやや乱暴にまとめると、発展途上国型の経済から先進国型の経済への移行と人口増加型の経済から人口停滞・減少型の経済への移行は産業間の労働力の移動を含む経済構造の痛みを伴う「調整」が必要であった、という事になるだろうか。日本は過去数十年間、その両方の「調整」に直面し続け、更にその「調整」の痛みに間違った処方で対応しようとして痛みを増幅させるような事も引き起こしてしまった。 結局、こういった「調整」の痛みこそが日本経済に長きにわたって横たわってきた不況感の大きな要因だったというのが筆者の理解である。 


[追記]
「発展途上国型の経済から先進国型の経済への移行」はもちろん悪い事ばかりではない。 資源や食糧など日本人が今の生活を維持するのにどうしても輸入が必要な物の輸入額が100として、その100を輸出で稼ぐのに、日本国民(労働者)の80%が輸出産業で働かなければならないとすれば、日本国民の日々の生活の質を向上させる為の労働力は20%しか残されていないことになる。 これが逆になると80%の労働力が日本国民の日々の生活の質を向上させるために働けることになるわけである。