日銀版インフレ目標 (中長期の物価安定の目途) CPI 1% の妥当性について

「日銀版インフレ目標政策を勝手に予想してみる」というエントリーを書いていたのだが、書き上げる前に日銀が事実上のインフレ目標?として「中長期の物価安定の目途」を発表した。


ちなみに書きかけていたエントリーの趣旨は

  • 日銀の金融政策は「実質的なインフレ目標とBIS Viewの統合」という位置づけであり(参照)、白川総裁も講演で述べているようにインフレ目標を公表するかしないかは「金融政策の枠組みを議論する上で、意味のある論点、あるいは切り口ではなくなってきている」という理解であるから、公表に消極的となる理由(参照)はあるにしろ絶対反対という訳ではない。
  • インフレ目標の公表で問題となると指摘されていたのは 「足元の物価上昇率が目標物価上昇率を下回る状況が長く続く下で、物価の動向だけに過度の関心が集まる」ことであるが、既に日銀が目標を公表しようがしまいが物価の動向に関心が集まる状態になっている。 また、長期的な目標値としてのCPI 1%は欧米の金融危機がこのまま収まるとすれば難しい目標ではない。
  • むしろ日銀にとって(或いは日本経済にとって)絶対に避けなければならないのは今回のFRBのインフレ目標採用が日銀法改正機運を高めてしまう事態である。
  • また、すでに「物価安定の理解」という形で1%という水準を示しており、これと大きくかい離しない水準でのインフレ目標の公示であれば短期的に大きな影響を与えることもない。 日本は米国と同様に弱いながらも景気が回復局面にあり、そういった意味でも金融政策の調整を行いやすい環境下でもある。
  • 採用するのであればFRBに近いもの、つまり①政府ではなく日銀が ②長期的な目標値を定め、また③それを定期的に見直すことができるような仕組み、になるだろう。


という感じであった。ちなみに白川総裁は今回のインフレ目標導入理由を

 「日銀の政策が正しく理解されることが大事だ。米連邦準備理事会(FRB)が1月末に新しい枠組みを発表し、色々と議論が出てきた。議論が出るのは自然なことだ。金融政策運営の仕方は各国が学び合っている。目的が同じである以上、お互いに切磋琢磨(せっさたくま)するのは自然。経済に明るい動きが出てきたタイミングに加え、FRBの措置で政策の透明性への議論が高まっている段階で両方を議論し、今回の結論に至った」

と述べており、それも嘘ではないと思うが、やはり政治の圧力は大きかったのではないかと個人的には考えている。


問題となるのは当面の「中長期の物価安定の目途」の水準、CPI 1% が適正なものかどうかという点だろう。


米国がインフレ目標をPCE 2%とした理由の一つが、デフレに陥るリスクを限定することであったが、CPI 1%の場合当然そのリスクは増加する。デフレに一瞬でも陥ることを避けねばならないのなら当然少しでも高い目標のほうがよい。 
しかし、日本は既にデフレ下であるし、そもそも長期的な物価安定のゴールとしてCPI 1%が見えていればその過程で0%、あるいは0%を若干下回るデフレに陥っても大きな問題ではないと考えることもできるのではないかと筆者は考えている。


米国は近年の好況期の平均値程度でかつ足元のインフレ率と同程度の水準(PCE 2%)をインフレ目標に設定したが、日本が近年好況だった時期(完全雇用に近づいた時期)のインフレ率はほぼゼロインフレであった(指標によってはデフレ)。

世の中にはデフレ=絶対悪というイメージが非常に根強いが、日本はリーマンショック前にはデフレ下で完全雇用をほぼ達成していたわけであり、企業収益や国際収支の観点から見てもデフレだから経済がどんどん壊れていくという話は客観的には成り立っていない。 インフレ率の急激な低下が景気後退(経済危機)と同時に起こってきたのは事実であるが、そこから徐々にプラス域へとインフレ率が推移している期間についてはインフレ率の絶対値としての水準がマイナスであっても景気も雇用も回復してきたわけである。

デフレ期に多くの人の実質賃金が伸び悩んでいた(むしろ下がっていた)というのは事実であるが、インフレ(+バブル)だった欧米でも所得下位の人間の実質賃金の伸び悩みは生じており、それがウオール街デモにつながったりしたわけであり、これも必ずしもデフレのせいとは言えない。デフレだと若年層失業率が上昇するという説もあるがこれも別にデフレの日本に限った話ではないし、データだけ見ればむしろ日本はマシで先進国内でインフレ率の高めだった国々でよりその傾向が強く出ていたりもする。


現実問題として米国のインフレ率と無関係に日本のインフレ目標を設定するのは難しいのではないかという問題もある。 

日本のインフレ率は過去数十年間にわたりかなり安定して米国のインフレ率を2-4%下回り続けている。 この傾向がはっきりしてきたのは日本が国際収支黒字を、アメリカが国際収支赤字を年々増加させ始めた1970年代であり、国際収支黒字国のインフレ率が国際収支赤字国のインフレ率を下回るということ自体はおかしなことではない。 


また、これはある意味で「周回遅れ」の発想かもしれないが、先日紹介した「ポストマネタリズムの金融政策」の「第2章 ミルトン・フリードマンと米国のマネタリズム」の中で以下のフリードマンの発言が引用されている

「私のこれまで主張してきた成長率は最終生産物の物価のおよその安定性を平均して達成するようなものである。 (中略) しかしわれわれが経験したような大幅かつ不安定な同様に苦しむよりは、それが一様で安定的ならば、適度のインフレーションないしデフレーションを平均して生み出すような固定的成長率を持つほうがマシであろう。」

「一様で安定的ならば」、つまり乱高下したり一方向へスパイラル化していかない限り、マイナーデフレもインフレそれ自体が経済を壊すようなものではないということであり、貨幣の中立性に忠実な立場からの観点と言えるだろう。


つまりインフレ率について言えば、長期的な経済成長にとってより重要なのは足元のインフレ水準ではなく、(0%以上のレンジでの)長期的な物価の安定性ということになり、又、米国との比較においても当面 CPI 1%というのは達成がそれほど困難ではない指標であることから当面の指標としては適切な水準だろうというのが筆者の理解である。