金融政策は何の「期待」に働きかけるのか?

ネットで金融政策に関する議論を少しでも眺めたことがある人にとって、「金融政策は期待に働きかける政策である」みたいは話は何度か(という嫌になるほど)目にしたことがあるだろう。 コメ欄から引用させてもらえば

金融政策の一番の経路は期待への働きかけである、という基本中の基本さえ理解していればわかりそうなもの。インフレ予想の高まりが(価格が粘着的な市場の実質価格を低下させるなどを通じて)デマンドを喚起し、そのデマンドによって実際のインフレ率がプルされる、それだけ。

ということになる。 


しかしながらこの「基本中の基本」らしいロジックも現在のような状況となると何を指しているのかはっきりしなくなる。


金融政策がゼロ金利下においても(手段を選ばなければ)インフレを誘発しうるという主張は恐らく正しいであろう。 この点については「バーナンキの背理法」など様々なレトリック?を用いてリフレ派が必死になって主張してきた点であり、現実にインフレを誘発していると思われる例も近年見ることができる。

しかし筆者が問題だと考えているのはその様な状況下で非伝統的な金融政策によってもたらされうるインフレ、或いはインフレ期待がどのようなものになるかという点である。


インフレはいわゆるケインズモデルに従えば、コストプッシュインフレとデマンドプルインフレの二つに分類する事が出来る。

コストプッシュインフレは供給サイドの要因によってもたらされるインフレで、具体的にはコスト、つまり賃金や原材料等の価格が上昇する事によってもたらせれる。 近年の石油をはじめとする資源価格の高騰が各国にもたらしているインフレはこれに当たる。 デマンドプルインフレは需要サイドの要因によってもたらされるインフレで、供給を超える需要が存在する場合に起こる。好況時や景気過熱時に起こるインフレである。


この内、コストプッシュインフレは通常需要を喚起したりはしない。 企業はコストプッシュインフレが起こったときにはそれを価格に転嫁しようとするため製品価格は確かに上昇するが、多くの場合100%転嫁できるわけでは無いので収益率の低下に繋がり投資意欲は減退する。 また企業の収益が減少するときには賃金にも下落圧力が掛かるが、一方でコストプッシュインフレは進むため家計は逼迫し、消費の抑制にも繋がる。 よってコストプッシュインフレは投資にも消費にもマイナスの影響をもつ。


では金融政策によって高めることができる期待インフレの正体はデマンドプルインフレなのだろうか?


消去法的に考えれば、答はイエスのはずである。

しかし、デマンドプルインフレは文字通り需要(デマンド)が先にあってインフレがプルされるものであり、金融政策が期待インフレ率を上昇させることによって需要を喚起すると言うのは、違和感がある。 投資の活性化にプルされてデマンドプルインフレが生じるはずなのに、その投資を活性化するのがデマンドプルインフレ予想の上昇だ、ってなると最初にプルしたのは一体誰なんだと、小一時間(略


又、現実を見てみても米英で量的緩和が引き起こしているのは主にコストプッシュインフレである。 そして容易に予測されるとおり、大して需要は喚起されていない。 このような現実を知った上でなお「量的緩和が(デマンドプル)インフレ予想を引き上げる」という期待が広く形成されうるかと言えば、筆者は否定的に考えざる得ない。


よって仮に「金融政策はゼロ金利下でも予想インフレに働きかけることが可能」としても、その働きかけることが可能な対象がコストプッシュインフレ予想だけであるなら、それに意味があるのだろうか? 

いくらバーナンキの背理法がなんたらみたいな論陣を張って「ゼロ金利下でも期待インフレを引き上げることができる!」と言ったところでその「期待インフレ」が需要の喚起に役立たずならそもそも何を主張したかったのか?ということになる。 (別の言い方をすればたとえ非伝統的な金融政策を駆使することによってゼロ金利下でインフレ予想を引き上げることが可能であったとしても、いわゆる「流動性の罠」に陥っている事にはなんら変わりは無い、つまり金融政策の有効性はきわめて限定的なままである、ということになるだろうか。)


では「ゼロ金利下での量的緩和」という金融政策によって働きかけることができる期待はなんだろうか?

以前にも書いたが、他国との相対的なものを除けば、一つは金融システム(銀行)の救済、もう一つは株価の維持だろう。 これは量的緩和によってかなり直接的に働きかけることができるし、実際に米英でも実現している。 

この内、筆者は前者の銀行の救済については量的緩和に一定の価値があると考えている。 バブル崩壊や金融危機を引き起こした張本人を救済するのは何事だ、みたいな考えもありうるが、金融システムの安定は経済の自律的な回復には不可欠であり、心情的には気が進まなくても現実的には致し方ないところであろう。

一方の株価の維持については一部の人々に対する資産効果を産むかもしれないが、これが「バーナンキプット」と呼ばれるようになるまでに常態化してしまえば、様々なリスクをはらむことになる。


日本は低インフレが続いており、かつ株価も低迷しているが、金融システムは安定しており、多くの銀行が巨額の利益を上げるまでになっている。又、失業率は改善傾向にあり、実質経済成長率も他の先進国と比べれば高いくらいである。 そのような状態の中で、効き目が薄くなっている金融政策を効き目が出るまで無制限にやれ!みたいな話はあまりにハイリスク・ローリターンな話であろう。 効き目が無いうちはいくらやっても効果が無く、効き目が出てくる状態になれば、それまで積み上げた分の効果が強く出すぎる事になる。 

昨今、更なる非伝統的な金融政策による景気対策を求める声が一部の政治家の間に高まっているようにみえるが、長期間掛けてやっとこの状態までたどり着いたものを政治バイアスでまた壊されるような事は長期的に見れば国民の為にならないのではないだろうか。



[追記]
上記のインフレの分類は基本的にケインズモデルによるもので、マネタリズム的には「インフレは全て貨幣的現象である」となるので、単純に言えば全てのインフレは貨幣インフレという事になる。 量的緩和の場合だと「貨幣価値の毀損」によって貨幣1単位当たりの購買力が下がれば、価格は高くなるわけであり、これがすなわちインフレに繋がるというロジックだろうか。

しかし、そもそもコストプッシュでもデマンドプルでもない、貨幣的なインフレ?が一体どういうものとして人々の中で具体的に「期待」として形成され、需要に繋がるのだろうか?

文字通りとらえれば貨幣の価値が毀損されるわけだから、1割毀損されれば全ての品物の価格が1割上昇する、となるようにも聞こえるが少し考えればそんな事が起こらないのは明らかだろう。 つまり現実には貨幣価値が毀損するとしてもある財・サービスに対しては大きく毀損し、ある財・サービスに対してはあまり毀損しないことになる。 

これに対する筆者の理解は、需要供給が容易に増やせない財に対しては貨幣価値が大きく毀損し、供給が余っている財については殆ど毀損しないという事であり、現時点での前者の代表は資源、後者の代表は労働力ということになる。 つまり貨幣的なインフレを現時点で起こせるとしても、人々の間に「期待」として形成される具体的なイメージはコストプッシュインフレ(&実質賃金の減少)と殆ど変わりは無いということである。


[追記2]
今回のエントリーは前回のエントリーに対するコメントのやり取りに影響を受けたものになっている。 興味のある方はそちらを読んでいただいても面白いかもしれない。