リフレ政策の正体 (カンタンな解説)

前回に引き続き「動的AS-ADモデル」を用いての考察をもう少し続ける。

尚、erickqchan様よりこの動的AS-ADモデルの説明箇所がCowenとTabarrokによるマクロ経済学の教科書のサンプルとして公開されているのを教えていただいたのでリンクを貼っておく。非常に面白いモデルなので、興味がある人はどうぞ。筆者もとりあえず廉価版を注文してみたが読みきる自信がないので是非翻訳が出て欲しいものである。

Modern Principles: Macroeconomics Tyler Cowen  (Author), Tabarrok Alex (Author)


ではこの「動的AS-ADモデル」で、リフレ政策はどう説明されるだろうか。

インフレ目標とNGDP目標の違いはあっても基本的にリフレ政策が目指すのは以下の形であろう。




 

簡単に言えばショックで下方へスライドした総需要曲線を、リフレ政策によって無理やり戻してやることによって需給ギャップを埋めて実質成長率を回復させ、インフレ率も基の水準に戻すというものである。


興味深い理論では有るが、これが完全に実現するには少なくとも以下の3点が前提条件として満たされている必要があるように思う。

1. リフレ政策によって総需要曲線がコントロールできること

2. リフレ政策が短期供給曲線に影響を与えないこと

3. リフレ政策が潜在成長率に影響を与えないこと


このうち1.については定性的な話からテクニカルな話まで幅広く議論されているテーマであるが、一応筆者の理解を述べておくと以下の通りである。

a) リフレ政策が総需要曲線に影響を与えうるのは間違いない。

b) 但し流動性の罠やリカードの中立命題等から、そのコントロールがどこまで可能かは疑問

c) 又、場合によっては本来行うべきコントロールに着手できるかどうかも疑問


a)についてはいわゆる「バーナンキの背理法」の話である。国家は貨幣の供給量をコントロールできる訳だから本質的には影響を与えない訳がない。

実際にリフレ政策でインフレ率に影響を与えることができないという論者が想定している問題点は(b)であろう。過去の量的緩和時のインフレ率の推移を見る限り、通貨供給量による単純なコントロールは不可能なようである。 

最後の(c)については、狭義の経済学の範疇とは違うかもしれないが、中央銀行の独立性が脅かされ、政府が主導権をとれば、金融政策は常に景気刺激を行う方向にしかされなくなり、長期的にはバブルを招いて金融不安を誘発するのではないか?という懸念である。この状況は中央銀行の独立性が維持されている場合でも、世論や政府の意向が強くなり、中央銀行に有形無形の圧力が掛かった場合にも起こりうる。


1はリフレ政策に関わる議論の中心になることが多いが、筆者がリフレ政策に関して最も疑問に思っているのはむしろ2の「リフレ政策が短期供給曲線に影響を与えないこと」である。


この疑問は言い換えるなら「リフレ政策は実質経済成長率を直接コントロールできるのか?」という問題である。前回図で示したとおり、このモデルでは総需要曲線と短期供給曲線の交点が実現した実質成長率とインフレを表している。 逆に言えばリフレ政策によってシフトされた総需要曲線と実質成長率の交点が実現したインフレ率となり、その交点を基準に新たな短期供給曲線が導かれるとも考えられる。

つまり実質成長率が十分に回復しない中で総需要曲線のみをシフトさせれば下図のようにインフレだけが実現してしまう事になる。



これがどのような状況下で起きるかについては、ショックの要因、リフレ政策の手法、国の財務状況等非常に多くのファクターがあると思うが、もっとも極端なリフレ政策、つまり日銀の信用を毀損することによってインフレを起こそうというリフレ政策、がとられた場合はこのような状況になる可能性が高いだろう。

ミクロ的に考えても通貨価値が毀損する事でインフレが起こった場合、例え不況であってもその毀損を織り込んで価格が改定されるであろうから、そういったリフレ政策は短期供給曲線を上方へと押し上げる事は容易に想像できる。その極端な例がハイパーインフレであり、総需要曲線、短期供給曲線共にどんどん上方へとシフトしていくわけである。又、リフレ政策は為替にも影響する(通貨安)と考えられるが、この影響もやはり短期供給曲線を上方へと押し上げるはずである。


但し、同じ低実質成長率下(不況下)での高インフレと低インフレはどちらがいいのか、という問題になるとこれは判断が分かれるところかもしれない。生活者の視点から考えれば低インフレの方がまだ好ましいはずだが、生産者(特に輸出企業)の視点、或いは雇用者の視点(賃金の実質切り下げが容易)から考えると高インフレの方が良い点も多いからである。


3の「リフレ政策が潜在成長率に影響を与えないこと」については主に財政支出によって総需要曲線を上方へシフトさせた場合の話であるが、国債残高が増えれば当然増税などの将来的な負担増が予測される。 又、実質GDPにおける政府部門の割合も大きく、増税がないとしてもこの部分が趨勢的に縮小するなら、それは潜在成長率の切り下げ要因となりうる。

この点については金利とインフレ率の動向次第では国債残高の絶対額が増加しても実質での負担が増加しないケースも考えられるので常に成り立つわけではない。但し国債に対する信用が何らかの理由で毀損し、その金利負担がインフレ率以上に上昇した場合は一気に顕在化する可能性があり、注意が必要である。


又この動的AS-ADモデルには直接現れないが

4. リフレ政策が過度のバブルを引き起こさないこと

も重要である。 
もしバブルが実質成長率>潜在成長率の状況でしか起こらないのであればそれほど心配する必要はないかもしれないが、バブルそのものはインフレ・実質成長を決定する需給とは直接関係無いため、実質成長率<潜在成長率の状況でも起こりうるはずである。

特に通貨供給を増やしても総需要曲線がなかなか上がらない状況では、その市場に供給された通貨は過剰流動性となっている可能性があり、バブルが発生しやすくなる。

それを避けるためには通貨供給の増加が総需要の増加につながっている事を確認しながらすこしずつ増やしていく必要があり、日銀の量的緩和終了後の対応はこれに近いと思うが、インフレ率、名目成長をターゲットと考える視点からすれば、ターゲットの遥か手前でなぜアクセルを緩めてブレーキを掛け始めるのか、という批判につながるだろう。


以上が筆者が理解するところの(一般的な?)リフレ政策のメカニズムとその前提条件である。


但し、この4つの前提が成立しない場合にリフレ政策は効果が無いかといえば、そうではない。 特に2の「リフレ政策が総供給曲線に影響を与えないこと」は、リフレ派の中には前提条件と考えない人も多いかもしれない。 
つまり同じ不況でもインフレ率さえともかく上げてしまえば、人々はお金を使うようになり、結果として不況を脱出できるという考え方である。又、同様に不況下のインフレを肯定するロジックとしてインフレの方が賃金・価格の調整や低生産性産業の退場と主力産業の交代が早く行われるから不況脱出が早まるという考え方もありうる。


前者についてはともかく、後者についてはある意味正しいと思う。インフレが進む際には賃金はそれ以上に上がるという主張もあるが、それは総需要曲線が上方へスライドしてインフレが進む場合であり、総需要・短期供給曲線が共に上方へとスライドする場合は賃金・価格の下方硬直性による実質賃金下げへの圧力が弱まるため、実質賃金を切り下げることによって短期供給曲線を長期供給曲線に比較的早く回帰させることが可能になるはずである。


よってこの経路での景気回復を目的としたリフレ政策であれば理論的には間違ってはいないと筆者は考えているが、この経路での早急な潜在成長率への復帰が、日本がたどった非常に遅い潜在成長率への復帰より優れているのかどうかについては否定的である。


今回も話が長くなりすぎたので、なぜこのリフレ論について疑問を持っているかについては次回、英国の例を引きながら引き続き考察したい。