「実質金利高止まり」論の不思議 − 超低金利なのに投資が活性化しない理由は? 

デフレの弊害の一つが「実質金利が高止まりし、投資が抑制されること」であるという主張がある。

実質金利は通常、以下(wikipedia)のように表される仮想上の金利のことであり、式を見れば分かるように、例え名目金利が 0% であっても、(予期される物価の変動率)、つまり期待インフレ率がマイナスであれば、実質金利はプラスになる。

  • 実質金利 = (預けた時、所有している時の名目金利)-(予期される物価の変動率)

デフレの弊害を説く人々は、この名目金利に上乗せされたデフレ分の実質金利が大問題であり、消費や投資の停滞を招いていると主張するわけであるが、筆者にはこのロジックはいまいち腑に落ちない。


筆者は仕事柄、新規投資に対する予測キャッシュフロー等を見ることがあるが、ベースとなる評価において「期待インフレ率」が顔を出すのはあえて言えば「コスト」においてのみである。 多くの場合、初期投資費用や操業費用は一定の割合(≒期待インフレ率?)である程度の将来にわたって上昇していくと想定するが、(個別価格であるところの)投資の対象となる製品の価格の予測を単純に「期待インフレ率」で上昇させていったりはしない。(注1)

もちろん、様々なケーススタディの中には価格を単純にインフレさせていくようなケースも含まれるが、あくまで参照ケースの一つであり、そもそもインフレ率がそれほど高くない場合はどっちにしろ大した影響はない。


一方で、名目金利に対する予測はよりダイレクトに投資判断に効いてくる。名目金利について今後も継続的に超低金利状態が続くと考えることができるのなら、投資に関わるFinancial Costの見積もりは低くなり、投資は刺激される。

但し、新たな投資が対象となる個別の市場に対して活発に行なわれるなら長期的にはその市場における供給は増加する訳であり、その価格に対してはむしろ下落圧力がかかると予測されることになる。 よって個々の投資者はその投資判断にあたって(自らを含む)低金利に刺激された新規参入組の影響で競争が激しくなり価格が下落する可能性もある事を考慮する必要がある。 逆に言えばそういった競争の激化を考慮してなお採算が確保される市場・案件でなければ低金利であっても投資する価値が低いという事になる。


実質金利を重視する人々は名目金利が下限(ゼロ)に達しても期待インフレ率を高めれば実質金利が引き下げられて投資が刺激されるというが、実際の個別の投資判断を考えれば、名目金利がほぼゼロでありつづけると仮定しても、なお対象とする製品の単価が期待インフレ率分上昇していく(或いは下落が抑制される?)という予測が成り立たない限り投資に値しないような案件なら、そもそもリスクが高すぎるということにならないだろうか?  

結局、金融緩和を重ねてきて、既に名目金利が史上最低水準にまで下がったのに投資が刺激されず、一方で厳しい財政状況にも関わらず国債が超低金利で維持されているのは、「名目金利ゼロ+インフレ率ゼロ(個別製品単価の)というベースで考えても投資に値しないような案件には、幾ら資金が低金利で手当てできたとしても誰も投資したがらない」ことが本質的な問題の一つなのだろう。 そしてこの場合、超低金利でも投資に向かわず、かと言って国外にも向かわない資金は銀行に滞留し、消極的な選択の結果として国債に向かうことになる。


こう考えると量的緩和のようにゼロ金利から更に先を目指すような金融緩和は当面の金融システムの安定(銀行の救済や国債問題の時間稼ぎ)には有効でも景気刺激には大した効果をもたらしていないことも不思議では無いだろう。 敢えて言えば投資に値する案件が無いということが原因なのであり、実質金利が高くなっているというのは結果に過ぎないという事になるのではないだろうか。


(注1)
まあ筆者が知る範囲では無くても、世の中には期待インフレ率の予測に基づいて製品単価の予測をインフレさせて投資判断を行っている会社もあるかもしれない。(ちなみにこういう場合は「個別価格と一般物価を混同している(キリ」とは言わないんだろうか?) しかしそこまで長期的な展望にたって評価を行うとしても、1%程度のインフレの差であればさほど大きなインパクトは無いし、対象となる市場で投資が活発化すれば長期的には供給が増えて個別価格の下落圧力になるというのは変わらない。


[追記1]
例によってまわりくどいエントリーとなったが、要は「名目金利5%+製品単価のインフレ予測0%」では投資に値しない案件の中には「名目金利3%+製品単価のインフレ0%」になれば投資に値するようになるものもあるかもしれないが、「名目金利0%+製品単価のインフレ予測0%」で投資に値しない案件は、(一般物価の)期待インフレ率が2%上昇したとしてもやはり投資に値しないと判断される可能性が高いということである。 (或いは「実質金利」という尺度で見ると名目金利と期待インフレ率は等価のように見えるが、現実の個別の投資判断を考えればこの二つは実質金利の式で見るほど等価ではないということと言ってもいいかもしれない。)


[追記2]
念のために書いておくが、上記は「実質金利が下がれば→投資が刺激されて→景気が良くなる」というロジックに対する考察であり、

  • 実質金利が下がれば景気がよくなると予測されるから、投資が刺激される。投資が刺激されれば景気が良くなるからこの予測は実現する。

というような自己実現的なロジックについてはこの中では肯定も否定もしていない。


実際問題として投資判断における収益予測で本当に重要なものは短期的には当面の景気の動向であり、長期的には将来の需要予測である。 つまり「期待インフレ率が上がれば景気がよくなる」というコンセンサスが広く共有されていれば、期待インフレ率の上昇は投資を刺激し、結果としてこのコンセンサスが実現する可能性も確かに高まる。

これをどう評価するかは難しい所であるが、「期待インフレ率が上がれば景気がよくなる」というロジックに自己実現性があるということと、このロジックが正しいかどうかはやはり別問題と考えるのが正しいのでは無いだろうか。 逆に「物価は上がるが景気はよくならない」という予測が支配的になれば個別の製品の売り上げ予測は量的にも単価的にも非常に厳しいものになる。


[追記3]
ちなみに、名目金利の低下とインフレ率の上昇、つまり実質金利の低下の影響をダイレクトに受けるのが年金生活者などの預金者である。 彼らが受け取る利息は名目金利の低下により間違いなく減るし、生活費は概ねインフレ率と同水準、或いはそれを若干上回る水準、で上昇する。 (ソースが見つからないが、以前読んだ記事だとイギリスの場合、インフレ率(CPI)が4-5%の場合、資産を7-8%位のリターンでまわさなければ資産は目減りしていくらしい。もちろん今のイギリスにその様な投資先(比較的安全な)は無い。)

通常、彼らには給与所得が無いわけだから、資産の目減りは彼らの残り人生の生活設計に大きく影響する。 そしてこの場合、彼らは生活防衛の為に支出を減らすことになる。 実質金利の低下は少なくともこれらの人にとってはむしろ消費の抑制に繋がるだろう。