デフレと円高、どちらが卵でどちらが鶏なのか?

Economist Intelligence Unit(EIU)が毎年行っている世界の生活費が高い都市ランキングで今年も東京が1位となり、大阪も2位に入った。デフレがこれだけ続いていても日本の物価はまだまだ高いようである。(参照http://www.economist.com/node/13252399


今回のランキングに最近の円高が影響していることはEconomistの記事でも指摘されている。 一方でデフレこそが円高の原因であるとの説が有る。 確かにその他の条件が同じであれば高インフレ率の通貨はデフレの通貨に対してどんどん価値が下がってくる事となり、デフレが円高の要因であるとの説明も成りたつし、実際に将来インフレが起こりそうな国の通貨は安くなる傾向がある。


ただ日本の長期デフレと円高(&物価高)について言えば、その因果関係は逆ではないかと筆者は考えている。



日本の名目GDPが1990年代以降殆ど成長していないのはよく知られているが、一方で購買力平価ベースの実質GDPは他の先進国より若干成長率が低いものの、2008/9年を除き、基本的には増加トレンドを示している。


[世界経済のネタ帳様より]


デフレ下では名目GDPが成長しなくとも計算上実質GDPは増えていくのでその実質での成長はあまり意味を持たず、むしろ名目での成長に注目すべしといういう意見も強く、インフレターゲットを初めとするリフレ政策は名目重視の政策といえる。
しかしインフレ下であろうがデフレ下であろうが実質GDPは物価変動の影響を除いて国民がどれだけのものを生産・消費したかを示す指標であり、消費が効用につながる事を考えればその意味は大きいはずである。


以下に円-ドル為替レートと1984年を基準とした対ドルの相対的な購買力(注1)、及び過去数年分のEIU社による東京の生活費指数(ニューヨークを100とした場合の東京の相対的生活費)をプロットした。1985年のプラザ合意以降、1987年までに円ドル相場は250円から130円付近まで一気に円高が進み、1984年を100とした場合の相対的な購買力も一気に180まで増加している。 
ここで言う「相対的な購買力」については基準年(1984年)と該当年の間のインフレ率と為替からどのくらい内外価格差が広がったかを計算したものであり、大雑把に言えば1987年の180という値は1984年時点で米国で100ドル、日本で24800円だったものが、1987年には米国で109ドル(14000円)になったのに対して日本では25300円 (197ドル=109x180%) になっていたという事を意味している。 相対的な購買力については基準年により大きく値が変わるがここではEIUによる生活費指数と相対的な購買力のマッチングがよい1984年を基準年とした。1984年はバブルのきっかけにもなったプラザ合意の前年であり1ドルが約250円と今から見ればかなり円安の水準であった。 




1994年に相対的な購買力のピーク(200+)を記録した後、日本は長期的な低インフレ&デフレ時代に突入した。 その間も円は様々な要因で80円から130円くらいのレンジで振れたわけであるが、相対的な購買力については段階的な低下トレンドがはっきりと見てとれる。 相対的な購買力は両者のインフレ率の差が影響するため、計算上デフレ下では低下する傾向が強いわけであるが、EIU社による東京のニューヨークに対する生活費指数もほぼ同一のトレンドを示しており、概ねこの1984年を基準年とした相対的な購買力は名目所得に対する効用に近いものを示していると考えられる。
よって単純化すれば、1994年に年収1千万円だった人は米国の年収500万円の人程度の豊かさだったが、年収が変わらなくても2006年には米国の年収730万円の人と同程度の豊かさを享受できるようになったわけである。


このデータにストーリーをつけるならば、「プラザ合意で円が急騰したことによって日本の名目GDPは急成長したが、国内の物価や賃金に対してすぐに影響を及ぼしたわけではなかった。しかし国際的に見れば、円の急騰によって一部の商品や産業は価格・コストに大きな内外価格差を抱えることとなり、中長期的には価格・賃金の調整やその結果としての一部産業の淘汰は避けられなくなった。そのマイルドデフレを伴う調整はゆっくりと進行し、2006年頃にはかなり解消されたが、調整の過程ではバブルの発生・崩壊やデフレ不況と呼ばれる長期不況を経験することとなった、」という感じだろうか。


円の急激かつ大幅な変動が原因で名目GDP(ドル建て)が先行して急上昇し、その結果として日本がデフレになったとするなら、これを回避し、名目と実質の成長をうまく連動させる方法はあったのだろうか?


まず留意すべき点は1985年以降の円高は確かにプラザ合意による政治的な要素が強く、急激なものであったが、その後も日本は輸出を順調に伸ばしており経常収支もほぼ一貫して大幅な黒字、海外に於ける純資産も増やし続けたということである。つまり自動車を中心とした輸出産業は急激な円高によるコスト増を吸収できるだけの競争力を1985年時点ですでに有していたということになる。

円高が輸出産業の国際競争力の強さに起因するものであるなら、名目と実質を連動させる方法の一つは輸出産業の国際競争力を為替以外で弱めることであり、輸出産業のコスト(特に賃金)が大幅に上がるか、輸出産業から巨額の税金を取る事であったと考えられる。実際に労働組合が非常に強く賃金が上がりすぎたために競争力の弱体化と高インフレを招いた例は70年代の英国等いくつもあるが、日本では基本的に労使協調路線でやってきたため、極端な賃金上昇によるコストプッシュインフレと国際競争力の弱体化は起こらず、国際競争力の調整は為替によって行われることとなった。

もう一つ考えられるのは市場にどんどん円を供給して輸出産業のコスト競争力を維持したまま円高を抑える方法であるが、これに近いことは実際に行われ、一度目は国内でバブルを発生させ、二度目は円キャリートレードで海外でバブルを発生させた。(ちなみに、この方法を更に極端に進めたのが円ペッグ制であろう。)


ただ、もしこれらの手段による円高回避が機能するとしても筆者としてはそれが良いアイデアには思えない。


そもそも日本という社会に支えられた輸出産業の国際競争力の向上が円高を通じて国民一人当たりの実質的な所得・効用を上げていくのは、国が発展していくルートとしては間違ってはいないはずである。

国民の実質的な所得(購買力)が増す経路としては名目所得の上昇によるものの方が物価の下落によるものよりも好ましい(特に賃金の下方硬直性を考えれば)ことは確かであり、その方が実質成長率もより高くなる可能性はあるが、どちらの経路を辿るかは日本単独で決められることではない(そもそもプラザ合意も日本が望んで行ったわけではなかった)。
ただいずれのルートでも重要なのは実質的な所得が安定的に増加することで、物価下落による実質所得増加ルートを嫌うあまり、バブル発生などによって実質所得の安定的な増加を阻害しては元も子もないはずである。
又、その実質所得増加の過程においてはコスト競争力を失った企業が市場から撤退し、空洞化が進むのも避けられない。実際に発展途上国より遥かに高い所得が日本において達成されるのであれば、インフレ・デフレ、或いは為替等と関係なく必然的に起こる事象である。


敢えて言えば1985年のプラザ合意以前に徐々に円高が進行していれば、ここまでの長期的なデフレは避けられたかもしれないし、その後のバブル発生を事前に防げていたならもう少し高い実質成長率が達成できたかもしれない。但し、いずれにしても一人当たりの名目GDP(ドル建て)が1980年代から1995年までの勢いを保ったまま他の先進国を遥かに上回る水準で成長し続けるようなことは起こりえなかったはずである。 


注1) 「相対的な購買力」という呼び方は適当につけたもので正確に何と呼ぶべきかは不明。基本的には購買力平価と同じ考え方。



[追記]
先日、岩本康志教授(東京大学)の過去記事を読んでいたら2008年に内外価格差について言及された記事を見つけた。
(参照:内外価格差の解消がもたらしたもの

この記事では内外価格差について様々な視点からの考察が行われており、非常に勉強になる記事であったが、内外価格差の解消を国内産業の生産性向上の視点から考察される中で、1999年以降、実質GDPがOECD平均と比べて十分に伸びなかった要因として、

 また,日本の規制緩和の取り組みが甘かったかもしれない。購買力平価調査で得られた財別のデータでは,日本の食料品の価格が非常に高い。素直に考えれば,生産性の低い農業部門が高関税で守られている現状にメスを入れることが最初にされるべきであるが,農業改革の進捗ははかばかしくない。


と指摘されているのは特に興味深かった。

つまり、食料品分野においては高関税に守られているために内外価格差が解消されておらず、その結果としての農業の低生産性が日本の実質GDPの成長を阻害した一因ではないかとの指摘である。

これは物価面から見れば実質GDPが期待ほど成長しなかったのは高関税に守られた食料の価格下落が不十分だった為であり、デフレが原因ではなくデフレが足りなかったことが原因である、という風にも解釈可能ではないだろうか?