原油価格急落の原因は?

2014年半ば以降、原油価格の下落が著しいが、その原因についてMarketHackさんで「原油価格75ドル割れを巡る迷信 シェールが成功し過ぎているからこそ、価格崩壊が起きている」というエントリーが掲載されていた。


その概要を抜粋させてもらってざっとまとめると

  • 原油価格(WTI)が一時75ドルを割れるほど下落したが、その原因は巷で言われているように「世界の景気が悪いから」ではなく、アメリカにおけるシェールオイルの増産が原因。
  • アメリカはリーマンショック後にガス価格が急落して以来シェールガスからシェールオイルへとターゲットを変えて原油生産をムチャクチャ増やしたので、輸出できない原油が国内で余ってしまった。(現在、アメリカでは付加価値をつけずに原油をそのまま輸出することは原則禁止されている=これはいずれ法案改正される見込み)
  • 逆に世界全体で見ると原油の需要と供給のバランスはそれほど崩れておらず、ここ数年の実績を見ても、特に消費は落ち込んでいない。
  • サウジアラビアはこれまで節度ある生産を行ってきたが、米国のシェールオイル業者を虐め、また電気自動車などの代替燃料への消費者の嗜好のシフトを許さないために、敢えて増産することを決めたことも要因の一つ。

というところだろう。

説明されている内容だけを見ればそれなりの説得力があるようにも見えるが、原油価格がなぜ急落したのかについての肝心の部分はおそらく間違っている。 
そう筆者が考える理由を一言でいえばイギリスの原油価格(Brent Oil Price)もアメリカの原油価格(WTI)と歩調をあわせて大きく下がっているからである。  広瀬氏が言うようにアメリカ国内の原油の需要と供給のバランスが問題であり、かつ世界全体で見れば原油の需要と供給のバランスが崩れていないのだとすれば、イギリスの原油価格(Brent)が米国の原油価格(WTI)とここまでパラレルに下落する理由がないはずである。


(http://www.oil-price.net/)

それでもシェールオイルの開発を通じた米国の生産増が世界の原油価格に与える影響については全くないとは言えないものの、原油ほどではないに他の資源価格の下落も生じている事から、やはり原油だけの需給バランスで考えるには無理があるだろう。


では何が原因なのかといえば、筆者はその大元は米国の金融緩和の縮小だと考えている。

足元だけをみれば、原油価格は確かに急落しているが、もともと資源価格はリーマンショック後の米国の量的緩和の拡大(QE1,QE2)と連動して高騰した経緯があり、水準的には巻き戻っているだけとも言える。(「米国量的緩和とエネルギー・食料価格のわかりやすすぎる関係について」)

量的緩和の縮小は、コモデティの先物相場で生じていたバブル的なものに対して影響を与えると同時に、ドル安相場の終焉(ドル高への回帰)を促してドル建てで見た資源価格への押し下げ圧力となり、更には発展途上国市場への悪影響を通じて世界経済の減速圧力にもなる。全て足元の需給と関係なく原油価格(ドル建て)を引き下げる方向に働くわけであり、いずれも現在の原油相場の急落を進める要因となりうるということになるわけである。


最後に相場の下落率が原油において特に大きくなっている事についても考察しておくと、こちらについては広瀬氏が指摘している近年の米国におけるシェールオイルの増産やサウジアラビアの方針が与えている影響は大きいだろう。 結局の所、一部の人間でやりとりしている株や土地などと違って原油などのコモデティは世界規模で見た需給が緩みすぎればそれ以上のバブル拡大は難しくなるわけであり、その事がQE1,QE2くらいまでは歩調をあわせて上昇していた株価や地価に対してコモデティ価格がQE3あたりで置いていかれた要因であると筆者は考えているが、シェール革命は間違いなく世界的な需給に影響を与えるほどのインパクトがあったし、サウジアラビアもいまだに一国で世界的な需給に影響を与えられるほどの存在であるということであろう。 

量的緩和でインフレリスク上昇 は杞憂だったのか?

米国の量的緩和が終了の見込みとなり、「量的緩和を行えばインフレリスクが高まる」という懸念はやはり杞憂だった! という主張がよく聞かれるようになってきた。 筆者も以前から量的緩和のリスクとしてインフレへの懸念を挙げていたが、これが杞憂に終わったのかどうか判断するにはまだ早いと考えている。 

なぜそう考えているかを説明するには、そもそもなぜ量的緩和に高いインフレを引き起こすとリスクがあると考えていたのかを説明する必要があるが、それについては既に2013年2月の岩田規久男氏の日銀副総裁就任時のエントリー(「岩田規久男新日銀副総裁 -日本のフリードマン- は何を金融政策にもたらすのか」)に書いているので、以下にそれを抜粋してみる。 


<以下2013年2月のエントリーより抜粋>

弊害については様々なものが考えられるが、その弊害の中でも分かりやすいのはインフレのリスクである。

よく「デフレ下では金融政策の効果自体が薄いと主張する一方でインフレの心配をするのは矛盾している」という批判が聞かれるが、こういった批判は物事を単純化しすぎているように筆者には思われる。

このデフレ下での金融政策無効論とインフレ懸念論は同じ問題意識の裏表であり、要は金融政策が短中期に信用乗数(貨幣乗数)をコントロールできるのかという問題である。「ハイパワードマネー×信用乗数=マネーサプライ」は恒等式であり、マネーサプライとインフレの間に密接な関係がある事は分かっている。つまり金融政策とインフレの間の問題は金融政策が信用乗数をある程度コントロールできるか(もしくは信用乗数は金融政策に拠らず安定的なのか)という問題だとも言える。

この観点からみれば、金融政策無効論はデフレ下では(日銀が直接コントロールしている)ハイパワードマネーを増やしてもその分信用乗数が減るだけでマネーサプライへの影響はきわめて限定されるという考えであり、一方インフレ懸念は、もしインフレ率が上がらないからとハイパワードマネーを積み上げすぎると、信用乗数が少し上昇しただけでもマネーサプライが爆発的に増えるため、その時になって少しくらいハイパワードマネーを回収してもマネーサプライの短期的な急騰を抑えきれないのではないかという考えである。


ちなみにこれは特別な考えでもなく、例えば金融緩和に積極的であった前FRB議長のグリーンスパンも2003年6月のFOMC会合で以下のように述べている(以下、「himaginaryの日記」様の翻訳より引用。オリジナルはこちら。太字は筆者。)。

グリーンスパン議長
・・・私は答えを知らないし、このテーブルに座っている誰も答えられないであろう、興味深い問題がある。しかもそれは決定的に重要な問題なのだ。量的緩和のパラダイムでは、貨幣と物価の関係は長期的には極めて密接であると一般に仮定されており、皆それを暗黙の前提として話をしている。その仮定によれば、貨幣供給を無限に増やせば、物価水準はとにかく上昇するのであり、そうでなければ、我々は皆経済学の学位を大学に返上すべき、ということになる。しかし、我々が分かっておらず、残念ながら想定という形を取っていること、それも取りあえず無意識のうちに想定していることは、貨幣供給の増加と物価の上昇との関係は連続的かどうか、という点である。我々は微積分で言う不連続性がその構造には存在しないと信じる傾向にある。私が敢えて言いたいのは、それが本当にそうなのか我々は分かっていない、ということだ。実際のところ、私は日本人がひたすら貨幣供給を増やしてきたことをいつも懸念してきた。彼らは法外なまでにマネタリーベースを増やそうとしている。物価水準は低下するのをやめ、上昇に転じた後、爆発的に上がっていくかもしれないが、その際の不連続性は極めて危険な現象である。彼らの債務の額、貨幣供給量、金融システムの状況は我々が知っている通りだ。
中央銀行が貨幣――多くの場合ハイパワードマネーだが――を創造し続けているにも関わらず、物価水準が下落を続ける、と信ずべき長期的な可能性は存在しない。そうしたことが起こるとはまず信じられない。
しかし我々は、スムーズかつ非不連続的な方法でそれを逆転させることができ、その変化はディスインフレ状態の金融システムから穏やかなインフレ状態の金融システムへの転換といった形で現われる、と想定している。それが本当だったら良い、と私も思う。その点を明示的に確認せずにこの席でそうした話がなされていることは私には分かっている。私はその点について証明した人を誰も知らないし、そうした現象が実際に起こるまで本当かどうか分からないのでは、と考えている。ということで、ここでは問題の提起に留めておく。これについて素晴らしい洞察をお持ちの方がいれば、是非メモを拝見したい。
http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20120221/the_his_pathologist_role_larry_ball_missed_a_couple_of_important_signs

<抜粋終了>

ちなみにこのグリーンスパンの発言に対して、「議長、大恐慌時代のデフレーションは極めてスムーズに終了しました。1932年のインフレ率はマイナス8%で、1933年はプラス1%でした。ということで、実例が一つあります。」と答えたバーナンキが、その後FRB議長となって量的緩和でマネタリーベースを「法外なまでに」積み上げたわけだが、結局の所このグリーンスパンの問いについては未だに「証明した人は誰も知らない」状態のままである。

やや楽観的にみれば、米国は「ディスインフレ状態の金融システムから穏やかなインフレ状態の金融システムへの転換といった形」が形になりつつあるようにも見えるが、それほど簡単なものではないだろう。 逆に、もしこれが必ずうまくいくならその意味するところは非常に大きい。つまり経済が流動性の罠下にある場合は中央銀行が巨額の財政ファイナンスを行なってもインフレというコストを最後まで払わずにすむかもしれないという話であり、これが事実なら財政再建の為には国債残高を買い切るまで「流動性の罠」を大切にすればいいという事すら考えられる。

いずれにしろ過去、先進国がこぞってここまで短期間にハイパワードマネーを積み上げたことは一度も無く、当然実例もない。この壮大な社会実験の結果がどのようなものになるかはやはり「そうした現象が実際に起こるまで本当かどうか分からない」だろう。

日本人の「幸福度」が低い理由は?

Blogosさんで最近「日本人の「幸福度」は先進国で最下位 「幸せはお金で買えない」国民性なのか」、「日本は不幸か?」の「幸福度」に関する二つが記事が掲載されており、なかなか興味深い考察が行われていたので、便乗してみる。


はじまりは毎年アンケート形式で世界各国の幸福度を調べている米シンクタンクの今年の調査結果で「日本人の「幸福度」は先進国で最下位 」とされたことであり、この解釈について議論が起こるのは恒例行事のようなものであるが、筆者がこの話を聞いていつも連想するのが以下のような関西人のやり取りである。

「もうかりまっか〜?」
「ぼちぼちでんな〜」>「あきまへんわ〜」>「さっぱりですわ〜」>「首くくらなあきまへんわ〜」

どんなに絶好調な人でも「ぼちぼちでんな〜」止まりであり、「さっぱりですわ〜」でやっと普通くらいな感じである。

まあ、何が言いたいかといえば、日本人の場合「あなたは幸せですか?(良い生活が出来ていますか?)」と聞かれた時にどう答えるかにバイアスが相当かかってるだろうなぁ、という事である。 謙遜とは少し違うが、日本人にこういったバイアスがあることは多くの人が納得できるのではないだろうか?


又、上記バイアスに加えてある状況を幸福と感じるかどうかについても日本人にはかなりバイアスが存在するのではないかと筆者は考えている。 

筆者は、日本以外では米国と英国に住んだ経験があり、大学の同期、仕事の同僚から子供の学校の父兄まで様々な国の人々と交流を持つ機会があったが、前向きというか楽天的というか人生を楽しめる性格の人が日本と比べてかなり多かったような気がする。 これは、日本の社会が閉塞的だから云々という話ではなく、海外で同じ条件下で働いていても日本人の感じ方にはバイアスがあるという話で、単純に言ってしまえば国民性ということになるだろう。


これだけでは筆者の感想だけで終わってしまうので、少し関係のありそうなデータを提示してみる。 

以下はOECDが発表した「Better Life Index」の説明にあったデータであるが、日本人は長寿世界一である一方、健康に対する自信という意味では、OECDで下から2番目の自信しか持っていないということを示している。 これは「日本人は不健康だけど長生き」というわけではもちろんなく、客観的には健康だけど主観的には評価が低いということであり、「幸福度」に似ているのではないだろうか?

Japan enjoyed the highest life expectancy among OECD countries, at 82.7 years for the whole population.

  • -

When asked, "How is your health in general?", 33% of people in Japan reported to be in good health, much lower than the OECD average of 69% and the second lowest rate in the OECD.


http://www.oecdbetterlifeindex.org/countries/japan/


もちろん、日本人が他のどの国よりも幸福かといえば、色々と問題があるだろうが、「日本人の「幸福度」は先進国で最下位」かといわれればさすがに違うだろう。 ちなみに筆者の自己採点は「ぼちぼち」といったとこだろうか。

リフレ派は現状をどう何を考えているのか?

金融緩和関連(リフレ政策関連)のエントリーを書くと、リフレ派と思われる人々から批判的なコメントをいただく事が多いが、今回は「いつも間違った答を出す人」というタイトルで「自分のあずかり知らないことについて、もっともらしい語り口でデマを流し、その分野に明るくない人々を騙すことに喜びを感じているらしいブロガーが、またも間違ったことを滔々と述べております。」と始まるかなり長めのコメントをいただいた。 中身について言えば正直それほど目新しいものがあるわけではないが、今、リフレ派が現状をどう考えているかについては参考になる部分もあるので、少し考察してみた。

アベノミクス開始前は、円高とデフレが諸悪の根源であるかのように喧伝され、黒田日銀による異次元緩和による円安誘導はかなり好意的に受け止められたが、残念ながら「円安で輸出主導の景気回復!」が期待はずれだったことがはっきりしてきた。

円安で輸出量が伸びるという想定がまず間違い。この点は安倍首相も菅官房長官も間違っているので修正して欲しいと思うのですが、円安が貿易にもたらす利益は輸出数量に限定されません。

輸出数量が伸びることもあるのでしょうが、伸びなくても利益は増大します。

現在、トヨタなどの自動車産業が大きな利益をあげていますが、あれは数量のみならず、ドルの受け取りが増えているからです。この効果はアベノミクス初期にも観察されました。

そもそもよく考えて欲しいのは、円安で日本製品の価格が下げやすくなったとしても、それで多くの製品が売れるとは限りません。相手国の景気がよくなければ買ってもらえないわけで、円安によって輸出数量を伸ばそうという目論見には無理があります。

伸びるかも知れない、メリットの一つになりうる、という言い方に留めるべきでしょう。

また、この点で重要なのは、輸出量が伸びなくても日本の景気は良くなっている、という事実であります。理屈ではなく。

ごちゃごちゃした理屈は無限にこね回すことができるものですから、まともにとり合うものではありません。重要なのは事実です。

この事実は、円安にしたとしても必ずしも海外の製造業者の不利益にはならず、しかも日本の景気はよくなる、という一石二鳥の発見なのですから、本来はみんなで万歳するべき事柄です。

輸出の伸びが期待はずれだった事については、様々な解釈が存在するようだが、金融緩和を肯定的にとらえる人々による解釈を大まかに分類すると

  • 「期待はずれなんかじゃない、十分な成果を挙げている。 現に輸出企業は大きな利益を上げているじゃないか」
  • 「期待していたよりも出だしは悪いが、生産の調整には時間がかかるものでいずれ大きな成果を挙げるはずだ。 Jカーブ効果だ」
  • 「円安で輸出量が伸びるという想定が間違いだ。そんなものは金融緩和の目的ではない」

というのが主なパターンで、今回は1番目と3番目のミックスといったところだろうか? ちなみに個人的にはまだ納得感があるのが2番目の理由であり、1番目と3番目のミックスは一番納得感がない組み合わせに見える。


まず円安になると短期的には輸出量が増えなくても利益が増大するのは確かで、それが「ドルの受け取りが増えているから」であることも間違ってはいないが、それだけでは期待していたほどの効果は得られない。ドル建ての輸出額はドル建ての輸入額より少なく、円安になる事で輸出業者が円建てで受け取る額が増えてもそれ以上に輸入業者が円建てで支払う額が増えるだけだからである。

一方、輸出量が増えれば、より多くの生産を行なうために雇用を増やす必要が出てくるし、さらなる増産のための設備投資も誘発されるわけで、当然こちらの方が日本経済にとっては望ましい。 単に円が減価した事によって一部輸出企業の利益が増大するだけでは、それらの企業の株価は上がるかもしれないし、若干の雇用・設備投資増もあるかもしれないが、輸出量が増える場合と比べれば経済への波及効果ははるかに限定的となってしまう。 トリクルダウンが進まないわけである。 

ちなみに、「円安で輸出量が伸びるという想定がまず間違い。この点は安倍首相も菅官房長官も間違っている」と書いているが、黒田日銀総裁もつい先日「円安は輸出企業の輸出数量の増加につながる」と言っており、この人に言わせると安倍首相も菅官房長官も黒田日銀総裁もみんな間違っているようだ。

まず円安による輸入物価の上昇がコストプッシュインフレとして多くの国民の生活に影を落とすにいたって、円安、インフレにさえなれば景気が回復すると期待していた(期待させられていた)人々がおかしいと思い始めた。

影?どのへんに?

輸入価格の上昇でカップラーメンの値段が上がったとか、そういう話ですか。

ああいう話はマスコミのネタになりやすいので、このブログ主のようにテレビの報道を鵜呑みにしている人には深刻なものに感じられるのでしょう。

カップラーメンの値段が上がったとして、その影響を考えるにはちょっと計算してみればいいと思います。

カップラーメンが去年と比べてどの程度値上がりしたか、自分はカップラーメンをどの程度の頻度で食べるか、ということを考えて計算するとおそらく、去年と比べて月に数百円の負担増にしかなっていないはずです。カップラーメンをそれほど食べない人なら、せいぜい100円くらいでしょう。

こんなものが「影」のはずがありません。

いや、「カップラーメンをそれほど食べない人」は他のものを食べてるわけだが、、、

筆者は海外在住のため、日本でカップラーメンがどれほど値上がりしたのかは知らないがせいぜい数十円程度だとすると、「月に数百円の負担増」というのはこの人はかなりのカップラーメン愛好家のようだ。 カップラーメンばかり食べてれば月に数百円程度の「影」しかないかもしれないが、普通に生活していればより「影」は大きくなる。 実質賃金で見れば増税前の段階で2%程マイナスだったわけで月に使うお金が数万円しかないなら「影」は数百円ですむが、数十万円なら「影」は数千円になる。

その程度ならやはり「影」のはずがないと言うかもしれないが、消費税の影響だって実質2%程度と見積もられているわけで普通に考えれば「こんなものが「影」のはずがありません」ではすまないはずである。

ちなみに黒田日銀総裁も「非製造業の収益や家計の実質所得の押し下げ圧力につながる面もある」と認めているし、政府も「急激な円安を受け、地方や低所得者に重点を置いた対策を講じる方針(参照)」らしい。 もちろん緊急対策の主眼はカップラーメンの値上がりではない。

そして、やや意外にも見えるが、次に「円安はもうたくさん」と言い始めたのは経済界だった(「経団連会長「これ以上の円安は日本経済にマイナスの影響」」)単純に海外市場向けの輸出だけを考えるなら円安はどれだけあっても困らないのだろうが、国内市場もまた彼らの収益源であることは間違いなく、そういった意味でもあまりに行き過ぎた円安が国内市場にダメージを与えるのは好ましくないという判断が働いたものと考えることができるだろう。

この点について、誰かが声を大にして言わなければならないことがあるのですが、それは「輸入価格が上昇するのは好ましい面もある」ということであります。

輸入品の価格が上昇すると負担増にしかならない分野は当然あるわけですが、メリットが発生する分野もあります。

それは、輸入品と競争している国内産業であります。

輸入品の価格が上昇すると、国産品への需要が増加しうるのですから、この点では「国内市場」には追い風となります。

このブログ主はこういったことは全然視野に入っていないようであります。

輸入品競合産業へのメリット、というのは実は「輸出量増加よりもこちらの方がメインである」という意見もあります。

アベノミクス開始以前から、マーケットマネタリストの一部はそう主張していましたし、日本の現状を見ると説得的であります。

この点についても、政治家や財界はまったく理解していないので、誰かがレクチャーするべきだろうと思います。

輸入品の価格が間接的に国内価格に影響するという事自体は筆者もある程度は同意するところで、このブログでも逆の文脈で考察したことがある。 つまり輸入が占める割合が低くても、輸入品の価格が下落すれば競合する国内産業も価格を引き下げざるを得ず、結果としてインフレ率に対する押し下げ圧力になるといういわゆる「輸入デフレ論」のロジックである。 ただ、いずれにしろ今回の場合はデータを見る限り「輸入量が減少して内需に切り替わっている」という兆候は今のところ見えない。


この点についてもう少しまとまったコメントをBlogosでいただいたのでこちらも引用すると

典型的な円安悪玉論。 日本の経済の強みは、殆ど全ての製品が国内調達できると言うことです。 つまり、円安になれば国内製品の代替が進む。 これが出来るのは日本とアメリカぐらいしかありません。 だだ一つ、日本のデメリットは、資源が無いと言うことです。 これだけは輸入しなければならない。 ですから、資源政策(主にエネルギー政策)さえしっかりしていれば、円安は雇用を生み、経済は活性化するのは明らかなことです。 

これも別に間違った事を言っているわけではないが、「資源政策(主にエネルギー政策)さえしっかりしていれば」という前提がポイントだろう。
日本は石油・ガスを筆頭に鉱物資源を殆ど海外に依存しており、更に40%を下回る食料自給率が示すように生活に必須の食料資源も輸入に頼らざる得ない。つまりシェール革命後の米国のように資源の多くが自前で賄えるような状況であればともかく、生活に必須の資源の多くを海外からの輸入に頼っている以上、円安によるデメリットが存在する事は避けられず、それを上回るメリットが存在しない限り、円安が「経済を活性化させる事が明らか」とまでは言えないことになる。 つまり本当に「これが出来るのは」アメリカくらいということになる。

例えば、先日のエントリーで考察したクルーグマンの指摘によれば、リーマンショック後の欧米はバブル崩壊後の日本より酷い状況となったわけだが、別にデフレになったわけではない。つまり欧米についてはデフレがその酷い状況をもたらしたわけではないという事である。 

単なる事実誤認。

ユーロ圏のいくつかの国ではすでに物価下落が続いています。ユーロ圏全体でもインフレ率は0.4パーセントしかなく、よく知られたとおり、しかしこのブログ主は知らないことですが、消費者物価指数は高めにでるので、このインフレ率ではユーロ圏全体でも物価下落が始まっていると見てもおかしくありません。

特に欧州についてはこれからデフレに陥ってしまうのではないか?と懸念されてはいるが、これはリーマンショック後、デフレに陥るのを食い止めるべく積極的な金融緩和をやってここまではどうにかインフレをプラスに維持してきたけど、肝心の経済の低成長化を食い止める事ができずに徐々にインフレ率も低下してきてこのままでは結局デフレになりかねない、、、という流れであり、ここでは明らかにデフレは経済の低成長化の結果であって原因ではない(デフレになっていないのだから当たり前だが)。 

ここはお馴染みの胡散臭い論理展開ですね。日銀白川もよく言っていたものですが。

ここでブログ主が言っている「成長」とは何なのですかね?

そこを明らかにせずに「成長」というのは、たいてい誤魔化しを広めたがっている人間です。

まず、「特に欧州についてはこれからデフレに陥ってしまうのではないか?と懸念されてはいるが、」と書いているとおり、ユーロ圏で物価の下落が続いている事については別に事実誤認しているわけではない。

以下の図(by Eurostat)を見てもわかるとおり、ユーロ圏ではリーマンショック後にECBが大きく金利を下げた事等によりインフレ率は急速に回復し2011,2012年には2%を超えていた。これはユーロ発足後の傾向を見ても別に低い水準ではない。

リフレ派は「バブル崩壊後の対策を日銀が間違えてデフレという落とし穴に嵌ってしまった事がその後の失われた20年の原因となった」と批判していたが、ユーロ圏では金融緩和によってインフレ率をとりあえず維持する事には成功した。 日銀批判が正しければ、デフレに陥った事が失われた20年の主たる原因であったはずであり、つまりデフレに陥らせなかったことでユーロ圏はそれを回避できたはずだったが、現実にはそうはならず、低成長下でじわじわとインフレ率を下げ続けてきている。 これは逆を返せば金融政策の失敗でデフレに陥った事が低成長化の原因ではなく、低成長化を引き起こす原因が他にあって、金融政策で一時的にインフレ率を維持してもその根本原因を取り除かないと結局低成長化して、インフレ率もそれに連動して下がってしまうということと捕らえる事が出来る、というのが前回のエントリーで書いた事であるが、どうもこの批判者の方には伝わっていなかったようである。



上記に加えて、異次元緩和以降のインフレは円安による輸入物価の上昇の後押しを受けたコストプッシュインフレの面が強く、これを更に進めてもインフレ率は上がるだろうが景気が好転するかは疑問である。

これまた単なる事実誤認。

現在の日本の物価は、消費税の影響をのぞくとむしろ伸びなくてなってきていて、低インフレが懸念されておるのですよ。インフレ目標達成に暗雲、といった報道が相次いだのは見ていないのでしょうか。

消費税による物価上昇はその年だけで終わりなので、翌年以降は需要減によるインフレ率低下が心配されるようになります。

上でも書いたとおり円安による影響を強く受ける資源の輸入価格は日本国内の需要減に大きく左右される事はないから、円安を更に進めれば輸入物価が上がるのは誤認しようがない事実。 

その中で国内の需要減によるインフレ率の低下が心配されているのはインフレが実質賃金の下落を引き起こしているような状況が内需にどう影響するかというのがポイントで、食料・エネルギー等の生活必需品が円安によって値上がりすれば、それ以外の国内産品・サービスにまわせるお金が減るのは当たり前。 今年は消費税増税で政府に抜かれる分もある。 

そもそもインフレが一時的に上昇しても翌年には又需要減によるインフレ率の低下が心配されるのだとしたら「インフレにしさえすれば需要が増える」という話はなんだったのか、ということになるわけだが、不思議に思わないのだろうか??

敢えてプラス面?を言えば浜田宏一内閣官房参与の期待通りにインフレによる実質賃金の下落は順調に進んでおり、雇用も堅調に推移していることから企業業績(特に一部上場企業の)については更なる上積みが期待できるかもしれないが、既に完全雇用水準に到達しており、これ以上の実質賃金の下落による雇用刺激が経済全体に対してプラスになるとは限らない。

ああ、またも適当なウソを。

完全雇用水準になんて達してませんよ。

データを見てないのですかね。

先だって発表された雇用のデータを見ても、就業者は依然として増加しているのですよ。

自分に不利なデータは見ない主義ですか。

完全雇用かどうかの目安となる日本の構造失業率は3%台半ばとされており、既にこの水準に到達していることは黒田日銀総裁や岩田規久男副総裁も含め多くの当局者も認めているわけだが、新聞を読まないのだろうか? 

〔BOJウオッチャー〕-正副総裁が「完全雇用に近い」と発言、物価目標達成に自信か

黒田東彦総裁は、11日の金融政策決定会合後の記者会見で「労働市場がどんどんタイトになってきた。構造失業率は3%台半ばといわれるので現在の失業率3.7%は完全雇用に極めて近い」と述べた。19日都内で開かれた国際通貨研究所主催のパネルディスカッションでも、同様に「失業率もすでに3.7%まで低下しており、ほぼ完全雇用状態」と話した。

岩田規久男副総裁も24日に北九州市での講演で「失業率は3%台前半と推計される完全雇用での失業率に近い」とし、「労働者が有利なため賃金は上昇していく」との見通しを示した。

http://jp.reuters.com/article/marketsNews/idJPL4N0MM0GH20140325

ちなみに就業者数が増えているのは例えば以下のような「データ」を見る限り労働参加率が上昇しているからではないかと思われるが、既に不況により下がった労働参加率の回復は終わっており、その上で過去に例がない水準まで上昇し続けているわけで、今後どこまで労働参加率が上昇していくのかと現在が完全雇用水準にあるかどうかは直接的には関係がない。(これが関係あるのだとすれば労働参加率が今の水準より低かった過去の全ての期間は完全雇用に程遠かった事になるが、もちろんそんな事はない。)  


日本の場合はまだインフレ率が低いため、ターゲットを超え続けたインフレ率に関して英中銀が受けた逆風をすぐに経験する事は無いかもしれないが、もしインフレ率が2%を超えてくるような事態となれば、景気の動向に関係なく金融緩和終了への圧力が高まる事になるだろう。そして、ここで舵取りを間違えれば本格的なスタグフレーションに突入してしまうことになりかねない。

2%を超えたら金融緩和を終了し始めるのは当たり前ですし、このブログ主がスタグフレーションの意味を理解しているかどうか怪しいものですが、個人的には2%を超えても金融政策を安易に終了するべきではないと思います。

一旦は2%インフレ目標を掲げてしまった以上、まずはそれを達成しなければなりませんが、それ以降は名目成長率にも目配りした目標を掲げて金融政策を持続するべきだと思います。

本当なら名目成長率水準目標を採用するべきだと思いますが、名目成長率についての予想市場が現在は存在しないので、インフレ目標と名目成長率目標の併用というのがいいんじゃないかと思います。

インフレ目標は2〜3%の幅でとり、名目成長率(予想でなく実際の)は4〜5%の幅で目標をとって、両方達成することを金融政策の目的とする政策ですね。

インフレ率は金融政策の指針であって本質的な目的ではないので、より本質を観察しやすい名目成長率に重点をおくべきかと思います。

「2%を超えたら金融緩和を終了し始める」のが「当たり前」だといいつつ、本質的な目的のためには「すべきでない」としているあたりが、どっちなんだよ、と思わなくはないが、言いたい事がわからなくもない。

結局、リフレ派によってプロパガンダ的に主張されてきた「おはなし」ではインフレになれば景気はよくなるんだから、金融政策はマイルドインフレ(2%)を維持しさえすれば良いとされてきたわけだが、現実にはインフレ率があがっても景気が回復しないシチュエーションは(上述のユーロ圏の例のように)いくらでもありうる。 つまりインフレ率は2%に達したが、実質成長は0.5%程度しかなく、名目成長が2.5%にしかならないようなケースであり、金融緩和を維持或いは拡大すればインフレ率が目標を超えて高進し、かと言って緩和を緩めれば実質成長がs更に低下する可能性が高いというようなケースである。

日本の場合は現実問題としては名目成長がどうこうというような問題より財政的な問題でこのようなケースで金融緩和を緩めることは難しいと思われるが、ここで下手を打てば金融緩和はやめる事ができず、円安・インフレはどんどん進むが実質成長はなかなか改善しないという状況に落ち込むことになる。すなわち経済活動の停滞(stagnation)と物価の持続的な上昇(inflation)が共存する状態(stagflation)になってしまうわけである。

ちなみにこの人は名目成長率を目標とすべきという主張であるようだが、これは経済が停滞に向かおうとしているときにはインフレ率を平時より高めにすべきという主張であり、自ずと経済活動の停滞と高めのインフレ率という組み合わせが生じるわけだが理解しているのだろうか?


アベノミクスが期待通り機能していないことが明らかになりつつあるなかで、支持者の反応は「十分に成功しているんだ」と強弁するか、「過剰に反応しすぎであり、成果が現れるには時間がかかるんだ」とするか、「アベノミクスはリフレではない」と逃げるか、「全部、白川日銀のデフレ政策のせいだ」や「全部、消費税増税のせいだ」と責任転嫁するか、、、といった感じに分かれつつあり、特に「全部、消費税増税のせいだ」という声がかなり強いように見える。

筆者は消費税増税はやむなしだったと思っているが、残念なのは消費税増税なしでアベノミクス、或いはリフレ政策がどのような結末を迎えたかを見る事が出来なかった事である。まあ「怖いもの見たさ」的な残念さだから、見れなくて良かったのかもしれないが、

歓迎される金融緩和から批判される金融緩和へ

10月31日、黒田日銀が異次元緩和第二段を発表するとともに政府はGPIFの株の運用比率を引き上げる改革案を承認したことによって円急落&株価高騰の派手な動きを見せる事になった。 先日のエントリー(「為替トレンドはこれからどちらに向かうのか?」)では、これから円安に動くケースとして「黒田日銀が量的緩和第二段をぶちかますケース」を挙げたが、早速実現して「金融当局の動きが大きな影響を与えるような神経質な相場が当面は続きそうだ」と懸念した通りの展開となった。

今回の手筈や会見での態度を見ていると野球ファンの筆者にとっては黒田総裁の手腕は三原、仰木監督にならぶ「魔術師」と呼びたくなるほどある意味では鮮やかなものであり、先日の財政金融委員でごにょごにょ言ってた岩田副総裁辺りとは役者が違うと感心したが、そもそも野球監督ならともかく日銀総裁にとって「魔術師」的な手腕がプラスなのかどうかという点は置いておいても、肝心のその方向性について大きな疑問が残る。


金融緩和の第二段については黒田総裁の消費税に関する発言(参照)等を考慮すると、消費税増税の影響が看過できない水準だと判断すれば踏み切る可能性はあると筆者も見ていたが、早くもこのタイミングで切り札を切るとは思わなかった。

今回の金融緩和がサプライズになったのは第一弾を実施した際に、「これまでの日銀は「戦略を逐次投入していたためデフレから脱却できなかった」として「現時点で必要と考えられるあらゆる措置を取ったと確信している」と断言」し、その後も「戦力の逐次投入はしない」、「道筋は順調」と追加緩和の必要性を否定し続けてきたことに加え、世論の風向きが当初の「円が高すぎるから景気が悪いんだ。もっと円安を!」というものから「もう円安は十分、、、」というものへと変わってきており、そうでなくても米国の金融政策が正常化に進み始めた事により円安へと振れやすいところに更に円安を推し進めるような緩和拡大は難しいのではという観測があったはずである。


アベノミクス開始前は、円高とデフレが諸悪の根源であるかのように喧伝され、黒田日銀による異次元緩和による円安誘導はかなり好意的に受け止められたが、残念ながら「円安で輸出主導の景気回復!」が期待はずれだったことがはっきりしてきた。 安倍首相が党首討論で発言した「「十三年度の経常収支が間違いなく四兆六〇〇〇億円の黒字になる。そして、それは間違いなく賃金に変わる」(参照:「アベノミクスの終焉」)みたいな話は影も形もなく、むしろ交易差損が拡大する中で一部の企業とその関係者だけが利益を得て、その他の大多数の人間が置いて行かれていることが広く認識されるようになってきたわけである。


まず円安による輸入物価の上昇がコストプッシュインフレとして多くの国民の生活に影を落とすにいたって、円安、インフレにさえなれば景気が回復すると期待していた(期待させられていた)人々がおかしいと思い始めた。

そして、やや意外にも見えるが、次に「円安はもうたくさん」と言い始めたのは経済界だった(「経団連会長「これ以上の円安は日本経済にマイナスの影響」」)単純に海外市場向けの輸出だけを考えるなら円安はどれだけあっても困らないのだろうが、国内市場もまた彼らの収益源であることは間違いなく、そういった意味でもあまりに行き過ぎた円安が国内市場にダメージを与えるのは好ましくないという判断が働いたものと考えることができるだろう。(やや斜めから見れば、円安によって痛みを受けている多くの国民からの批判が、長らく円安を主張してきた経団連に集中しないように、という判断もあったかもしれない。)

又、最近のロイターによる企業調査(参照)によれば、110円超を超える水準まで急激に円安が進むようなら為替介入をして欲しいとこたえた企業が45%もあり、単に「もうたくさん」というだけではなく積極的に為替の急落を防いで欲しいとの声が強まっている。


こういった流れの中で、最後に残った「更なる円安」擁護派の顔ぶれを見ると、これはかなりわかりやすいメンツになっている。
それは「円安によって日本経済が復活するのは間違いないのだから、結果が出ていないのはまだ円安が足りないだけなんだ!」という感じの円安信者と、表向きは色々言いつつも、根底では株価さえ上がればなんだっていいと考えている投資家(投機家?)の人々である。 

ちなみに前者には「円安による輸出増が期待を下回っているのは円高の期間に製造業が海外に行ってしまったからであり円高を放置した白川日銀の責任だ!」みたいなパターンもあるようだが、製造業が海外に行ってしまっていたことをいまさら知ったとでも言うのだろうか? それをわかった上で「それでも円安になれば!」と言っていたのならその予測は間違っていたわけだし、それがわかっていなかったのなら問題外で、いずれにしろ言い訳にしてはお粗末であろう。 


円の急落阻止の為替介入まで求める声があるというのにあえて黒田日銀が異次元緩和第二段に踏み切った理由はといえば、「デフレマインドの脱却」らしい。 この辺りは初志貫徹とは言えるが昨今の実情を見るに、円高が諸悪の根源という見方と共に、デフレが諸悪の根源という主張にも陰りがみられるのではないか。

例えば、先日のエントリーで考察したクルーグマンの指摘によれば、リーマンショック後の欧米はバブル崩壊後の日本より酷い状況となったわけだが、別にデフレになったわけではない。つまり欧米についてはデフレがその酷い状況をもたらしたわけではないという事である。 特に欧州についてはこれからデフレに陥ってしまうのではないか?と懸念されてはいるが、これはリーマンショック後、デフレに陥るのを食い止めるべく積極的な金融緩和をやってここまではどうにかインフレをプラスに維持してきたけど、肝心の経済の低成長化を食い止める事ができずに徐々にインフレ率も低下してきてこのままでは結局デフレになりかねない、、、という流れであり、ここでは明らかにデフレは経済の低成長化の結果であって原因ではない(デフレになっていないのだから当たり前だが)。 

上記に加えて、異次元緩和以降のインフレは円安による輸入物価の上昇の後押しを受けたコストプッシュインフレの面が強く、これを更に進めてもインフレ率は上がるだろうが景気が好転するかは疑問である。 先日も小売り大手のローソンの社長が

「円安進行、日本全体でみるとあまり良いことではない=ローソン社長」

玉塚社長は、円安によりコストアップ要因が目立ってきていると指摘。輸入コストやエネルギーコストが上がることから「このくらいで円安スピードが止まってくれないと困る、というのが正直な感想」と述べた。
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPKBN0IO06H20141104

と発言していたが、つまり最終消費者にとってはもちろん、小売業者にとっても円安によるコストプッシュインフレがマイナスの影響を及ぼすレベルにまで来ているという事である。 


円安になれば輸入物価が上昇してコストプッシュインフレを引き起こし、消費に悪影響を与えることはある意味想定の範囲内ではあったのだろうが、それを相殺した上で更に日本全体としての景気を底上げするはずだった「円安による輸出増」が期待外れになっているわけで、これを倍プッシュしたからといって流れが急に逆転したりするのだろうか?

敢えてプラス面?を言えば浜田宏一内閣官房参与の期待通りにインフレによる実質賃金の下落は順調に進んでおり、雇用も堅調に推移していることから企業業績(特に一部上場企業の)については更なる上積みが期待できるかもしれないが、既に完全雇用水準に到達しており、これ以上の実質賃金の下落による雇用刺激が経済全体に対してプラスになるとは限らない。


この黒田日銀の倍プッシュが成功するのか?、結果が期待はずれだった場合の倍倍プッシュがあるのか?(やれるのか?)等は予測が難しいところだが、はっきりしているのはこれまでの「国民に歓迎される金融緩和」から「国民に批判される金融緩和」へと変わっていくであろうという事である。 リーマンショック後に積極的な金融緩和を行ない、今の日本と同様に「為替安・コストプッシュインフレ・実質賃金の低下」のコンビネーションを経験してきた英国でも、英中銀はその緩和的な金融政策への批判にさらされながら金融政策の舵取りを行なってきた。日本の場合はまだインフレ率が低いため、ターゲットを超え続けたインフレ率に関して英中銀が受けた逆風をすぐに経験する事は無いかもしれないが、もしインフレ率が2%を超えてくるような事態となれば、景気の動向に関係なく金融緩和終了への圧力が高まる事になるだろう。そして、ここで舵取りを間違えれば本格的なスタグフレーションに突入してしまうことになりかねない。 異次元緩和第一弾をぶちかました時からもう後戻りは難しいとは思っていたが、更に険しい道を進み始めたようである。 (願わくばその「魔術師」的手腕で最後まで乗り切って欲しいところだが、、)

クルーグマン教授は誰に謝るべきか?

クルーグマン教授がバブル崩壊以降の日銀の金融政策を痛烈に批判し続けてきた事は有名であり、「白川日銀総裁を銃殺すべき」とまで言ったとされているが、そのクルーグマン教授が「日銀に謝りたい」と言ったとかいう記事が注目を集めている。

クルーグマン教授“日本に謝りたい…” 教訓生かせぬEUのデフレ危機を嘆く
・クルーグマン教授「我々は今、日本に謝るべきだ」
 クルーグマン教授は、日本の「失われた20年」は、「反面教師として、先進国経済が進むべきではない道を示してきた」とNYTに寄せたコラムで述べている。そして、自身も日本が取った政策を批判してきた一人だと記している。しかし、「我々は今、日本に謝らなければならない」と心情を告白。批判そのものは間違ってはいなかったが、認識が甘かったとしている。

 それは、欧米が日本の教訓を全く生かすことなく、「起きるはずではなかった」数々の失敗を積み重ね、日本よりもさらに深刻な状態に陥ったからだという。「特に2008年以降の失態は、日本の失敗が霞むほどに大きなものだった」と嘆く。その例として、ドイツをはじめとするヨーロッパの緊縮政策や、「2010年以降のアメリカのインフラ支出の崩壊」を挙げている。また、欧州中央銀行がインフレを予防するために行った2011年の利上げは、「積極的に成長を破壊した」致命的なミスだったと指摘する。

 欧米が日本の教訓を生かせなかった理由については、「我々の社会に巣食う根深い格差のためだと思う」と述べている。
http://newsphere.jp/economy/20141031-5/

まあ、少し読めばわかるが(或いはクルーグマン教授の普段の言動を知っていれば読まなくてもおおよそ想像がつくが)クルーグマン教授が本当に自らの発言を悔い改めて「謝りたい」と言っているわけでもなんでもない。 欧米がリーマンショック後に「日本の失敗が霞むほど」酷い状況となったのは、欧米がクルーグマン教授が主張するような正しい政策を取らずに日本以上に「起きるはずではなかった」数々の失敗を積み重ねたからであり、そうした失敗をしてしまったのは「我々の社会に巣食う根深い格差のためだと思う」という従来からの主張を皮肉を交えて展開しているに過ぎない。


しかし、この主張は「クルーグマン教授の主張が正しい」という大前提を置けば成立するが、その前提を疑うなら全く違った見方も可能である。


クルーグマン教授が指摘するとおり、リーマンショック後の欧米の状況は「日本の失敗が霞むほど」酷いものとなった。 クルーグマン教授はそれを欧米の当局が日本以上の「起きるはずではなかった」数々の失敗を積み重ねたからだとしているが、少なくともリーマンショック直後の世間の評価はそれと真逆であり、特に欧米の金融当局は「日銀の失敗」を教訓にして積極的な金融緩和で「日本のようになるのを防いだ」として、一部の人々には賞賛され、日銀は今からでもこの「世界標準」の政策を見習うべきだ、と繰り返し主張されてきた。 しかしそういった声は欧米の状況が「日本の失敗が霞むほど」酷いものだと明らかになってくる頃には逆に欧米の当局が日本以上の数々の失敗をしたという声に取って代わられる事になった。


では、本当に「欧米が日本の教訓を全く生かすことなく、「起きるはずではなかった」数々の失敗を積み重ねた」のだろうか?


そもそもクルーグマン教授達が主張するような政策は机上の空論であり、そもそも「出来るはずのなかった」政策であった可能性がある。
例えば米国はクルーグマン教授が支持する民主党のオバマ政権の第一期で支持率も高かったしFRB議長もバーナンキであり、環境的にはクルーグマン教授が主張するような政策を行なうのに非常に適していたはずである。 なのにそれが実施できなかったのはクルーグマン教授の視点からすれば共和党が妨害したから、ということになるのかもしれないが、アメリカが一党独裁の国でない事など最初から明らかであり、その上で出来なかったのだとすれば、それは当局が「起きるはずではなかった」数々の失敗をしてしまったのではなく、むしろクルーグマン教授達が「出来るはずのなかった」政策を期待していたにすぎない、というほうが当てはまっているだろう。まして米国よりも制限がきつい欧州ではもっと「出来るはずのなかった」政策だったはずである。


また、クルーグマン教授達が日銀がとるべきだったと主張していた政策が期待していたほどの実効性がなかった、という理解も可能だろう。
リーマンショック後、欧米の当局は「日銀の失敗」を教訓として積極的な金融緩和を敢行した。 「バブル崩壊後の日本の失われた20年はひとえに日銀の緩和不足のせいだ」という教訓が正しければ、これで日本のようになるのは避けられるはずだった。 しかし結果は日本以上に酷い状況に陥ってしまうこととなった。 


この二つも見方は独立しているわけではない。 例えば「効果が出るまで緩和し続ければ絶対に効果があったはずだから、それが不十分になってしまったことが失敗だ」みたいな論調も見かけるが、これは前者と後者のミックスであり、「ある程度の規模の金融緩和なら実施可能であり、それで足りるはずだったが、実際にやってみると期待していたほどの効果が出なかった。しかしながら効果が出るまで無制限に緩和し続ける、みたいな政策は反対の声が強すぎて実施できなかった。失敗したのは反対した人間のせいだ。」みたいな話になっているのである。


筆者は欧米でリーマンショック後に取られた積極的な金融緩和と銀行への公的資金の注入といった政策が間違っていたとは思っていない。 それは日本が試行錯誤の末にたどりついた政策の一つであり、一定の効果がある事は日本でも実証済みであったが、それでも日本の事例から本当に学ぶべきであった教訓は「金融危機へと繋がる信用バブルはたとえかなりの代償を払ったとしても可能な限り早期に押さえ込むべき」というものだったはずだと筆者は考えている。 (特に、欧州のように金融・財政政策がとりうる手段が制限されている状況下では、尚更この教訓を学ぶべきであったはずである。)

しかし、甚だしきは「白川日銀総裁を銃殺すべき」とまで加熱した日銀批判は「日銀のような大きく間違った政策さえ採らなければたとえ金融危機が起こっても日本のようにはならない」というあやまった過信を欧米当局者が持つことを後押ししてしまったようにみえる。 ここでタイトル(「クルーグマン教授は誰に謝るべきか?」)に戻れば、このようなあやまった過信が欧米当局者の金融危機への事前対策の矛先を鈍らせたのだとすれば、日銀批判を展開したクルーグマン教授達が謝るべきは日本だけでなく、「日本の失敗が霞むほど」酷い状況に追いやられた欧米の国民も対象とすべきなのではないだろうか。

為替トレンドはこれからどちらに向かうのか?

先日のエントリーでは常に「もっと円安を!」と叫び続ける円安中毒な人はともかく、普通に見れば円安はかなり進んでおり、実質実効為替レートで見れば1985年のプラザ合意後の最安値圏内に既に突入していると指摘したが、とりあえず足元では急速に進みすぎた円安ドル高は調整局面を迎えているようである。


これをもって「やはり為替水準は円安になりすぎていた!」と言う事も可能かもしれないが、もちろんそれほど簡単なものではない。 結局のところ、為替は常に両方向への圧力を抱えており、それは歴史的な円安水準にあるときでも同じであり、もとの水準へと回帰する圧力と共に、更に円安へと落ち込んでいく圧力もまた存在する。 今回はこの歴史的な円安水準を更に円安へと動かす可能性のある要因について考察してみる。


まず、現在の為替水準が歴史的に見ればかなり円安のほうに振れている事を二つの図で確認しておく。 一つは前回も示した実質実効為替レートの推移を示しており、一つはドル円の購買力平価に基づく為替レートと実勢レートの推移を示している。 実質実効為替レートはプラザ合意後最安値水準になっており、購買力平価に基づく為替レートとの比較でも、輸出物価PPPから円安方向へと乖離し、プラザ合意後ほとんど上に抜ける事がなかった企業物価PPPのラインを更に上に抜けようとしている。



「社会実情データ図録」様より(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5072.html


「国際通貨研究所」様より(http://www.iima.or.jp/research/ppp/


一方、現状が歴史的な円安水準であるからといって円高に戻る必然性があるという訳ではない。 今回の為替の巻き戻しも「円安・米株高トレンドは鉄板だぜ!」みたいな感じで踊っていた一部の一般投資家(投機家?)はがっつりやられたようだが、結局のところトレンドが反転したとかそういう話ではなく急激に進んだドル高トレンドへの一時的な調整に過ぎないようにも見える。 2012年末以降の円安ドル高トレンドが始まってからでもこういった調整は何度か起きており、今回が初めてというわけでもない。 



「Yahoo finance」様より


で、本題の今回の調整が終わった後の為替の行く末を考えると、上述の通り水準的には既にかなりの円安水準であり、そろそろ巻き戻ってもおかしくないという見方もある一方で、更に円安が進むのではないかと懸念される要素も複数存在する。 


まず、一つ目は米国の利上げが想定以上のペースで進むケース。 直近の急激なドル高やその後の反落は米国の景気に対する見方が完全には定まっていない事を示唆しており、依然として利上げがどのように進んでいくかは予断を許さない状況と言える。 利上げペースが予想を上回れば短期的には円安に振れるだろうし、逆に大きく遅れるようならもう少し大きな調整(円高ドル安)が行なわれる事になる。 更に言えば、米国で高騰してきている資産価格がバブルとして弾けてしまえば、リーマンショック後に逆戻りで再び円の高騰も予想されるわけで、ドル円レートに対して大きな影響を持っているのは引き続き米国の景気とそれを受けたFRBの金融政策の成り行きという事になるだろう。


二つ目は逆に黒田日銀が量的緩和第二段をぶちかますケースで、最初の時ほどの威力があるかどうかは不明だが、その規模によってはある程度の影響は期待できるだろう。


三つ目は現状の水準が歴史的な円安水準ではあっても現状の日本のファンダメンタルズが更に弱く、更に安い為替水準が適正水準であるケース。 コモデティ価格の高騰はその殆どを輸入に頼っている日本のファンダメンタルズを確実に弱めているし、大企業を中心に工場を海外へと移転してきたことも結果として円安に対する反発力を奪っている。 リーマンショック後の為替相場はいわゆる金融相場になってしまっており、ファンダメンタルズが為替相場に直結しているわけではないものの、やはりファンダメンタルズが潜在的に弱っていれば、円安圧力になるはずである。


そして最後はテールリスクに属するシナリオという事になるのだろうが、財政破綻リスクの高まりによって円の投売りが行なわれる可能性も完全には無視できない。 日銀が巨額の国債を購入し続けても今のところ表立った弊害が出ていないのは結局のところ流動性の罠下にあるおかげであり、永久に続けられるわけではない。 流動性の罠を抜けた後も同じような国債の買い増しを続ければ、インフレの高騰+円の暴落を引き起こす事態になる可能性もないとは言えないだろう。


いずれにせよはっきり言えるのは、リーマンショック後から続いているファンダメンタルズよりも金融当局の動きが大きな影響を与えるような神経質な相場が当面は続きそうだという事であり、いつになったら金融相場を抜け出して業績相場へと正常化されるのか全く想像がつかない、というようなうんざりする状態が当面は続いていくという事だろう。