量的緩和でインフレリスク上昇 は杞憂だったのか?

米国の量的緩和が終了の見込みとなり、「量的緩和を行えばインフレリスクが高まる」という懸念はやはり杞憂だった! という主張がよく聞かれるようになってきた。 筆者も以前から量的緩和のリスクとしてインフレへの懸念を挙げていたが、これが杞憂に終わったのかどうか判断するにはまだ早いと考えている。 

なぜそう考えているかを説明するには、そもそもなぜ量的緩和に高いインフレを引き起こすとリスクがあると考えていたのかを説明する必要があるが、それについては既に2013年2月の岩田規久男氏の日銀副総裁就任時のエントリー(「岩田規久男新日銀副総裁 -日本のフリードマン- は何を金融政策にもたらすのか」)に書いているので、以下にそれを抜粋してみる。 


<以下2013年2月のエントリーより抜粋>

弊害については様々なものが考えられるが、その弊害の中でも分かりやすいのはインフレのリスクである。

よく「デフレ下では金融政策の効果自体が薄いと主張する一方でインフレの心配をするのは矛盾している」という批判が聞かれるが、こういった批判は物事を単純化しすぎているように筆者には思われる。

このデフレ下での金融政策無効論とインフレ懸念論は同じ問題意識の裏表であり、要は金融政策が短中期に信用乗数(貨幣乗数)をコントロールできるのかという問題である。「ハイパワードマネー×信用乗数=マネーサプライ」は恒等式であり、マネーサプライとインフレの間に密接な関係がある事は分かっている。つまり金融政策とインフレの間の問題は金融政策が信用乗数をある程度コントロールできるか(もしくは信用乗数は金融政策に拠らず安定的なのか)という問題だとも言える。

この観点からみれば、金融政策無効論はデフレ下では(日銀が直接コントロールしている)ハイパワードマネーを増やしてもその分信用乗数が減るだけでマネーサプライへの影響はきわめて限定されるという考えであり、一方インフレ懸念は、もしインフレ率が上がらないからとハイパワードマネーを積み上げすぎると、信用乗数が少し上昇しただけでもマネーサプライが爆発的に増えるため、その時になって少しくらいハイパワードマネーを回収してもマネーサプライの短期的な急騰を抑えきれないのではないかという考えである。


ちなみにこれは特別な考えでもなく、例えば金融緩和に積極的であった前FRB議長のグリーンスパンも2003年6月のFOMC会合で以下のように述べている(以下、「himaginaryの日記」様の翻訳より引用。オリジナルはこちら。太字は筆者。)。

グリーンスパン議長
・・・私は答えを知らないし、このテーブルに座っている誰も答えられないであろう、興味深い問題がある。しかもそれは決定的に重要な問題なのだ。量的緩和のパラダイムでは、貨幣と物価の関係は長期的には極めて密接であると一般に仮定されており、皆それを暗黙の前提として話をしている。その仮定によれば、貨幣供給を無限に増やせば、物価水準はとにかく上昇するのであり、そうでなければ、我々は皆経済学の学位を大学に返上すべき、ということになる。しかし、我々が分かっておらず、残念ながら想定という形を取っていること、それも取りあえず無意識のうちに想定していることは、貨幣供給の増加と物価の上昇との関係は連続的かどうか、という点である。我々は微積分で言う不連続性がその構造には存在しないと信じる傾向にある。私が敢えて言いたいのは、それが本当にそうなのか我々は分かっていない、ということだ。実際のところ、私は日本人がひたすら貨幣供給を増やしてきたことをいつも懸念してきた。彼らは法外なまでにマネタリーベースを増やそうとしている。物価水準は低下するのをやめ、上昇に転じた後、爆発的に上がっていくかもしれないが、その際の不連続性は極めて危険な現象である。彼らの債務の額、貨幣供給量、金融システムの状況は我々が知っている通りだ。
中央銀行が貨幣――多くの場合ハイパワードマネーだが――を創造し続けているにも関わらず、物価水準が下落を続ける、と信ずべき長期的な可能性は存在しない。そうしたことが起こるとはまず信じられない。
しかし我々は、スムーズかつ非不連続的な方法でそれを逆転させることができ、その変化はディスインフレ状態の金融システムから穏やかなインフレ状態の金融システムへの転換といった形で現われる、と想定している。それが本当だったら良い、と私も思う。その点を明示的に確認せずにこの席でそうした話がなされていることは私には分かっている。私はその点について証明した人を誰も知らないし、そうした現象が実際に起こるまで本当かどうか分からないのでは、と考えている。ということで、ここでは問題の提起に留めておく。これについて素晴らしい洞察をお持ちの方がいれば、是非メモを拝見したい。
http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20120221/the_his_pathologist_role_larry_ball_missed_a_couple_of_important_signs

<抜粋終了>

ちなみにこのグリーンスパンの発言に対して、「議長、大恐慌時代のデフレーションは極めてスムーズに終了しました。1932年のインフレ率はマイナス8%で、1933年はプラス1%でした。ということで、実例が一つあります。」と答えたバーナンキが、その後FRB議長となって量的緩和でマネタリーベースを「法外なまでに」積み上げたわけだが、結局の所このグリーンスパンの問いについては未だに「証明した人は誰も知らない」状態のままである。

やや楽観的にみれば、米国は「ディスインフレ状態の金融システムから穏やかなインフレ状態の金融システムへの転換といった形」が形になりつつあるようにも見えるが、それほど簡単なものではないだろう。 逆に、もしこれが必ずうまくいくならその意味するところは非常に大きい。つまり経済が流動性の罠下にある場合は中央銀行が巨額の財政ファイナンスを行なってもインフレというコストを最後まで払わずにすむかもしれないという話であり、これが事実なら財政再建の為には国債残高を買い切るまで「流動性の罠」を大切にすればいいという事すら考えられる。

いずれにしろ過去、先進国がこぞってここまで短期間にハイパワードマネーを積み上げたことは一度も無く、当然実例もない。この壮大な社会実験の結果がどのようなものになるかはやはり「そうした現象が実際に起こるまで本当かどうか分からない」だろう。