黒田日銀総裁の消費税増税支持について

最近の黒田日銀総裁による消費税についての発言は主に消費税先送りを支持する人々から色々と批判を受けているようである。 その発言の内容をざっくりまとめると

  • 増税した場合のリスクと先送りした場合のリスクを考えると、増税して予想した以上に景気が落ち込んだということであれば、その時点で財政・金融的な措置をとって対応する事が可能であるが、確率は非常に低いであろうが、仮に先送りによって政府の財政再建に向けた決意、方針に疑念をもたれて国債価格が大きく下がったりすると財政・金融政策で対応する事が非常に難しくなる。(から先送りすべきではない)

というような感じであるが、原則論で言えば日銀総裁の発言としてはかなり踏み込みすぎであるものの、発言の内容としてはある種の筋が通っており、一般的なものに過ぎないように見える。

就任早々異次元緩和をぶっぱなした黒田日銀総裁は金融政策の効果を非常に高く考えているタイプの中銀総裁であり、そういった意味ではバーナンキらと近いスタンスの人ではないかと思うが、そうであるが故に非常に低い確率であっても金融政策が機能しなくなるような状態を招きかねない増税の先送りよりは、高い確率で景気に悪影響を与えるだろうが、それが予想を上回った場合でも財政・金融政策で対応可能な(と黒田日銀総裁が考えている)増税断行の方がよいと判断しているわけであり、氏が考えているほど金融政策の効果があるかどうかはともかく全体のロジックとしては筋が通っている。


同様の議論は一足早く増税にふみきったイギリスでも生じていたものであり、既に何度か紹介したことがあるが、参考までに経緯をまとめてみる。


イングランド銀行のキング総裁(当時)はかねてから財政再建の必要性を強く訴えていたが、2010年にキャメロン政権が緊縮財政に踏み切ったときにはかなりはっきりとした支持を打ち出し、それに対してやはり政治への介入だと批判を受けている。 

財政赤字削減の緊急性高まる、金利据え置きでもインフレ目標達成=英中銀総裁 (2010/05/13)
http://jp.reuters.com/article/treasuryNews/idJPnTK869202320100512

イングランド銀行(英中央銀行)のキング総裁は12日、ユーロ圏の債務危機は英国の赤字削減に向けた取り組みの緊急性を高めたと述べ、キャメロン新政権の赤字削減計画を支持する姿勢を示した。

総裁は英中銀の四半期インフレ報告発表の記者会見で、今年度中に60億ポンドの歳出を削減する連立政権の計画は市場での借り入れコスト急上昇回避に貢献すると述べた。

キング総裁の歳出削減策支持、政治論議への介入との懸念=FT (2010/11/10)
http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPJAPAN-18089920101110

英フィナンシャル・タイムズ(FT)紙は10日、英中銀のキング総裁がキャメロン政権の歳出削減策を支持したことは政治論議への介入にあたるのではないか、と英中銀の一部高官が懸念している、と伝えた。


また、ロイターで検索するとイギリスが緊縮に踏み切ってからおおよそ2年後の2012年にもキング総裁の財政に関する発言が再び取り上げられている。 そこではキング総裁は10年物国債の利回りが低下した事を成果として挙げ、「賢明な財政政策」だったと評価している。

英国の財政再建努力は正しい方向に、当面は低金利継続=中銀総裁 (2012/05/03)
http://jp.reuters.com/article/treasuryNews/idJPJT812834620120502

 総裁は「市場が確信するとともに成長を阻害しないペースで財政赤字削減を着実に進める、信頼ある財政再建策を策定することが非常に重要だ」とし、「われわれはその点において、うまく両立している」と述べた。

 2年前は4%程度でほぼ横並びだった英国、スペイン、イタリアの10年物国債の利回りは、現在では英国が2%程度に低下する一方、スペインとイタリアは6%近くに上昇していると指摘。

 「スペインやイタリアと異なり、英国は自国の通貨を有している。そのためポンドの価値を低下させ、英経済の競争力を高めることができた」とし、英国は賢明な財政政策に加え、自国通貨の恩恵を受けてきたとの見方を示した。

しかし、この頃になると「ユーロ圏の債務危機は英国の赤字削減に向けた取り組みの緊急性を高めた」状況は緩和された一方で、景気が低迷を続けていたため、「政府がタブーを破って緊縮路線から公共投資拡大へ軸足を移す」べきという声も高まっていた。

英政府の財政緊縮路線は正念場、成長促す支出求める声も(2012/07/03)
http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPTYE86203X20120703

1930年代の大恐慌以来という長期経済不振に直面する英政策担当者は、1930年代当時の状況から教訓としての打開策を探し求めている。しかしその答えは、財政緊縮に専念している政府にとって、意にそぐわないかもしれない。

保守党と自由民主党の連立政権が発足した2010年5月、大規模な財政赤字を減らすことが最優先の目標だった。それが今では経済成長が政策課題として浮かび上がりつつある

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連立政権発足時にはオズボーン財務相にとって、5年以内に国内総生産(GDP)の11%を超える財政赤字をほぼ一掃するという目標が、暗闇を照らす灯火だった。その後政府が期待したような投資や輸出が成長をけん引するという局面は実現せず、2015年の総選挙前に緊縮策の成果を出すにはもう時間はほとんど残っていない。

結局、2012年の半ばには漸くユーロ圏の危機も落ちつきを見せ、それと連動してイギリスも安定した経済成長トレンドに乗り2013年以降は先進国でトップクラスの経済成長を達成するに至ったわけであり、結果を見れば緊縮政策はイギリスでは最低限の役割を果たしたと言えるだろう。


まず、もっとも緊急性の高かった「市場での借り入れコスト急上昇回避」は達成できた。これが回避できなければ財政危機まっしぐらだったわけで、景気停滞どころではない惨事が起こっていた可能性が高く、これが達成できただけで目的の半ば以上はその時点で達成していたといってもいいはずである。 緊急性も下がり、金利も落ち着きを見せていた2012年頃には景気が停滞しているからという理由で財政再建は失敗だった、的な意見も見られるようになってきたが、これは「のどもと過ぎれば、、」というような話であり、前述の通り「市場での借り入れコスト急上昇回避」は達成できているのだから、失敗だったとは言えないだろう。

一方、見通してして甘かったのは財政再建による負の影響を相殺/緩和すべく拡大し続けた金融緩和の効果が期待を下回っていた事だろう。 イングランド銀行はインフレ率がインフレ目標を上回り続けてもそれに目を瞑って金融緩和を継続し続けたが、貸出金利の低下による投資の促進や為替安による輸出増が成長を牽引するというような局面はなかなか実現せず、またユーロ圏の危機も長引いた為、景気は停滞しつづけた。 「市場での借り入れコスト急上昇回避」は達成できたが、英国民は大きな痛みを受けることになったわけである。

ちなみに筆者は金融緩和の効果が予想を大きく下回っている事がわかった時点で、たとえ少しはプラスの効果があったとしてもその副作用(コスト)を考慮するならそれ以上の緩和は避けるべきだったと思っており、第二段、三段の量的緩和拡大には反対だったが、財政再建+金融緩和の組み合わせ自体は、金融緩和の効用がコストを上回っている限りは有効だと思っている。


最後に日本のケースに戻ると、当時のイギリスに比べれば日本の現況は財政再建に適した環境であるように見える。 失業率はもともと完全雇用に近い水準であり、例え景気が停滞して失業率が横ばいになってもイギリスのように失業自体が大きな社会問題になるような環境ではない。又、ユーロ圏の危機と連動して既に金利にまで影響が出ていたイギリスとは異なり、追い込まれての財政再建というわけではないので、やってみて予想以上に影響が出れば財政出動で仕切りなおす余地もある。追い込まれて低成長・高失業率下で財政再建を行なわざるえなかったイギリスと比べればかなりマシなはずである。 
ちなみに日本はそこまで追い込まれていないのだから先送りするという選択肢も取れなくは無いが、追い込まれていないからと言って先送りし続ければ、追い込まれて財政再建せざる得なくなる時がいつかは起こるし、それはほぼ間違いなく不況時になる。 もう少し適した時期まで先送りするだけ、というのは耳あたりはいいが潜在成長率が低い日本で、曲がりなりにも完全雇用がほぼ達成できている現況よりも明らかによい状況が(バブル以外に)そう簡単に到来するのか疑問であるし、そもそも日本の財政の悪さは景気がよいときだけ財政再建に励めばよいというレベルを超えている。 依然、直ちに財政危機に陥る可能性は非常に低いとは言えるだろうが、十分に低いと言えるかどうかは疑問であり、かつ昨年より今年、今年より来年とその可能性はが徐々に上昇しつづければ、いずれは「このままだといつかは起こる」が「そのいつかは今ではない」と言われ続けてきた危機が本当に起こってしまいかねない。先送りすれば直ちに破綻するわけでないことは、今やらなくてもよいことの絶対的な理由にはならないことをよく理解すべきであろう。