緊縮・財政再建・経済成長

緊縮による財政再建について肯定的に書くと、書いてもいないことに対する批判が集まることが多いので、今回は筆者が重要と思っている点を幾つか整理して書いておきたい。


1. 殆どのケースでは緊縮は景気に対して抑圧的である。

緊縮を肯定的に書くと、「多くの国では緊縮した時に経済成長は鈍化しているからそれは間違いだ」みたいなコメントをもらうことが多いが、そのことと緊縮の是非は直接的には関係ない。


そもそも単純に考えれば緊縮が必要になるのはその前段階として借金を増やしているわけで、借金を増やして景気対策をやれば短期的には景気の下支えになるのと対で考えれば、緊縮するときに景気が抑圧されるのは当たり前と言わざる得ない。 借金を増やす時も減らす時も景気に対して拡張的なんて摩訶不思議なことは起こりようがないわけである。 

その上で緊縮が長期的には経済成長にプラスになるということも別に否定されるわけではない。 たとえば緊縮する過程において経済が抑圧されるとしても、借金を膨大に抱えた状態と、そうでない状態を比べれば他の条件が同じであれば景気のベースラインは後者の方がよいはずである。 (例えば同じ歳入・歳出でも1000億円を金利払いに使うより公共事業に使う方が景気浮揚効果はあるはず等)

又、財政危機が目前に迫っていれば、緊縮が短期的に景気に与える影響なんて小さなことは考えていられなくなる。 そんなものは財政破たんの悪夢と比べればはるかに影響は軽微であり、目先の危機回避のためになりふり構わない緊縮へと突き進まなければならなくなることになる。


2. 緊縮・財政再建は好況時にやるべき、論は間違ってはいないけど、、

「好況の時こそ財政再建に励むべきだ」という一般論に反対する人は居ないだろうが、それは「不況時に財政再建をやるべきではない」ということと同義ではない。そもそも好況の時に十分な財政再建が行なわれていれば普通なら少しくらいの不況になっても財政危機に陥いる可能性は低いわけで、それができていないから不況の時に財政危機に陥ってしまうわけだ。(例外有-後述4参照)

それでもなお「不況時に財政再建をやるべきではない」のだとすれば、好況の時に十分な財政再建を行なわなかった国はいつ、どうやってそのつけを払えばよいのか? 次の好況の時に払えばいい? じゃあその次の好況のときにも払わなければその次の不況の時にはどうなる??

結局のところ「不況時に財政再建をやるべきではない」と」なんてのは耳にやさしいが、それが常に正であるためには問題を永久に先送りできるという前提が必要ということになる。

好況の時にきちんと財政再建をやっていれば不況の時に緊縮するという苦しい状況に陥らなくてすむという意味で「好況の時こそ政再建に励むべきだ」というのは全く正しいが、それをやっていなかったつけが本格的に回ってきたときには「不況時だから財政再建をやるべきではない」なんて悠長なことは言っていられないわけである。


3. 緊縮の程度の妥当性については評価困難だが、、

イギリスの例でいえば、緊縮するにしてももっとマイルドな緊縮をすべきだったとの声は依然強いがこれは正しいかもしれないし、間違っているかもしれない。 アカデミックには様々な議論が可能だろうが、結局のところ正解は誰にもわからないだろう。

ただ、はっきり言えるのは、過剰と評価されるほどの緊縮を景気の底近辺で敢行したイギリスの例でも、反緊縮派がしきりに主張していた「不況時に緊縮をやればかえって財政が悪化する」というような事態は起こらなかったということである。

これが意味するところは結構大きい。不況下で財政危機に直面した国にとって「苦しくても緊縮して財政再建を進める」という選択肢は、「緊縮を拒否し、むしろ財政出動して景気刺激を優先する」という、場合によっては財政破たんに繋がりかねないような選択肢よりも堅実に見えるし、取りやすいものである。 それを否定するために反緊縮派は、「不況時に緊縮をやればかえって財政が悪化する」論を主張していたわけだろうが、現実にはそうはならなかったわけである。


4. 不況時に緊縮を行う羽目になりたくなければ平時から金融システムの安定にも目を配るべき
これは近年の傾向と言えるかもしれないが、長年にわたり膨大に財政赤字を積み上げつづけてきた国でなくても突如として財政危機に見舞われるケースが散見される。 たとえばアイスランドやスペイン、そしてイギリスもその傾向があったといってよいかもしれないが、好況時に膨らんだバブルがはじけて銀行への公的資金注入等の手当に莫大な資金が必要となり、いきなり財政危機に陥るパターンである。

このケースでもアメリカのように地力があれば金融緩和+財政出動で乗り切ることも可能かもしれないが、信用バブルの後始末にかかるコストが経済の地力に対して過重であれば、財政危機へとつながり、緊縮等によって身を削っても返済能力を確保するという姿勢を市場に示すことが迫られることになる。

よってこのような事態を回避するためには財政の健全性と共に平時から金融システムの安定性にも目を配るべきであり、つまりバブルの目を早めに摘むことが肝要ということになる。


5. 自国通貨建ての国債であれば財政破綻はしない?

最後にいまだに根強いファンが居るらしい自国通貨建て国債なら破綻しない論についても一応書いておくと、何が起ころうと債務不履行だけ避ければよいということであればこれは正しいが現実を考えると全く間違っている。

確かに自国通貨建ての国債であれば原理的には中央銀行が輪転機をフル回転することで無限に返済することができるが、債務残高が通常では返せないような状況になったときにそんな手を使えばハイパーインフレへ一直線である。 そして債務不履行とハイパーインフレのどちらがましかと言えば、当然債務不履行が選ばれることになる。 つまり自国通貨建ての国債であっても財政破綻はするわけである。


関連してユーロの問題についても触れておくと、ECBがギリシャをもっと簡単に救えたかどうかだけを問えば、能力的にはもちろん救えただろう。ただ、それは自国通貨がどうこうという話ではなく、より大きな経済主体の信用を背景にした中銀は小さな経済主体の財政問題を解決する能力があるというだけの話であり、別にECBでなくても日銀でもFRBでも能力的にはギリシャの財政問題を解決する能力は十分にある。 もちろん日銀やFRBがそのようなことをする筋合いは全くないし、同様にECBの背後にいる国々も筋論的に言えば、そんなことをする義理は無い。(但し、義理はなくても損得勘定で考えて支援する方が自らの利益を守ることができるとなれば、支援する可能性はもちろんある。 但しその場合でも当事者が痛みを回避できるほどの支援をする義理はやはりなく、つけはしっかりと回収される。)

ギリシャの財政危機の問題は、ユーロ債としての信用力が過信された結果としてギリシャ国債の信用力が過大に評価されつづけてきたことにより、自国通貨建てで国債を発行していた場合比べてはるかに安い金利で資金を調達できたため、その本来の返済能力に見合わない債務残高を積み上げることができてしまったことにある。これはユーロが成立する前から懸念されていた問題でその対策は各国が財政規律を守ることにあったはずだが、多くの国はこれを守らず、結果として財政危機に直面することになった。 財政危機は天災ではなく政府の失政の結果であり、最終的には国民がそのつけを払わない限り問題は解決されないことはユーロ圏の国だろうが変わりはないわけである。