長期金利に簡単に上昇してもらっては困る理由

黒田日銀の異次元緩和で目標として挙げられた波及ルートの内、「長期金利の引き下げ」についてはあまり上手くいっていない事は既に多くの人にとっては明らかだろう。


この問題については、黒田総裁が異次元緩和後の会見(参照)で

記者 「1 点目は、本日、一段と長期金利が下がっているので念のため伺います。総裁が資産バブルの懸念はないとおっしゃる時には、国債相場についても、バブルの懸念が生じている、あるいは既にバブルになっているというお考えはないのかどうか、教えて下さい。」

黒田総裁 「1 点目について、私は、特に国債バブルが生じているとは思っていません。イールドカーブ全体にわたって引き下げようというのが、まさにこの「量的・質的金融政策」の中間的な目標ですから、当然のことながら、価格は上がり金利は下がると思います。」

と明確に"名目"で金利を引き下げるのが「中間的な目標」だと述べており、解釈が違うというようなありがちな主張は難しい。


そこで、試行錯誤の末?、フィッシャーの方程式(名目金利=実質金利+期待インフレ率)を持ち出し、「期待インフレ率が上がったんだから名目金利が上がるのは当然だ!」というロジックが「実質金利は下がっているからいいんだ!!」、という話と共にリフレ派的模範解答として定着しつつあるように見える。


しかし、この模範解答には大きな問題がある。 それはリフレ政策によるデフレからの脱却の過程においてこの「名目金利=実質金利+期待インフレ率」がそのまま機能してしまえば、リフレ政策が財政危機を誘発する可能性が非常に高いことである。


もしリフレ政策がインフレ率を2%まで上昇させることができ、それがそのまま名目金利の上昇に繋がるなら、財政均衡から程遠く、かつ膨大な国債残高を抱える日本の財政はむしろ逼迫する可能性がある。 今の非常に低い金利水準ですら税収のかなりの部分が金利負担に充てられており、又金利負担の増え方という意味では金利が1%から4%になるのは3%から6%になるのとは訳が違う。 もちろん金利上昇の影響がすぐに全ての国債残高に掛かってくるわけではない。 しかし、そういった遅延効果やデフレ脱却の過程で大幅な税収増が期待できるという主張を受け入れたとしても結論は殆ど変らないのではないか。 それほど日本の財政状況は悪い。 もちろん税収弾性値が長期にわたって非常に高い値(4とか)をとり続けることが可能ならその限りではないが、そんなことはありえない。 又、実際には高齢化による社会福祉等の公的負担はどんどん増加するわけで、ハードルは更に上がるだろう。

ましてやフィッシャーの方程式通りなら、「期待インフレ率」が上昇した時点でインフレ率に先んじて名目金利は上昇しはじめるわけであり、もし「期待インフレ率」が上昇した後もなかなかインフレ率が上昇せず、したがって景気の本格回復も進まないということになれば財政への影響はより早く、強くでる可能性もある。 なによりこういう状況に陥れば、財政懸念により名目金利にフィッシャー効果以上の上昇圧力がかかってくるはずである。


つまりリフレ政策がインフレの引き上げに成功するとしても、期待インフレ率が上昇し、その後、実際のインフレ率が上昇、それが名目GDPの増加と税収の大幅な増加となって財政を大きく改善するまでの間に、そう簡単に名目金利が連動して上がってもらっては困るのである。


もちろんこのような問題は以前から議論されており、リフレ派的模範解答も用意されている。 一つはフィッシャー効果は不完全雇用時には弱まるというものであり、もう一つはデフレ下ではフィッシャー効果が実現しないというもので、両ロジックともにそれなりに説得力はあるが、十分に実証されている訳ではない。

つまり日本で行われている「壮大な実験」で検証されようとしている対象の一つは、上記の模範解答が正しいかどうか、つまり金融政策によって期待インフレ率の上昇と、名目金利の抑制を同時に行う事ができるかどうか、という事になる。 これが上手くいくならリフレ政策に喧伝されたほどの効果が無かったとしても「大失敗」はないだろう。


前回も書いたように筆者は足元での金利の乱高下についてはこの荒っぽい「実験」におけるノイズであり、それほど大きい意味があるとは見ていないが、かといってこの本来の「実験」の結果については全く楽観視していない。 上記の模範解答はデフレ脱却時についてはその通りかもしれない。 足元で乱高下があったとしても期待インフレ率が目標に達するまでは実質金利を若干押し下げることも可能だろう。ただ、いざ本当にデフレを脱却し、2% を目指し始めればフィッシャー効果が表れることになる。 デフレ脱却時まではむりやり名目金利を低く抑えることができても、そこから先は名目金利の上昇を完全に抑えきることは難しい可能性が高い。 


で、そこから先に何が起きるかだが、もしフィッシャー効果による名目金利の上昇が抑えきれず、かつ財政(税収)の改善度合いがその名目金利の上昇に見合うものでなかったとすれば日銀はインフレのコントロールを失う可能性が出てくると筆者は考えている。

期待インフレ率2%を達成し名目金利もフィッシャー効果で上昇した状態でなお財政再建の目途が全くついていなければ名目金利には財政懸念から更に上昇圧力がかかる。財政危機に至った国の多くでは、最後の段階で「財政危機を懸念した名目金利の上昇が財政危機を現実のものとする」という自己成就的なプロセスが生じている訳で、同じことが日本で起こっても全く不思議ではない。

しかし流動性の罠を脱している状態から、日銀が名目金利の抑制と国債の消化を目標として買い増せばインフレ率はインフレ目標を超えて上振れしていく。 しかしインフレ目標があるからと言ってそれを助けずに国債金利の上昇を放置すれば政府は高金利の国債を乱発する羽目になる。 高金利の国債が乱発されるという事は、将来における貨幣量が増加するという予測に繋がり、結局インフレ懸念を更に高めることになる。 又金利上昇による国債価格の下落で金融機関が破綻したりすれば、その救済の為に公的資金が使われて更に政府の財政負担が増すし、日銀の資産が毀損する事もインフレ懸念を高めることに繋がる。

結局、この場合将来における貨幣量の減少をコミットすることができるのは政府だけとなる。 つまり急激な財政再建(増税+緊縮財政)をコミットすることで金利の上昇を抑え込む必要が出てくる事になるわけである。 


尚、これは先日書いたエントリー(「アベノミクスの行く末を予想する」)で示した5つの「行く末」の内の「2. 国債金利が高騰し、財政再建へと向かわざる得なくなる」にあたることになり、つまりもしそうなってしまえば、

この時に必要となるであろう急激な財政再建・緊縮財政が短期的に経済にマイナスの影響を与えることは明らかであり、結果として高インフレ下での不況(=スタグフレーション)という事態が待ち構えていることになる

わけである。


[追記]
国債残高を対名目GDP比で考えても、やはり日本の財政はインフレにしただけではなかなか改善しない。 そもそも財政均衡していないわけであるから国債残高はざっくり言えば「名目金利(+財政赤字相当分)」分だけ指数関数的に増えていき、一方で名目GDPは「インフレ率+実質成長率」分だけ同じく指数関数的に増えていく。 名目金利が「期待インフレ率+実質金利」だとすれ確かに実質成長率が高くかつ実質金利と財政赤字相当分が低ければ少しずつでも改善される可能性はあるが、デフレ脱却時に余程大幅な税収の上積みが達成されなければ、(+財政赤字相当分)がのしかかることで、国債残高の対名目GDP比が簡単に改善したりはしないだろう。 又、常に成り立つわけではないが一般にインフレ率と実質金利の間には正の相関が認められること、先進国は名目金利>名目成長率の状態であるケースの方が多い事等、不安材料は他にも色々とある。


ちなみに現実問題としては高い実質成長率によって国債残高の対名目GDP比の伸びが一時的に抑えられたとしても、問題が解決されたことにはならない。 たとえばギリシャの例をみると、90年代後半からの高い成長率によって政府債務残高の対名目GDP比は抑えられてきていたが、絶対額としては急上昇を続け、最後には名目GDPの低下によって「政府債務残高の対名目GDP比」が急騰し、実質的な財政破綻に至ったわけである。(参照:「ギリシャの何が問題だったのか? その教訓は何か?」)


また、財政赤字の規模が小さかったイタリアでさえ、その債務残高が膨大であったことから借り換えの為の国債の消化を通じて財政危機の影響を受けていることを考えれば、財政危機と完全に無縁の状態まで行くのは今の日本にとってかなりの難問と言えるだろう。 (参照:「欧州財政危機にみるそれぞれの事情 − ギリシャ、スペイン、アイルランド、イタリアの場合」)


[追記]
尚、これが「実験」として成立しているのは、ぶっちゃけて言ってしまえば中央銀行による「財政ファイナンス」がどこまでやれば弊害の方が大きくなるか誰も分からないからだと筆者は考えている。

中銀による財政ファイナンスは通常「禁じ手」とされているし、筆者もそう考えているが、短中期的にみれば経済にプラスになるケースも存在する。 たとえば今、南欧諸国が財政危機で苦しんでいるが、独自の中央銀行による実質的な「財政ファイナンス」という非常手段が完全に禁じられている事がその苦しみを増幅している面は確かにあると思われる。

ただ、「適正」な量の財政ファイナンスは弊害より効用の方が高いとしても、それでもこれが「禁じ手」なのは、これを「禁じ手」にしないとすぐに「適正」な量が守られなくなり、後の大惨事に繋がるからである。


しかしながら、もし今の日本の財政が破綻を免れないものであるなら、「禁じ手」を使っても良いのかもしれない、と思うことが筆者としても無いわけではない。

結局の所、財政破綻時に生じる高インフレは「財政ファイナンス」と本質的に異なる訳ではなく、それならそこまで追い込まれるまでに「財政ファイナンス」を活用するというのももしかすると日本の選択としてはありなのかもしれない。 もちろんリフレ派が主張するように上手くいけば誰もがハッピーだし、そうでなくても結局はいつか破綻して「財政ファイナンス」で賄わなければならないものなら財政危機を招いたところで結果が悪くなった訳ではないからである。


只、筆者としてはそれでもやはり「禁じ手」を使わずに地道に財政再建をしていく方が、トータルで見れば日本経済の長期的な安定に繋がると思うのだが、地道に財政再建という選択肢はなかなか支持を得られない考えのようである。


[参照]

「税収弾性値 「4」 の意味」 (2011/08/11)
http://d.hatena.ne.jp/abz2010/20110801/1312242746


「インフレで財政再建は可能か」 (2011/09/22)
http://d.hatena.ne.jp/abz2010/20110922/1316731478