柳井氏の「年収100万円」発言について − 日本の中流層はこれからも中流層でいられるのか?

ユニクロ柳井社長の「将来は、年収1億円か100万円に分かれて、中間層が減っていく」という発言は、かなりの拒否感を持って迎えられ多くの批判が行われているが、そこでみられる「今の日本では年収100万円は不可能だ」という批判は正しくはあっても、この発言の示唆する本当の問題点については踏み込んでいないように筆者には感じられるので、この点について少し考察してみたい。


まず短期的に見れば今の日本でフルタイムで働いている労働者の年収が100万円になることは確かにありえない。 ワーキングプアの目安が年収200万円と言われている訳で、100万円ではまともに生活できないし、生活できなければ働くこともできない。しかし、柳井氏が指摘するように世界の多くの国では年収100万円以下でも十分に生活できている。では、なぜ世界の多くの国では年収100万円で十分に生活できるのに、日本では無理なのだろうか? 


それはもちろん直接的には物価が高いからであるが、日本の物価が高いのは人件費が高いからでもある。つまりこの「人件費が高いから人件費が高い」という面だけを考えれば、人件費と物価が均衡しながら下がっていけば労働者の年収は100万円になってもおかしくないわけで、「年収100万円」は中長期的には実現不可能という訳ではないことになる。


ただ、そもそもワーキングプアに代表される低所得層の年収は100万円でも200万円でも金額自体に大した意味はない。この層の賃金は「最低生存費」つまり「労働者の生命の維持と子孫の繁殖とのために一国において慣習的に必要とされる費用」に準じた水準になり、逆に言えばこの「最低生存費」に対する慣習的な見方が変わらない限り、名目金額が100万円になろうがその金額で賄える生活水準が大きく左右されたりはしないことになる。

尚、念のために書いておけば、この話はインフレ・デフレとも直接的には関係しない。インフレが進んでこの「最低生存費」が300万円になり、実際にワーキングプア層の賃金も300万円になったとしても、その事によって彼らの生活水準が上がったりする訳ではないからである。


むしろ柳井氏の発言で注目すべきは「中間層が減っていく」の部分である。 

つまり柳井氏の発言で本当に考えるべき点は、今200万円(≒「最低生存費」)を貰っている層の収入が名目でどうなるかという話ではなく、今400〜500万円貰っている層(中流層)の年収がこの「最低生存費」にさや寄せされていくのかどうかという点である。 つまりここで問うべきは

  • なぜ日本の中流層は(同等の能力を有する)世界の殆どの国の中流層よりも高い賃金を得ることができているのか?

であり、

  • この状況はいつまで続けられるのか?

という事になる。


いつの時代も、そしてどこの国でも「最低生存費」近辺で生活している人々が一定数居るのは避けられないが、問題はそこから高所得者層へと至る分布である。高度経済成長時代の日本は「一億総中流」と呼ばれて分厚い中流層を形成してきたが、それが徐々に崩れつつあるのは柳井氏に指摘されるまでもなく多くの人が実際の生活の中で感じていることでは無いだろうか?


ここでやや乱暴にまとめると高度経済成長期に中流層が「最低生存費」を大きく上回る賃金を獲得できたのは直接的には

  1. 労働市場において企業が求める能力を有する人間をそれ以下の賃金では獲得できないから
  2. 企業はその賃金を払っても収益をあげることができるから

の二つの理由による。高度経済成長期の日本では労働需要の伸びが労働供給の伸びを上回ることによって(1)の理由で賃金がどんどん上昇し、一方で企業は工業化の進展や人口ボーナス等の追い風もあり、上昇した賃金でも継続的に高収益をあげ続ける(=(2)の条件を満たす)ことができたわけである。 

ここで留意すべきは経済成長で企業が高収益をあげられたから「当然の結果として」中流層の賃金が上がったという訳では無いという事である。企業の収益がいかに上がろうと、必要とする人材が幾らでも労働市場で安く調達できるなら企業が彼らの賃金を上げる必然性は無い。労働者の賃金は直接的にはあくまで企業の戦略と労働市場の需給によって決まるわけである。


しかしながら日本が所得水準で先進国に追いつき、高度成長期が終わったあたりから風向きが変わった。

先進国へと追いつく過程では、(1)の要因から来る賃金上昇により他の発展途上国との競争に負けて(2)の条件が満たせなくなった産業(繊維・織物産業等)が無くなっていく代わりに、それまで日本には少なかった先進国型の産業(特に製造業)が発展することによって「労働需要の伸び>労働供給の伸び」という条件を維持しつつ経済を先進国型へと移行してきた訳だが、いよいよ先進国に追いついた事でそのサイクルが維持できなくなった。 

日本に続く発展途上国の工業化は競合する多くの日本の企業の国際競争力を奪い、それらの企業は工場を海外に移転するなどの対策をとることを迫られたが代わりの製造業が次から次へと出てくるわけではなく、日本における製造業での労働需要(の伸び)は減少することになった。 それに加え、国土全体で進めていたインフラ整備もひと段落し、併せて人口成長率が減少に転じることによって、日本経済のかなりの部分を占めていた土木・建設業での労働需要も減少に転じた。さらに女性の社会進出が進み、又平均寿命が延びて高齢者も働くようになったこともあって「労働需要の伸び>労働供給の伸び」という条件が満たせなくなってきたわけである。


こうなると中流層の実質的な所得は従来のように右肩上がりという訳にはいかなくなる。たとえ国全体としての経済成長が続いていたとしても労働需要の伸びが労働供給の伸びを下回るなら、企業は労働市場においてより安い賃金で求める能力を有する人材を得られるようになる(或いは同じ賃金でより高い能力を有する人材を得られるようになる)わけであり、既に書いたとおりたとえ収益が伸びていたとしても企業が必要以上の賃金を払う必然性がないからである。


ただ、こういった状況を背景に中流層の賃金上昇には抑制圧力がかかり続けてきたとしても、今でも日本の中流層は世界の殆どの国の中流層よりも高い賃金を受け取りつづけている。これは”今の所は”多くの企業にとって日本人を高コストで雇うことが合理的な選択である事を示唆していると考えられる。 

国内に工場を維持している製造業が他国と比べて割高な人件費を負担してでも日本に工場を残している主たる理由は国内のマーケット規模や社会的なインフラの整備状況を含めた投資先としての日本の総合的な価値が高いからであり、割高な人件費を払ってもトータルで考えればペイすると判断しているからである。そして日本のサービス業がなぜ割高な人件費を払い続けているかと言えば、国内に収益性の高い企業が残り彼らが外貨を稼ぐと同時に高い賃金を労働者に支払うことによって、サービス業が労働市場で必要な人材を安く雇うことが困難になると同時に、割高な賃金を貰った人々が国内で割高な消費をすることによりサービス業も又、割高な人件費を払ってもどうにかやっていくことが可能だからであろう。(もちろん割高な賃金を貰ったサービス業の労働者も又、割高な消費を行う事になるという循環も存在する。。。。ややこしい話だな、、)

つまりなんだかんだ言って日本にはその中流層が同等の能力を持つと考えられる他国の中流層より高い賃金を得られるだけの理由があるという事になる。


しかしながら、もう一つの問い「この状況はいつまで続けられるのか?」について言えば、あまり見通しは良くない。

上記の理解を企業側から逆に考えると、個別企業にとってベストなのは、日本の社会インフラを活用しつつ、割高な消費をしてくれる他社の労働者を顧客として、自らの人件費は最大限抑えることであり、こういった要求が、一方ではブラック企業やホワイトカラーエグゼンプションに代表されるような日本人の実質的な人件費を抑制する方向に、そして他方では移民の自由化のように国内で外国人(移民)を雇用することができる法整備を要求する方向へと繋がっている事になる。

この中で特にインパクトが大きいのは移民の自由化で、これが解禁されれば日本の中流層が他国の中流層より高い賃金を得ることができている現在の均衡が崩れることになる。 移民の自由化によって直ちに中流層の賃金が極端に下がることは無いかもしれないが、労働市場が継続的にルーズになることによって労働者の市場価値は下がり、中期的には移民の供給国と同水準に近づいていくだろうし、そうなれば、世界中の企業が欲しがるような高い能力を持った人材以外の所得は各国の「最低生存費」に徐々にさや寄せされ、更に各国の「最低生存費」も世界中で徐々にフラット化していくだろう。「年収1億円か100万円に分かれ」るというのは金額的には誇張した表現だろうが、方向性としてはそういう方向に進む可能性は十分にある事になる。


ただ、柳井氏は収入が「年収1億円か100万円に」2極化いていくと示唆しているが、筆者は何度も書いているが現実には「3極化」してくと考えている。それは最低生存費にさや寄せされていく層、先進国の勝ち組の所得水準にさや寄せされていく層、そして柳井氏のような資本家層の3極である。そして「年収1億円か100万円に」2極化していく過程は、この資本家層の取り分が最大化していく過程と一致する。つまりこれは柳井氏視点で見た場合のあるべき日本経済の将来の在り方に過ぎないとも言える。

他の先進国を見ても柳井氏が言うような方向へと着実に進んでいると思われる国もあれば、そうでない方向を模索していると思われる国もある。どちらの方向を選ぶかは国民の選択次第であり、日本がそうでない方向を選ぶことも今なら十分に可能であると思うが、どうやら安倍政府が目指しているのは柳井氏の予言が当たる方向のように見えるのは筆者だけだろうか?