いま進めるべき都市の効率化は地下鉄24時間化なのか?

アベノミクスの一環として検討されているらしい3大都市圏でのバス・地下鉄の24時間運行について、池田教授が「世界の主要都市では当たり前のことだ」とし、その上で日本は都市への人口集中をもっと進めるべきだとの自説を説いておられる(参照:「人口の都市集中が必要だ」)。 筆者は、おそらくは池田教授とは違う意味で?都市の効率化を進めるべきだと考えているが、地下鉄の24時間化は方向性がかなり違うのではないかと考えているので、そのあたりを筆者の現状認識等交えながら少し考察してみたい。 尚、本エントリーは人口問題について考察した過去のエントリー(参照)の続きでもある。


少し歴史を振り返ってみれば、少なくとも戦後の東京は人が働くのに適した場所ではあっても人が繁殖するのに適した場所ではなかった。では首都圏がなぜどんどん人口を増大させこれたのかと言えば、地方からの大規模な人口の流入があったからである。 

日本が高度経済成長期を迎えていた時代、労働需要の伸びが供給を上回る状態であった首都圏では地方から流入した人々は「金の卵」と呼ばれ、それなりの待遇で迎えられ、いわゆる中流階級の一部となった。 そして彼らが所帯を持ち子育てに入ろうかという時に、少しでも良い(そして安い)生活環境を求めて郊外へとその居住地域を広げたことにより首都圏はエリア的にも人口的にも拡大していき、世界でも断トツの人口を有する巨大都市圏へと成長してきたたわけである。


ところが高度経済成長期が終わり、この流れに大きな変化が生じた。

オイルショックを契機として高度経済成長期が終わったことで首都圏での労働需要の伸びは鈍化したが人口の流入は勢いこそ落ちたものの依然として続いた結果、こういった労働者階級の待遇が頭打ちになり、もともと地方より低かった首都圏の出生率は更に悪化していった。 又通勤時間等の物理的な制約により居住地域を郊外に広げていくのも限界を迎え、首都圏における住宅価格はどんどん上昇していき、サザエさんの家(正確には波平さんの家か)のように世田谷区にあれだけの庭付きの邸宅を持つことは普通の勤め人には到底望めない状況となった。

一方で地方(田舎)においても子供の数は目に見えて減っていった。 若い世代が都市部に流出したことにより人口増の担い手となる世代が薄くなり、寿命の延びによって人口自体の減少は極端ではないものの既に地方は持続可能な都市部への人口供給源としては機能しなくなっており、酷い所ではそもそも地方における地域社会自体が持続可能ではなくなっていった。

もちろん他にも様々な要因があるのだろうが、結果としては様々なレベルで都市部への集中(首都圏への集中、4大都市圏への集中、地方都市への集中)が進んで都市部人口は増加する一方で、その人口増を支えた地方は疲弊して人口供給源としての機能を維持できる状態ではなくなり、国全体としては急速な少子高齢化が進んできたのが日本の現況であろう。


では、これを単純に逆回転させれば人口問題が解決できるかと言えば、そう簡単ではない。 TPPを待つまでもなく地方の農業・林業は疲弊しており、公共工事も底をついた状態で、敢えて言えば老人介護あたりには労働需要があるのかもしれないが本質的に成長産業にはなりえないことを考えると、地方(田舎)の人口を以前の水準まで底上げするのは現実問題として不可能だろう。 又、日本が豊かになったことと都市部のウェイトが人口・経済力共に増加したことはおそらくは不可分であり、全体としては不可逆的な事象と考えざる得ない。 もちろん今後も国内農業が色々な意味で日本人にとって重要な役割を果たし続けることは間違いないだろうが、その役割は量的には漸減していかざるえないだろう。


昔に戻れないとすれば、後は都市部を暮らしやすく、子供を育てやすくするしかない。 労働者の「戦場」だった都市部を「生活の場」、「繁殖の場」としての都市部へと変えていくしか日本が現状レベルの豊かさを教授しつつ長期的に維持可能な社会を築いていく方法はないのではないかというのが筆者の考えである。


ではその為にできることは何だろうか? 
都市部の出生率が地方より低い要因は細かく見れば色々とあるだろうが、その最大のものは十分な居住空間の確保が困難な点であろう。 そこそこ給料をもらっていても都市部で子供を3人以上育てられるような家を買ったり借りたりするのは簡単ではない。 バブル崩壊後、住宅価格は下落を続け、途中からはそれが悪い事のように言われてきたが、給与との見合いでいけばまだまだ都市部の住宅価格は高い。 そして住宅価格が高い理由の一つは容積率の低さにある。

池田教授も指摘されているが、日本の都市部の容積率は東京山手線内であっても実はそれほど高いわけではない。 そして容積率が低いというのは単純に言えばもっともっと上に積み上げる余地があるという事である。 よってこれを改善するには容積率制限など撤廃し、更に必要なら税制面でインセンティブをつけるなどして都心部はがんがん高層化を進めてしまえば良い。 そうすれば都心部の住宅戸数は飛躍的に増え、価格は下がり、都心部に住みたい人は住めるようになる。 そうした人が都心部に住めるようになれば、郊外での住宅需要は減少することになるから、こちらの価格も下がる。 若い時は都心部に、所帯を持てば郊外に、という事も可能になるだろう。都心部の高層化で住宅戸数を増やすことは、都心部と郊外の両地域で住宅価格を下げて、同じ価格ならばより広い家、同じ広さならばより安い価格が望めるようになるということであり、所得は同じでもより豊かな暮らしをおくることが可能となる。 以前のエントリー(参照)でも紹介したが日本では所得と既婚率、子供の数の間に一定の相関がある為、住宅価格の下落による実質的な所得増も再分配強化と同じく少子化の加速への歯止めとなることが期待できる。


で、タイトルの話に戻ると「バス・地下鉄を24時間運行」したとして、人々が暮らしやすい都市になるだろうか? もちろん便利にはなるだろうが、結局の所ますます生活に占める仕事の割合が増えるだけにならないのだろうか?  筆者はこの地下鉄24時間化の話を聞いて、「24時間戦えますか?」という昔のCMを思い出したのだが、それは「戦場」としての都市部には必要でも、「生活の場」としての都市部には必ずしも必要ないだろう。 都市部を効率化し、更に仕事も効率化して終電よりはるかに前の電車でさっさと家に帰って子供と食事でもするということこそが、「世界の主要都市では当たり前のこと」ではないだろうか?


ただ、この「都市の効率化によって都市部をより住みやすい場所にする」という考えには一つ大きな問題がある。 それは都市の効率化はそれだけを推し進めれば今以上の首都圏への一極集中をもたらすだろうということである。 

同様の効率化を地方都市が採用することはもちろん可能であるが、現状で通勤時間等の物理的な制約が最も強く働いているのは東京であり、それが緩和されれば相対的に首都圏の魅力が上がり、首都圏への一極集中は加速される事になる。そしてかねがね議論されていることであるが、今以上の東京への一極集中が国家としてのセキュリティ上許容可能かどうかは甚だ疑問である。その最大のリスクはやはり地震になるのだろうが、最新の耐震技術を活かしてどんな巨大地震にも耐えうる建物を建てたとしてもいざ巨大地震が首都圏を直撃すれば多くの道路は使用できなくなり、交通網が分断されることは想像に難くない。 首都圏がこれだけの人口を保持できているのは、世界最高水準の物流システムを有するからであり、東日本大震災とは異なり首都圏自身が大きな被害を受けた場合には他所からの支援でこの物流システム、この場合は兵站と言う方がぴったりくるかもしれないが、を短期間で復旧するのは非常に困難であり、想像もつかない程の混乱が予想される事にならざる得ない。


よって都市を生活者の為に効率化すると同時に危機管理の為に首都圏への一極集中を避けて地方都市への分散を計るというのが筆者が目指すべきと考える都市の効率化の目標である。 又、筆者は過去にも何度か書いたように何事においても多様性が豊かさの源泉だと考えているが、地方都市への分散は日本が長年かけて築き上げてきた他国に例を見ないほど特色豊かな地方文化を守る意味でもプラスになるはずである。 

もちろん「言うは易し」の典型のような話であるが、筆者は全く不可能とは考えていない。 地方都市は首都圏と比較すれば若干見劣りする部分もあるかもしれないが、インターネットの発達等により以前と比べると遥かに環境が整ってきた。後は国民の間で日本の未来像についてコンセンサスが得られさえすればいくらでもやりようがあるはずである。 ぶっちゃけ東京の人間だってこれ以上人口が増えてほしいとは思っていないだろうし、地方の人間だって近場で十分に就職先があればそちらの方が良いという人間もいくらでも居るはずである。 とにかく上京すれば仕事はいくらでもあった高度経済成長期が日本にもう一度来ることはありえない。持続可能な日本経済の新しい形に向けて地方(田舎&都市)と中央の関係を真剣に見直す時期はとっくの昔に来ているはずである。