金融政策は資産バブルにいかに対応すべきか?

金融緩和の弊害として資産バブルの生成・崩壊のリスクを上げると決まって出てくるのが金融政策は資産価格に反応すべきではないという批判である。


その理由を「Wikipediaにそう書いてあった」という所からもう少し掘り下げると、「中央銀行は物価安定に専念すべきであり、資産価格変動に直接反応するのは適当でない」といういわゆる「FED View:後始末戦略("clean up the mess strategy")」に行き着くのだろう。

この考え方の理論的背景の一つとなっているのが現FRB議長であるバーナンキ氏がプリンストン大学時代に共著した一連の「バーナンキ=ガトラー」論文であり、要約すれば、その中で

資産価格ブームとその崩壊は経済に大きなダメージを与えるが、金融政策は、あくまで中長期的なインフレ率の安定を目標としてインフレ圧力ないしデフレ圧力に予防的に対応することが重要であり、資産価格の変動に対しては、それが期待インフレ率変動のシグナルでない限りは決して反応してはならない。

という事を独自のシミュレーション結果等を示しつつ主張している。


但し後知恵的(かつ批判的)にこの「バーナンキ=ガートラー」論文、特に資産バブルを扱った2001年の論文(「中央銀行は資産価格変動に反応すべきか? ("Should Central Banks Respond to Movements in Asset Prices?") 」)を見た時に筆者には以前から気にかかっている点がいくつかある。


一つ目は、上記のような結論である一方で、シミュレーションの結果自体は「政策金利をインフレ率に加えて資産価格にも反応させるとGDPギャップ(output)の分散を少し低下させる一方でインフレーションの分散を上昇させてしまう」というものであり、つまりこのシミュレーション結果が上記の結論に繋がっているのは「人々が物価の安定よりも雇用や所得の安定に格段に大きい価値観を見出していない」という前提(価値判断)が含まれていることになる。


もう一点は、シミュレーションの中でのバブルの設定について、

既に述べたように、各バブルの期間とそれに伴うサイズについては統計的に設定している。 我々の線型的な近似はバブルが非常に大きくなると不正確となる為、5期続いたバブルについては6期目には必ず崩壊するように設定した。 初期のバブルショック(positive one standard deviation initial bubble shock)は5期の期間を通じ、金融政策ルールに応じて約25-30%の資産価格の定常状態からの上方への乖離を引き起こしうる。 又、比較研究の結果、我々の定量的な結論はこのバブルの期間を7期まで許しても影響がないことを確認している(条件を付けない場合にバブルが7期以上続く確率は1%以下である)。 

As described earlier, the duration and hence the maximum size of each bubble are stochastic. Because our linear approximation becomes less accurate as the bubble becomes very large, we assume that bubbles that have lasted five periods collapse with certainty in the sixth period. Depending on the monetary-policy rule, a positive one-standard-deviation initial bubble shock that lasts the full five periods can cause stock prices to rise 25-30 percent above their steady-state values. Experiments confirmed that our qualitative results are not affected by allowing the bubble to run for a maximum of seven periods (the unconditional probability of a bubble lasting more than seven periods is less than 1 percent).

としている部分である。

ここで現在の金融危機の発端となった米国における標準的な住宅の販売価格の推移(下図/インフレ率考慮済/New York Times)を見てみると、この論文が執筆された2001年頃までの期間については確かに住宅バブルはいずれも(今回の住宅バブルと比較すれば)短期間、小規模で崩壊しており、そのファンダメンタルズからの乖離幅も高くて25-30%程度と言ってもよいだろう。 2001年以降の住宅バブルの突出ぶりは顕著であり、まさに”less than 1 %”の事象が起こってしまったとも言えるのかもしれない。


http://steadfastfinances.com/2009/11/14/the-psychology-of-bubbles-using-hindsight-to-examine-why-we-bought-into-the-hype/


ただ、ここで筆者が気になるのは今回の住宅バブルでは歴史的推移だけを見れば本当に稀な事象が起こったわけだが、これは低い確率の事象が運悪く偶々起こったというだけなのか?という点である。 

米国の住宅バブルがここまで加熱し、かつ崩壊後に甚大な被害を及ぼした要因の一つは通常の住宅ローンの審査には通らないような信用度の低い人向けのローン(サブプライムローン)を証券化して転売するという手法が発明されたことによる。 結果として貸し手である銀行は(少なくとも表面上は)リスクを負わずに貸し付けをどんどん拡大できるようになってバブルが過熱し、しかも崩壊時にはリスクが分散・拡散して実体が見えなくなっていた中で、市場全体にパニック的なリスク回避行動が拡大し、被害を当初想定を大幅に上回るものにしたわけである。

サブプライムローン自体はもちろん規制可能であるし、今後「全く同じ」バブルが起こることはないかもしれないが、金融工学の発達により新たな商品は今後も次々に開発されるだろう。 今回のバブルがごく稀な確率で偶々起こったのなら今回の事例に金融政策が過度に反応することは却って有害かもしれないが、金融工学の発達によって起こったのなら次回は多分100年後だから気にしなくていいよ、という訳にはいかないだろう。

更に言えば、FED View的な考え方が支配的であったこと自体が、バブルを後押しした可能性も考慮されるべきであろう。 もし仮に資産価格の上昇に対しても金利政策が反応することがコンセンサスとして受け入れられていれば、バブルが発生したとしてもその加熱は抑制されていたのではないだろうか?  

つまりシミュレーション内でのバブルは統計的に扱われかつ極度の過熱したバブルは滅多に起こらない、との前提になっていたが(1)実際には金融工学の発展によりバブルはその頻度と被害の大きさを潜在的に増進させてきたのではないか? (2)そもそもこの金利政策自体がバブルの過熱を後押しする面があるのではないか?、という懸念についてはカバーされていないという事になる。


又、FED Viewが優勢であった理由の一つとして「ITバブル崩壊後の局面をグリーンスパン議長の果敢な金融緩和により最小限の被害で乗り切った」という実績があった。 バブルがたとえ生成・崩壊したとしても素早く後始末が可能であれば、バブルを恐れて金融政策を引き締めるのはトータルで見ればマイナスでしかない、という話である。 しかし今回の金融危機を受け、こちらの方面ではFED Viewは大きく信用を落とした。 FED Viewの代表的論者でもあるバーナンキ議長自らが陣頭指揮をとって果敢な金融緩和を進めたものの、その被害は甚大であり、かつ長期に渡っている。 後始末戦略が上手くいったとはとても言えないだろう。(尚、これを共和党のせいにする主張もあるが、仮にそれが正しいとしても共和党を規制するわけにはいかないのだから、そういう可能性を織り込んだ上で金融政策ルールのほうで対応すべきという事になるはずではないだろうか。)


他方、ではFED Viewが間違いだったかと言えば、そうも言い切れない。 バーナンキらが指摘していた「金融政策を資産価格に反応させる戦略("leaning against the window strategy / 風に逆らう戦略")」の問題点、つまり資産価格上昇時にそれがバブルがどうか見極めるのは困難、仮にバブルであったとしても少しくらい金利を上げてそれがつぶせるかどうか疑問、バブルでないのにバブルと判断して引き締めを行えば却って実体経済にマイナスの影響を与える、等々が解決されたわけではなく、FED Viewは事前に喧伝されていたほど上手くいかないかもしれないが、それでもFED Viewしかマシな選択肢はない、という結論も十分に考えられる。


ちなみに白川前総裁は自身のスタンスを「FED ViewとBIS Viewの中間」と称していたし、あのバーナンキ議長ですらも最近では

将来的に資産市場の過熱によって金融安定性への懸念が高まれば、FRBは対応措置として金利政策を調整することも辞さない構えだと、議長は述べた。「これらの問題が十分大きな懸念事項になれば、金融政策を策定する上で考慮に入れることもあり得る」と語った。

と発言している。 (まあ、あくまで「あり得る」レベルではあるが、)


結局の所、金融政策が如何に資産価格に反応すべきかという問題に対しては現在は決定打のない状態と言えるのだろうが、少なくとも純然たるFED Viewからは修正されつつあるということであろう。 


[追記]
尚、別方向からはバブルは金融政策ではなく規制によって対応すべきとの主張も存在する。 これは実現可能であれば上記のような議論が不要となるという意味でベストではあるが、個人的にはその有効性に大いに疑問がある。 事前に特定の市場に特定の規制をかけたとしてもバブルが短期的に高い利益率を生む限り、それを乗り越えてバブルを発生させようというモチベーション自体は消せないわけで、規制がかかっていないところで新たなバブルの芽がまかれるだけではないか?(もちろんそれでも危険と思われる部分に事前に規制をかける事が無駄という訳ではなく、むしろ個人的にはそういった規制には賛成ではあるが)

金融緩和/低金利はバブルの主因ではないが、おそらくは必要条件の一つである。一方でバブルの主因になりうるものは市場に多数存在し、どのバブルの芽が途中でつぶれずにバブルにまで成長するかは事後的にしか分からないのだとすると、主因でないとしても必要条件ではある金融緩和を通じその問題に対処していく必要があるはずである。


参照:「ポストマネタリズムの金融政策(翁邦雄氏)」日本経済新聞出版社