黒田日銀の逆「ボルカー」的瞬間

黒田日銀の異次元緩和を、ボルカー元FRB元議長が行った金融引き締め策と対比した記事がいくつか目に付いたが、どうにも違和感がある。 例えば黒田日銀の異次元緩和の直後にでた記事ではエコノミストの人が以下のようなコメントを残している。

三菱東京UFJ銀行シニアマーケットエコノミストの鈴木敏之氏は「1979年にボルカー元FRB議長が、米国のインフレを止めるために、マネタリーベースの量をターゲットにし、インフレを退治した。黒田総裁がデフレを止めるためにマネタリーベースの量を目標を変更したことは、それ以来のインパクトがある」と驚きを隠さない。
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE93304D20130404?pageNumber=2&virtualBrandChannel=0

まあ、「量を目標に」しているという意味でボルカーを連想したのは分からなくもないが、一方はインフレを止めるため、他方はデフレを止めるため、と単純な対称形のように紹介する捉え方は違和感がある。 ボルカーの名前を出すならむしろ黒田日銀の異次元緩和の本質が逆「ボルカー」的だという点こそ強調されるべきではないのだろうか?


念の為ボルカーが実際に行ったことをWikipediaより引用すると

  • ボルカー指導下の米国連銀は、1970年代の米国におけるスタグフレーションを終わらせた業績で広く知られている。
  • 連邦準備制度理事会議長に就任した1979年8月より「新金融調節方式」、いわゆるボルカー・ショックと呼ばれる金融引き締め政策を断行した。ボルカーの導入した高金利政策によって、1979年10月にはニューヨーク株式市場は短期間のうちに10%を超える急落を見せた(ボルカー・ショック)[5]。1979年に平均 11.2% だったフェデラル・ファンド金利(政策金利)はボルカーによって引き上げられて 1981年には 20% に達し、市中銀行のプライムレートも同年 21.5% に達した。しかし、それと引き換えにGDPは3パーセント以上減少し、産業稼働率は60パーセントに低下、失業率は11パーセントに跳ね上がった。
  • この結果、ボルカー指導下の連銀は、連邦準備制度の歴史上最も激しい政治的攻撃と、1913年の創立以来最も広範な層からの抗議を受けることになった。高金利政策によって建設、農業部門などが受けた影響により、重い債務を負った農民がワシントンD.C.にトラクターを乗り入れて連邦準備制度理事会が本部を置くエックルス・ビル (en) を封鎖する事態にまで至った[6]。
  • 1982年後半、3年続けた金融引き締め政策を断念し、緩和を実施した。3年間の金融引き締め政策でインフレ率は1981年に 13.5% に達していたが、1983年には10パーセント以上も減少し 3.2% まで押さえ込むことに成功した。[7][8]。これによってアメリカ経済は活気を取り戻し、GDP・産業稼働率は向上し、失業率は低下した。


つまりボルカーが断行したのは「目先の景気後退に目を瞑ってでも通貨の価値を守ること」であり、逆に黒田日銀がやったのは「景気の為に、通貨の価値を中銀自らが毀損する事」で、完全に真逆である。 


又、同じJBPressに後日掲載されたこちらの記事の方にはボルカー自身による実質的な日銀批判が以下のように紹介されている。

ボルカー氏は意見を異にする。同氏は「中銀の基本的な機能は通貨の価値を守ることだ」と主張し、全くそれだけではないにせよ、一義的にその目的に専念した時に中銀は最も効果的に機能すると語っている。

特にボルカー氏は、中銀は成長を後押しするために意図的に物価上昇率を高めるべきだという考え(現在、日本で流行している考え)を嫌っている。「中銀は全能の道具ではない」とボルカー氏。「多少のインフレは良いことだという考えを抱いてしまうと、インフレを退治するのが非常に難しくなる」

「多少のインフレは良いことだという考えを抱いてしまうと、インフレを退治するのが非常に難しくなる」というのは「デフレが良い」という話ではなく「インフレを起こすために少しぐらいならと通貨の信認の毀損を認めるということは危険な考えであり、いざ信認が本当に毀損されてしまった場合にはそれを取り戻す為に非常に困難な道程が必要となる」ということだと筆者は理解している。 その困難さはボルカーショック後インフレが退治されるまでの間に米国が体験した景気後退を見れば明らかだろう。

ボルカーはその困難な仕事を激しい政治的攻撃にさらされながらも結果として成し遂げて、スタグフレーションを終わらせ、「これによってアメリカ経済は活気を取り戻し、GDP・産業稼働率は向上し、失業率は低下した。」という業績を残して後世高く評価されることになった。 黒田日銀の逆「ボルカー」的政策は後世どのように評価されることになるだろうか?