マスオさんにみる少子化の要因と少子化対策の重要性について

いきなりであるが、読者のみなさまはサザエさんの夫であるマスオさんの本名をご存じだろうか? 有名な話らしいので知っている人も多いかもしれないが、彼は妻であるサザエさんの実家に「マスオさん」してはいるものの養子に入ったわけではないので、「磯野マスオ」ではなく「フグ田マスオ」である。(ちなみに筆者は最近まで知らなかった。)


まあこれは少子化の話と全く関係ない質問であるが、次は関係のある質問、マスオさんの年齢と経歴はご存知だろうか?


Wikipediaで調べたところでは、彼の経歴(原作)は以下の通りとなっている。

  • フグ田マスオ  1917年生まれ。 32歳で総合商社「海山商事」の営業課係長に昇進。 早稲田大学商学部卒(2浪)。


タラちゃんは3歳なのでマスオさん30歳の時の子供ということになるが、注目すべきは彼が32歳で総合商社の係長となっていることである。 マスオさんは早稲田大学卒業となかなかの学歴であることも考慮すべきだろうが、同レベルの学歴をもってしても今の世の中、32歳(2浪なので年次的には30歳)で商社の係長になるということは困難であろう。


ではなぜマスオさんはこの若さで商社の係長にまでなれたのだろうか? サザエさんは設定的には1950年頃の話であり、年功序列が今以上にがっちりしていた時代の話であるので、マスオさんが実力で這い上がったわけでは無いだろう。 むしろ年功序列であったからこそ32歳で係長になれたと考えるのが自然である。


下図はマスオさんが係長になった頃(1950年)の人口ピラミッドであるが、これを基に32歳の社会人が年功序列で行けば会社の中でどのくらいの立ち位置にいるかをざっくり見てみると、おおよそ中央くらいに位置することがわかる(人口分布が富士山型なのに加え、高卒がまだ一般的で、かつ定年が50〜55歳位であったことも考慮)。 こうやって見るとマスオさんは社内では紛れも無い中堅社員であり、係長くらいになっていても何の不思議も無い。


一方、2010年の人口ピラミッド(下図)を見ると明らかに様相が異なる。 人口ピラミッドがつぼ型へと大きく変化しているのに加え、この頃には商社に高卒社員は殆どいなくなっていただろうし、定年も60歳位まで伸びていたわけで、ざっと見積もるとこの時期における32歳の社員の社内における立ち位置は下から20-30%程度で、駆け出しに毛が生えた程度であろう。


「まずは仕事で一人前になってから結婚を考える」というのは既に古い考え方であるのかもしれないが、その背景の基本的な部分は未だに有効だろう。 社内でそれなりの地位を占めることは、当然それなりの給与がもらえるという事であり、経済的余裕が生まれるという事でもあるからである。 

又、例えばこちらで紹介されている「現在のあなたの仕事の社会的な位置づけは、あながた15歳のときの父親の仕事と比べてどうですか」という調査の結果で日本が最下位であったことと、上でみた人口動態的な変化の間にはなにがしかの関連があると考えるのはそれほど飛躍している訳ではないだろう。


これらの観察から連想することは人によって様々であろうが、筆者が最初に考えたのは「少子化はポジティブフィードバックの性質を持つ」、つまり「少子化による人口ピラミッドの変化が更に少子化を進めてきた」のではないかということである。

そしてこの考えを拡張すると、団塊の世代以降、日本に於いて少子化が進んできた事に様々な不可避的な要因があったことは確かであるとしても、少なくともその要因の一部として少子化自体が引き起こす人口ピラミッドの変化があったとするなら、とにかく無理やりにでも少子化を食い止める事が少子化がスパイラル化して進んでいくのを阻止するということになる。 よって政府による少子化対策で維持される出生率は一時的には不自然であっても、一定期間(少なくとも団塊世代が引退し、労働者の逆ベル状の人口ピラミッドが解消するくらい?)が経過した後のことを考えると、自律的に維持できる人口規模の底上げに繋がる可能性があるということであり、別の言い方をすれば、長い年月を経て最終的に(人口増減という意味で安定的な)釣鐘型の人口ピラミッドができあがるとしても、その釣鐘のサイズが現状の8割なのか5割なのか、或いは3割になってしまうのかは、或る程度コントロールできる課題ではないかという事になる。


ちなみにポジティブフィードバックの性質を持ちスパイラル化していく問題に対する対策のコストパフォーマンスというものは評価が難しい。 これはバブルやインフレ・デフレスパイラルにも言えるが、目先の費用と効果だけをみてコストパフォーマンスが悪いと対策を切り捨ててしまうと、いずれ問題が拡大し最終的には甚大なコスをが強いられる事になる。 逆に言えば、一見足元のコストパフォーマンスが悪く、かつ不自然に見える施策であっても長い目で見てより大きな効用につながるのであれば、それは広い視野での政策判断の下に推進されるべきということになるであろう。


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