リフレ「運動」についての雑感

先日のエントリー(参照)に対して、田中秀臣氏から「頭の悪いど素人経済論の典型」とのコメントがついているとの情報を頂いた。

まあ別に「頭の悪いど素人」と言われたからといって基本的にその通りなのでどうってことはないのだが、ついでにちょろっと氏のサイトを覗いてみて改めて色々とうんざりさせられたので少し毒を吐いてみる。


氏は「リフレ政策(黒田・岩田日本銀行の大胆な金融緩和)に関係ないものまでしょわせて批判する悪質な言説について」と題して

 資産市場(株、為替レートなど)がリフレ政策の初期において急激に変化することは、僕らは何億回もいままで書いてきたし予見してきた。この動きがやがて物価や雇用にはねかえることも書いてきた。その時間の経過を待てず、待てない連中がやることは、足のひっぱり=デフレのまま停滞がいい、とする愚劣である。
http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20130409#p1

と書いている。 なにやら「資産市場(株、為替レートなど)がリフレ政策の初期において急激に変化すること」を予見していたことを自慢しているようにも見えるが、先日のエントリー(参照)にも書いたとおり、そんなことは「頭の悪いど素人」で反リフレ派らしい筆者でも普通に予見していたし、もちろん日銀だって分かっていた(大体日銀がREITやETFをがんがん買いますとコミットして資産価格が下がると予見する人間っているのか?)。 分かっていながら何故これまで日銀はその手段をとらなかったかという事も日銀はそれこそ何億回も繰り返し説明しており、要はそういった政策は短期的には良くても「長期的な経済の安定」には寄与しないという事である。

つまり上の引用で言えば「やがて物価や雇用にはねかえる」の部分が本当に機能するのか? するとしても弊害はないのか?という点こそが政策判断の分かれ目だったわけであり、現状は途中経過に過ぎず、成功するかどうかはこれからということになる。


なのに「その時間の経過を待てない連中」はどうやら早々と「祝勝会」を開いているようであるが。。。。 


で、いい年こいて「イェーイ!」ってなんだよ、、、、という感想はひとまずおいておくとして、こういった人々の言動からわかるのは、結局彼らにとってはリフレ「運動」だったんだなぁという事である。 


例えば氏はTwitterで

前から謎なのは、ネット匿名のデフレ大好き(=リフレ派をともかくこきおろす)連中が一度たりともオフ会をひらいているのをみたことがないことだ。10数年この世界にいるが本当に皆無だ。誰か歴史の一ページをひらけw


バカの歴史の一頁だがw

と書いているがリフレ派が「運動」として集まりを繰り返してきたのに対して、反リフレ派がそのような事をしなかった理由の一つは、そもそも反リフレは別に「運動」でもなんでもなかったからだろう。

本来であればリフレ政策をめぐるそもそもの論点は日銀の理論とそれに対するリフレ派の理論の間にあるはずで、多くの市井の反リフレ派の多くはリフレ派が「運動」として繰り広げた主張、というかスローガン、レトリック、プロパガンダ等々がおかしいと批判していただけであり、それに対して「運動」していたわけではなかった。

反リフレ的な主張の中にはおかしな批判もあり、そういった反論しやすいやつだけ取り上げてリフレ派は冬の時代とやらに「運動」を維持してきたわけなのだろうが、本来の相手である日銀の理論に対しては、「日銀貴族」だの「日銀コミンテルン」だのと陰謀論で対抗してきたに過ぎなかった。

(一応念のために書いておけばもちろん中にはそうでない人もいたが、途中でリフレ政策議論がリフレ「運動」へと変わってからはこの傾向が強まったように思える。 そういう意味では一部で使われているように「リフレ派」と「りふれは」を使い分けた方が「リフレ派」の人にはフェアかもしれない。)


ちなみに氏は

彼らが目をつけたのが「貧困」や「経済格差」。日本の「貧困」の多くが長期失業の裏返しなんだが、そんなことはおかまいなく、彼らは「おれの苦しみは解消されない」という論法にでた。また構造的な問題(格差の多くは人口増による要因があった)を、あたかも循環的な問題にすりかえて大喧伝した。

悪質な手口にはいろいろあって、典型的なのは、「リフレ政策に関係のないものまでぜんぶしょわせる」という論法。個々人の不満の解消、個々人の生活のつらさの具体的な解消、社会保障制度の制度改変やそもそも社会を変えること。そういう関係ないものでリフレ政策を批判して支持者を増やす下劣な手口。

とも書いているが、これの「リフレ政策」を「デフレ」或いは「日銀」に置き換えたものを率先して使っていたのはまさにリフレ「運動」を行っていた人々であり、なんでもかんでもデフレのせい、日銀のせいにしてきたわけである。

ただ、経済評論家やwikiで経歴を見てもAKBがどうこうって話ばかり取り上げられているような経済学者?が「趣味は金融政策」と言われた白川日銀総裁らに金融政策論で勝てるわけもなかったことは明らかであり、運動論的には間違っていた訳でもなかったのだろう。 


ついでに書いておくと、「リフレ政策に関係のないものまでぜんぶしょわせる」なんてのも半ばこういう「運動」家の責任だろう。 その「運動」の中でなんやかんやと理由をつけて人々が不満に思う事、生活のつらさの具体的な事象を「全部日銀の間違った政策のせいだ」と扇動し続けてきたわけで、 当然その裏返しとして「やっと「正しい」金融政策が取られたんだからそれらは全て改善するんだよね?」となるのは致し方ない所である。 


まあ運動として考えれば日銀が目標としてきた「長期的な経済の安定」はもとより「経済の回復」や「物価の安定」が達成されるかどうか、つまりリフレ政策が成功するかどうか、すらどうでもよく、リフレが採用されるかどうかだけが重要だったというのは分からなくもない。現実には田中氏が「所詮、日銀か財務省のすじでの人が総裁になれば、アベノミクスが完全に終わるか、あるいはせいぜい中途半端なものに終わるだけ」と毛嫌いしていた黒田新総裁によって異次元緩和が発動され、リフレ「運動」はその目的を「完遂」したわけである。


今後本当の意味でリフレ政策が結果的に成功すればこういった人たちが浮かれつづけるだろうからそれはそれでうんざりであるが、失敗しても「タイムラグがある」とか「リフレ政策とは関係ない」とか「(黒田総裁以前の)日銀の責任だ」とか言い始めるんだろうし、その場合は実体経済の苦境も加わり二重にうんざりさせられることは想像に難くないわけで、どうせなら成功してうんざりさせられたいものではあるのだが、、


[追記]
田中氏について少し調べたら、そのものずばり「「りふれは」田中秀臣の醜悪」という記事を見つけたのでリンク。 筆者は以前からリフレ的政策の支持者だった方のようだが、

こういう邪魔者どもがいるから、デフレ脱却の政策実現は遠かったんだろうな、ということが実感できましたわ。
だって、心底、信じたくなくなるもんね。
日銀じゃなくても、聞き入れたくなくなるわ。
このような連中が言う意見でなかったら、もっと早くに信じてもらえたかもしれない、ということです。

とけちょんけちょんである。 特に黒田総裁人事をめぐる田中氏の一連のTweetのまとめは傑作なので、暇な方は是非。