黒田日銀はどこまで『何でも』できるのか?

黒田日銀新総裁は「2%の物価目標を2年程度で達成するため『何でもやる』」との強い意欲を示しているが、現実問題として黒田日銀はどこまで『何でも』できるのだろうか?


日銀が実質的に世界初となるゼロ金利政策を採用したのが1999年、更にその上を行く量的緩和策を採用したのが2001年、更に当時としては前代未聞であった銀行保有株の買入にまで踏み切ったのは2002年であり、全て過去15年程度の内に起こったことである。 いずれも導入当時、様々な議論・葛藤があったわけであるが、その後、世界中で同様の政策が行われたことにより、最近ではこの種の政策があたかも昔から常套手段として存在したかのような論調が多くみられるようになってきた。 

この点において先駆者であった日銀が後に続いた国との単純比較で「遅すぎ、かつ小さすぎる」対応に終始したかのように非難されるのは不当だと筆者は考えているが、今回はその点はひとまず置いておいて、導入当時の議論・葛藤を見直した上で「量的緩和の量と質の拡大」が持つ問題点について考えてみたい。
 (尚、この問題については「ポストマネタリズムの金融政策(翁邦雄著)」に詳しい。 以下本エントリーの内容の大筋も引用部分も全て「第8章デフレ脱却への処方箋」を参照させていただいている。 日銀の金融政策の背景に興味がある方は是非読んでほしい良著である。)


まず、量的緩和の問題点にうつる前にゼロ金利政策の問題点について触れておくと、その最大のものは短期金融市場機能の毀損という事になるだろう。これは一部の人々の大好きな「日銀の天下り先が云々、、」といった陰謀論的なレベルの話ではなく、もっと即物的な問題である。


短期金融市場金利を0.001%レベルにまで誘導していくと100億円をマーケットに放出して1日に数百円しか出し手に金利が入ってこなくなり、そうした中でコール市場の取引は激減し、結果として市場機能は大きく毀損される。 どの企業もこのような取引に多くの人を配置し続けることはできず、短期金融市場の出し手もブローカーも時間の経過とともに、次第に撤退していくことになるからである。 

そのような状況下では急に資金手当てが必要になったとしても、インターバンク市場では迅速確実に手当てができる保証がなくなってくる為、金融機関は日本銀行当座預金を大量に積み上げて、いざという時に備えておくようになる。 

つまりゼロ金利政策から量的緩和を拡大する一連のプロセスの中で、ゼロ金利政策はマーケットを壊して予備的動機をつくり出し、そのことで量的緩和を拡大するというものになっていったということになる。


こうした状況下でも量的緩和の「量」的な拡大に効果が期待できるとされた一つのロジックは、金融機関は中央銀行当座預金を保有しても金利収入は得られないので、これを大量に積み上げさせれば自ずとリスク資産に運用先をシフトするはずだ、というものであったが、実際にその効果はほとんど見られなかった(注1)。 結局の所、ゼロ金利近辺では短期国債とキャッシュが完全に代替的な資産になってしまい、その入れ替えが銀行の貸出意欲に与える影響はそれがいかに大量であってもデフレである限り殆ど無いということである。


ここにおいて量的緩和はその戦線を「質」へと拡大させざる得なくなった。 つまりキャッシュと代替ではない資産を対象とする必要が生じたわけである。 


しかしながら、この戦線拡大には本質的な問題があった。 特定のリスク資産を対象に購入するという事がデフレへの対応策としては有効であったとしても、(1)それはミクロの資源配分に立ち入る要素があり、本来であれば日銀の政策領域を逸脱した行為であるということ、そして(2)そのような資産購入で日銀のバランスシートが毀損されるようなことになれば最終的には納税者の負担となり日銀の信認、そしてその後の日銀の政策遂行能力に大きな悪影響が及ぶということ、である。

バーナンキが「日銀はケチャップを買え!」と言ったとかいう良くわからないエピソードがあるが、ケチャップを買うことでデフレが脱却できるとしても、それは金融政策ではなく財政政策であり、そもそも日銀が裁量でやれる政策ではないということになる。


当時の日銀中枢も、資産の選択とその取りうるリスクの範囲については頭を悩ませており、とりあえずは

「民主主義国家における一般的なルールは、流動性の供給という機能は金融政策というかたちで独立した中央銀行jに委ね、他方、国民の税金の使途は選挙民から選ばれた議員から構成される国会における予算承認プロセスを通して、財政政策というかたちで行うということであると思う。 もちろん中央銀行の資産も最終的には経済の状況や金融市場の状況に規定され、絶対的な基準があるわけではないが、・・・(中略)・・・中央銀行に対し、どのような資産でも購入するという事を求める場合には、そして、それが大規模なものになればなるほど、そうした資産の買い入れは実質的には国会の議決を経ない財政政策に近い性格を有するということを明確に認識する必要がある。そのことを認識したうえで、経済の状況に照らし、その是非を考えるというのが議論の筋道であるように思う。」 山口日銀副総裁(当時)

「中央銀行は、やや長い目で見て適正な自己資本の水準を保つことを目途としつつ、その範囲内で情勢に即して機動的に行動する、そういうプラクティスが多くの国で確立してきているのではないか。 国民の理解を得て、中央銀行はある程度のリスクをとり機動的に行動する、そしてリスクをとった結果自己資本が低下した場合にはそれを回復させる行動に支持を求める、そうしたかたちで民主主義の枠組みと中央銀行の行動の機動性との調和が図られていく、ということになるのではないか」 福井日銀総裁(当時)

というような所を一つの落としどころと考えていたようである。 


こういった主張を日銀の消極的姿勢に対する言い訳だとする批判もあるだろうが、実際に日本銀行が2002年に実施した銀行保有株買取りについては、与党であった自民党からも

「政府の金融行政への日銀の介入だ。高い時に売り抜かないと日銀の資産が傷つく。国庫納付金も減る。損失は日銀に被ってもらうことになる。」麻生政調会長(当時)

と厳しい批判の声があがった。 当時の日銀は白川前総裁が語ったように「孤独な先駆者」だったわけである。


このような先駆的な試みが日銀によって注意深く、一方でその追随者であるFRB等により大胆に(筆者の目から見れば大胆すぎる程に)、積み重ねられた結果、当時と比べると日銀の量的緩和における裁量の余地は大きく広がったように見える。 試行錯誤の中でやや手を広げすぎた感もあるが、時間軸政策やREITの買い入れ等、一定の効果を発揮していると思われるものもないわけでは無い。 

しかしながら、導入当時より提起されている問題点は、本質的にはなんら解決されたわけではない。 結局の所、日銀の持つ独立性は日銀がその目的の為に「何でも」やれることを意味しているわけでは全く無い。日銀といえど本質的には官僚が運営する一機関であり、そうである以上一定の独立性があるといっても本来の裁量を超えてリスクをとるようなことは許されないし、逆に言えば本来の裁量を守ることによって独立性が保障されているのである。(そうでなければ官僚が運営する日銀はその裁量で政府の行政範囲に踏み込めるが、国民によって選出された政府は日銀の独立性を無視できない、というおかしな事が生じてしまう。)

黒田日銀の「何でも」やるが、何を指しているのか今の所はっきりしないが、分かっているのは日銀単独で「何でも」やれるわけでは無いということであり、別の所で自身も述べられているように、あくまで「できることは」何でもやるという話である。そして良くも悪くも「できること」は政府と日銀の協力体制がどこまで本格化するかにも大きく左右される。本当にこれまで以上の成果を短期間であげようとするなら少なくとも政府と日銀が一体となる必要があるという事であろう。


[注1]
尚、当座預金の単なる「量」的な積み増しにも一定の効果があったとする主張もある。その中でも岩田規久男副総裁は「当座預金残高が10%増えると予想物価上昇率が0.44ポイント上昇する」と試算されているようで、それなら「何でも」やる必要はなく、とりあえず当座預金残高を30%程積み増して後は静観してみればどうだろうか?