円安と日経平均株価の関係について

日々の株価の動きと為替の関係については株価に関心のある人間であれば多くの人が知っているであろう近年のトレンドであり、実際にリーマンショック後の数年間の推移(以下)を見ても大震災時の混乱時期を除けば確かにそれなりに成り立っているように見える。


この解釈としては円安は日本の優良な輸出産業、いわゆる"エクセレントカンパニー"、にとって有利であり、これらの企業が日経平均に占める割合が大きいからというロジックが多く見られる。

参照:シャープ“惨状”を招いた日銀無策…超円高はなぜ起きたか
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20120824/plt1208240735000-n1.htm


しかし、筆者はこの解釈についてはそれほど自明ではないと考えている。

以下は、日経平均株価をドル建てにしたものと米国の株価(ダウ)の推移をリーマンショック後の株価暴落時を1.0として比較したものであるが、大震災までの期間については非常に高い連動を示している。


この期間、日米双方で様々な金融政策(特に金融緩和策)が実施されたが、各国の政策がその国の株価にのみ与えた影響というものはこの推移にはみることができない。 米国の金融緩和策が米国の株価を引き上げたときには日本の株価(ドル建て)も又同様に引き上げられてきたのである。


これをそのまま考えると、円安の影響は単に為替上のもの、つまり1%円安になれば1%株高になるはず、という事になるが、実績(Weekly)を基に作成したグラフ(以下)を見る限り円安による株高効果(@日経平均)はそれ以上のものがあるように見える。


で、なぜそのようなことになるのかといえば円安(ドル高)と米国株価上昇が連動しているからである。 


円安は米国からみれば日本に対する通貨高であり、上述の「輸出企業に対する通貨安効果」を考えるとドル高になったときに米国の株価が上昇しているというのは不思議に思えるかもしれないが、実績を見れば、そうなっている。つまりこれは為替と輸出企業収益予測の範疇の話ではなく、米国金融市場の「リスクオン・オフ」の文脈で考えた方が良いということを示しているのではないだろうか。


米国の金融市場に対して「リスクオン」につながる状況の変化が起こったり政策が実施されたりすれば、それは避難通貨として認識されている円の下落(円安)と、米国株価の上昇に繋がる。この時、ドル建てで見れば米国株価と連動している日経平均は米国株価との連動による上昇(ドル建て)に加えて円安による上昇(円建て)が重なり、大幅上昇することになる。


先日発表になったQE3は普通に考えるとドル安に繋がる政策であり、実際にユーロやポンドに対してはドル安へと振れたが、円についてはドル高(円安)になった。これは政策自体の持つドル安圧力と米国金融市場の「リスクオン」による円安圧力のせめぎあいによるものと考える事が出来る。

以下は間違いでした。 20日の午後から欧州でユーロ安とスペイン国債下落が起こってたのと勝手に結び付けてましたがコメ欄で指摘を受けたとおり時間的には日本の20日午後の株価下落とは直接的に関係なかったです。よく調べて書かないと駄目だと反省、、

又、その後円高、株安に振れたときにはまたいつもの様に「日銀の緩和不足が原因だ」みたいな話も見られたが、これはユーロ発(スペイン発)の経済不安が米国金融市場の一時的なリスクオフに繋がり円高、株安へと波及しただけで、為替市場にしても円がどうこう以前にユーロが殆どの通貨に対して大きく下落したのが特徴である。これを日銀のせいにするのは「日銀がー」と言いたいだけじゃないかといわざる得ない。


以上の考察は、リーマンショック以降の円安→株高/円高→株安の関係については、必ずしも「円安になったから輸出企業の収益見込みが改善して株高になった。」ことを示しているわけではないという事であり、それ以上でも以下でもない。しかしながら輸出企業の収益予測を通じた円高による株価へのマイナス効果が多かれ少なかれ間違いなくあるはずであるのにドル建ての日本株価がこれだけ米国株価に連動していた事実は非常に興味深いと言えるだろう。


結局、これは株式市場をはじめとする米国金融市場の規模が拡大する中、本来なら必ずしもそこまで連動する必然性のない、コモデティ価格(のインデックス)や日経平均などがヘッジの対象となって過度にシンクロしてしまっているという現象の一つではないだろうか? そうだとすれば大国とは言え一つの国の金融市場のリスクオン・オフが世界中の国に影響を与え、そしてそのオン・オフに大きな影響を与えているのは中央銀行の一握りのスペシャリスト、そして彼らにして大統領選の結果次第ではごっそり入れ替えられてしまうという現状はとても健全なものとは言えないだろう。