ゼロ金利下での金融政策の射程について (QE3雑感)

既に一部では語りつくされた感のある話であるが、ゼロ金利下での金融政策の射程について


このテーマについて、ゼロ金利下でも金融政策は有効である主張するリフレ派のお気に入りのロジックはクルーグマンが繰り返し示唆している以下のような「コミットメント」を通じた経路だろう。

いまの金融政策はたしかに流動性の罠において効果的じゃない.でも,中央銀行ができることの射程はまだある.経済がゼロ下限に直面しなくなった将来においても金融政策をゆるめたままにしておくと信頼できるコミットメントをとるかたちで対策を打てる.

そこで問題となるのは,そういう信頼できるコミットメントをとる方法だ.実のところ,これは2段階の問題となっている.まず,経済が流動性の罠から抜け出たとたんに通常の政策(標準的なテイラールールとか)に復帰することはないというシグナルを送るのはいい考えだってことを,中央銀行に納得させなくちゃいけない.その次に,危機が過ぎ去ったとたんに中央銀行がもとにもどることはホントにないんだと民間部門に信じさせなくちゃいけない.

(「金融政策 VS. 財政政策,再説」 「道草」様より引用)


これは一見理屈にあっているように見えるが、その有効性について二つの点で筆者は懐疑的である。

まず一つ目の疑問点はそもそもそうやって民間部門に信じさせる事が出来たとして、それが本当に景気回復への有力なサポートとなるのかという点。そして二つ目の、そして最大の疑問点はそのような事を民間部門に信じさせる事が本当に可能なのかという点である。


単純に言えば、中央銀行が民間に信じさせなければいけないことは「危機が過ぎ去った後に通常の政策であれば引き締めるべきタイミングが来ても引き締めたりはしない」という事である。 

しかし、そもそも「通常の政策であれば引き締めるべきときに引き締めない」という事は、中央銀行がその時点においてベストと考える選択を行なわないということであり、過去の口約束に縛られて恣意的に景気に悪影響を与えようとする行為(或いは無作為)を採るという事である。 

そのようなオプションを本当に時の中央銀行がとりえるのだろうか? そしてとるに違いないと民間部門に信じさせる事ができるだろうか?


まあ、この辺りの議論はぐぐっていただければ幾らでもより深い議論(賛否両方)が出てくる話でもあるので、ここではこれ以上論じない。


一方でゼロ金利下で中央銀行が取りうる政策が景気になんの影響も与えないかというと、もちろんそんな事は無い。 中央銀行は経済における巨大なプレイヤーであり、その行動は良くも悪くも経済全体に大きな影響を与える事に疑問の余地は無い。


ではどのような影響が考えられるだろうか?


ちょうど先日行なわれたジャクソンホールでの議論について「効かない金融政策:ジャクソンホールの謎」という英エコノミストの記事が翻訳されており、その中で分かりやすい説明があったので引用してみる。

 金融緩和は通常、企業と家計に将来の消費と投資を現在に繰り上げるよう促すことによって機能する。だが、緩和政策には「再分配」効果もある。例えば、低い短期金利は所得を預金者から銀行に再分配し、それによって銀行は資本を増強できるようになり、融資を増やすよう促されるからだ。

 同様に、10年物国債の購入は一部の投資家を豊かにする一方で、長期の年金債務を支払うために債券の所得に依存する年金基金などの投資家に害を及ぼす。中央銀行は、最も支援を必要とする部門に合わせて政策手段を手直しすることで、政策に対してより多くの成果を得ることができるという。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36083


このうち、「通常」のルートについてはともかく、残りの二つの「再分配」効果については流動性の罠と関係なく機能しそうである。 つまり

  • 低い短期金利による預金者から銀行への再分配
  • 長期国債の購入による債権の所得に依存する年金基金などから一部投資家への再分配

である。 一部投資家はともかく、銀行が資本を増強できるようになることは確かに効果があるかもしれないが、その効果には限界がある。 銀行が一息ついたとしても家計のバランスシートが悪化したままでは銀行から民間にはお金が回っていかず、景気への効果は限定的とならざる得ない。 また、再分配されてしまった方の預金者等は可処分所得が減り、マイナスの影響を与える。


そしてこの限界に対応すべく?今回のジャクソンホールでは更に突っ込んだ金融政策(か?)を求める声があがった。

1つの問題は、直接的な介入が最も有効に機能する分野を見つけ出すことだ。シカゴ大学のアミール・スフィ教授は会議で、本当の問題は債務を抱えた家計が借り入れできない、あるいは借りる気がないことであるため、銀行の利益を増やすことは需要を再開させることにはあまり役立っていないと述べた。

スフィ教授は、相対的に高い家計債務を抱えて景気後退に突入した州では、個人消費と自動車販売台数が特に弱いことを示す証拠を提示していた。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36083

また、ジャクソンホールでの議論ではないが、より直接的な説明がマイケル・ウッドフォード氏の日経インタビューにあったようなので、こちらは「事務屋稼業」さんから引用させていただくと、

「私はQE3の可能性と効果をかなり慎重に見ている。FRBのバランスシートを拡張しお金の流動性を高めて米経済を動かすというのは、一部経済学者の間では根強い人気を持つ考え方だ。だが、そうしたメカニズムが有効に機能すると考える理由はきわめて少ない。米長期債購入(のQE3)により金利を抑えれば刺激効果を与えるという主張も、今の低金利を考えれば根拠はないに等しい。政策を誤った方向に導く恐れさえある


(住宅ローン担保証券などの)証券購入などを通じ、特定の市場に対しより直接的に信用を供給するほうが理にかなう。日銀は緩和目的をより限定し多様な資産購入を進めてきた。彼らの様々な実験と失敗から米が学ぶべきことは多い」

http://d.hatena.ne.jp/JD-1976/20120911/p1#p3


この辺りまでくるともはや金融政策と呼んでよいものか疑問であるが、要はこれ以上(流動性の危機をとりあえずは脱した)銀行の利益を増やしても景気回復に追加効果が得られないし、既に低金利である長期金利をさらに下げてもそれが景気に刺激効果を与えるとは思えないので、もっと個別の市場にまで突っ込んでいくべきだという議論である。


これには確かに一面の事実がある。

米国での家計のバランスシートは全体としては改善の兆しが見られはするものの、依然肝心の住宅価格にははっきりとした持ち直しの動きが見られず、一方でほぼ危機前の価格を取り戻した株式などは、その保有が上位の所得層に集中しており、低・中間所得層には、十分に行き渡っていない。
よって住宅市場に直接資金をつぎ込むことによって住宅価格を持ち上げることができれば、確かに資産に占める不動産の割合が高く住宅ローンも抱えている低・中間所得層にも好影響を与えることが期待できるだろう。 実際に次回のQE3は住宅ローン担保証券等が主対象となるのでは無いかとみられており、足元の雇用情勢等含めると明日のFOMCで発表されるだろうというのが大方の予想のようである。(というか発表されたようだ、)


しかし、これは上述の通りとりあえずの効果があるとしても、結局の所現在の危機に繋がるバブルに踊った人々を(金融機関、不動産投機者)を当局が助けているようなもので、必ずしも公正とは言えないし、そのようなことが中央銀行によって行われるとなれば、今後の経済の安定性にも禍根を残すことになりかねないのではないか? そもそもそれが中央銀行の仕事なのかという疑問もぬぐいきれない。


結局の所、ゼロ金利下における金融政策の射程については、日銀だけが失敗していると考えられ、好き放題批判されていた頃と比べるとコンセンサスとして明らかに短くなった(か、少なくとも遠くまで射ることの困難さが知れ渡った)と言える。

陰謀論的な悪意をもった中央銀行でさえなければ、軽く射ただけでどこまでも飛んでいくかのように語られてきたのは(一部の人々以外にとっては)既に過去の話で、当代随一の弓の名手と目されていたバーナンキが射てもなかなか前評判通りには飛ばない現実を見て、弓の性能自体に問題があるのではないかと皆が考え始めたのである。

もちろん少しでも遠くへ飛ばそうとして弓を力任せに引き絞れば今よりは遠くへ飛ぶかもしれないが、どこに飛んでいくかわからないし、既に流れ矢の被害が世界各地で出ているようにも見える(参照「QEは中東騒乱に関与、「悪魔の美酒」に酔う議長」)。又、最悪弓を折ってしまうことだってあるだろう。 

こういった状況を考えるならば、次にやるべきは射程の短さを認識し、いざという時に撃てるように矢を温存しておくことであり、射手が刀を抜いて敵陣に突っ込んでいくことではないのではないだろうか??