中央銀行はインフレ率を任意の水準にコントロールすることができるのか?

今回はすこし趣向を変え、インフレ目標政策に関連してある種の思考実験のようなものをやってみたい。


仮に今、陸続きで隣り合った二つの国が共にインフレ目標を2%に設定したケースを考えてみる。

この二つの国の現時点での国民の豊かさは同水準であり、物価水準も同じ、そして両国間では自由な貿易と資本の移動が行われている。 但し一方の国は(人口ボーナス等の)何らかの理由で、潜在成長率が3%あるのに対し、一方の国は1%しかないとする。


この状態で、もし両国の中央銀行総裁が全知全能とも言える能力を有していたとして、この2カ国は長期的、安定的にインフレ目標を維持する事ができるだろうか?


このように二つの国があった場合、その間の為替相場を決める理論として有名なものに「購買力平価説」と「金利平価説」が存在する。

購買力平価説の背景はごく単純に言ってしまえば、自由な貿易が行われていれば、同じ商品の価格は1つに決まるという事である(もちろん各種前提はあるが)。 上の例で考えると、両国が自由貿易を行っており、その豊かさと物価水準が同じ所からスタートし、そしてインフレ率が長期的に同じ水準に保たれるのであれば為替も又同じ水準で保たれるということになる。 (そうでなければ為替が高くなった国は低くなった国よりインフレ率が低くなる(追記1))

一方で金利平価説は、これも単純に言ってしまえば為替レートは自国通貨と外国通貨の名目金利の差によって決定されるというものである。 これも上の例で考えると、もし両国間で名目金利に違いが生じたとすれば、それは資本の移動を介して為替に対する変動圧力となる。 これを逆に考えると(購買力平価から考えたように)為替が長期的に同水準で保たれるのであれば、両国の名目金利もまた同水準に保たれる必要があるという事になる。


通常であればこの二つの説は整合的である。 インフレ率が高い国では通常名目金利は高く、為替は下がり、逆にインフレ率が低い国では名目金利も低く為替は上がる。 近年の日米のような状態と考えればよい。


しかし、この仮想上の二つのインフレ目標採用国の間では話が異なってくる。

もし潜在成長率が高く、自然利子率の高い国(A)でインフレ率2%と均衡する名目金利が2%であったなら、低い国(B)も同じ名目金利でなければ長期的に為替を一定水準に維持し続けることはできず、したがって(購買力平価的に)インフレ率を同水準に維持することはできなくなる。 しかし、国内経済を考えた場合、自然利子率の低いB国においてA国と同じ名目金利とインフレ率を同時に達成するような金融政策が存在するだろうか?


もちろんこれはごく単純化したモデルであり、現実にそのまま当てはまるものでは無い。 
しかし、中央銀行が適切な金融政策さえ取れば、自国の潜在成長率とも、他国の金融政策やインフレ率とも独立して任意のインフレ率を維持できるというような考えは単純すぎるといえるのでは無いだろうか。 これは別に特別な話ではなく、要は中央銀行がその政策で長期的、安定的に維持できるインフレ率の範囲は、様々な要因によって制約されており好き勝手に選べるものではないというだけの話である。



[追記1]
いくつか前提を追加すれば、為替が趨勢的に変わっていきながらインフレ率を(少なくとも短期的には)同水準に維持するシナリオが他に無いわけではない。 為替高になった国では貿易財(とその競合品)は名目で(相対的に)値下がりするわけだからインフレ率を維持するためには非貿易財がその分も値上がりすればよい。 要は為替高になった国で人件費が更に名目で上昇すれば良いわけだが、もちろんそのような状態は長続きしない。 又、その様な金融緩和政策は非貿易財や人件費を上昇させる以上に資産価格を上昇させバブルを発生させるリスクもあるだろう。 この流れはプラザ合意からバブルまでの日本の状況に近いのではないかと筆者は考えている。


[追記2]
ちなみにA国とB国のどちらがインフレ目標政策を達成しやすいかといえば、それは多くの場合、規模が大きいほうであろう。 つまり潜在成長率の高いA国がアメリカ、B国が日本なら日本のインフレ率はインフレ目標を下回り、逆にB国がアメリカ、A国がブラジル(発展途上国)ならブラジルのインフレ率はインフレ目標を上回る可能性が高いということになる。 


[追記3]
中央銀行が安定的に維持できるインフレ率はおそらく潜在成長率が上昇すればそれに伴い上昇する。日銀が純粋な金融政策から一歩踏み込んで成長基盤強化に向けた支援策に乗り出しているのも、これを意識してのことと理解できる。


[追記4]
尚、もし中央銀行がインフレ「期待」を実現インフレ率と独立して操作できるのであれば、上述の限りでは無い。 唯、実現インフレがずっと1%なのにインフレ期待をずっと2%に維持できるような離れ業が可能なのであれば、そもそもインフレ目標政策なんて遠回りなことをする必要があるかどうか疑問である。