財政再建は「明日から本気」を出せばよい問題なのか?

財政再建については「長期的には必要だが、その時期は今ではない」というような議論が散見される。 例えば弊ブログのコメント欄への書き込みから引用すれば

緊縮はともかく財政健全化にメリットがあるのは事実だろうけど、それは非常に長期的な話(しかも、適切な時期に適切な規模で行なった場合の話)であって2,3年で結果の見られるようなものではないし、緊縮が即座にメリットを生み出す経路と考えられる非ケインズ効果はエストニアではまず見られていない。「苦労したんだから良いことがあるはずだ」といった道徳談義ではない、経済数字において、いったいどんな経路で「エストニアは緊縮で景気回復した」と言い得る可能性があるのか、非常に興味がある。

みたいな主張である。


しかしこの手の主張は、一見「財政健全化」にも一定の価値を認めているように見えても実際には全く「財政健全化」を実際に行う事に価値を認めていないのに等しい。

全ての国が「財政健全化」抜きでも「非常に長期的」に何の問題も起こらないというならそれでも良いが、もしそうならそもそも「財政健全化」には全く意味がない。「財政再建」は殆どのケースで短期的にはコスト、つまり「緊縮の痛み」、を伴うもので、それなしでやっていけるんなら誰もやりたがらないだろう。
逆にある国が短中期的に「財政健全化」抜きでは問題が発生するのであれば、その国にとっては「財政健全化」のメリット(或いは財政健全化ができていないデメリット)は短中期的に表れることになる。

もちろん現実に財政問題が多くの国で発生している中で、全ての国が「財政健全化」抜きで「非常に長期的」に何ら問題が生じないなんてことは全く信じられないから、「財政健全化」が短中期的に必要な国は必ずあるはずだが、「財政健全化」を「非常に長期的な話」と切り捨てるような考えではそれが必要な国にとっても「財政健全化」を行うべきタイミングを逸してしまうことは明らかである。 

結局「財政健全化」をこのように評価するのは財政で問題が起こっても事後処理すればよいと言ってるのと何ら変わらないが、財政問題も事後処理戦略のコストが非常に高くつくことも明らかであり、このような見方がもたらす弊害は非常に大きいだろう。


ちなみに上記をコメント内でも言及されている「非ケインズ効果(以下参照)」の文脈で考えてみる。

「非ケインズ効果」
政府による財政支出の削減や増税が、国の景気やGDPにプラスの影響を与えるという学説。人は将来の予測に基づいて行動することから、国の財政赤字が深刻な場合には、財政支出や減税が将来の増税を意識させ、消費を手控えさせる結果を招くとする。不況時は財政支出や減税により有効需要を補うべきと主張した、ケインズの理論と逆の効果。
http://kotobank.jp/word/%E9%9D%9E%E3%82%B1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BA%E5%8A%B9%E6%9E%9C


財政再建によって「非ケインズ効果」が単純なプラス反応として現れるためには、事前に人々が「将来の予測に基づいて」消費を抑制している状態であることが前提条件であるが、これは既に財政問題が単なる長期的な懸念ではなく現時点の経済に負の影響を与えているという事であり、本来であればそのような状態になることを避けるのが財政再建の目標のはずである。 「非ケインズ効果」によるような短期的なメリットが期待できないなら財政再建を急ぐ必要がないというのは「病気になる前に健康に気を付けるのは無意味だ」と言っているようなものだ。


ただ、筆者は通常の場合、個人消費レベルで「非ケインズ効果」のようなものが緊縮のメリットとしてどれだけ期待できるのかについては少々疑問に思っている。 多くの人にとって個人が行う「将来の予測」はそれほど長期のものでもなく、今のギリシャのようにあからさまな危機でもない限り経済を左右するほどには消費に影響を与えないのではないのではないだろうか? つまり個人消費を通じた「非ケインズ効果」が明らかに期待できるような状態にまで落ち込んでから財政再建を行なうのは手遅れに近いのでは無いかという疑問である。


一方、筆者はむしろ財政再建の効果が目に見える形で期待できるとすれば、それは投資(特に海外からの投資)を通じたものではないかと考えている。

すぐに破綻するわけではないとしても、長期的に財政に問題が生じると考えられればそのような国での投資はハイリスクとなる。 特に海外からの投資はこういった財政リスクに厳しい。 先日紹介したアイルランドがEUの新財政協定への国民投票での賛成を求めて行ったキャンペーンのキャッチフレーズ ”Investment, Stability, and Recovery"の最初に来ている"Investment"も、要は財政再建による短期的な痛みに耐えてでも長期的なリスクを取り除いて、その後の投資拡大につなげようという話である。

ここで例えばエストニアの国債の格付けの推移を見てみると金融危機後、2008年から2009年にかけてAからBBB+まで2段階引き下げられているが、(痛みを伴う)緊縮財政によって財政再建を概ね達成しユーロ加入を翌年に控えた2010年にはAへと回復し、その後も欧州経済の財政問題による混乱が続く中、A+まで格付けを上げている(格付けは変動の大きかったフィッチを参照)。

日本では国債格付けと金利や為替が連動しないケースが多く、格付けに大した意味などないというような見方もあるが、多くの(或いは殆どの)国では国債格付けはその国の経済に対する非常に重要な評価となっている。 格付けと景気が悪循環しあってどんどん悪い方向へと転がり続けている多くの国のケースを考えると、エストニアの格付けの回復はその後の景気に好影響を与えたと見ることは自然だろう。 


現実問題として、もし時期を自由に選べるのであれば好況の時の方が財政再建に適しているというのは事実である。しかし、財政問題はいつかそのうち解決すれば良い「長期的な」懸念ではない。 それを「長期的な」懸念と放置し続けていれば最悪のタイミングで、そして最も痛みが大きい形で、否応なく緊縮財政を迫られることになる。 

構造的財政収支の長期的な見通しが均衡していない状況下では、景気後退やバブル崩壊等が切っ掛けになって財政問題がクローズアップされ、景気後退と、それによる歳入減、そして構造的な財政問題が互いに影響しあいながら悪循環し、自力での事態収拾が困難な状況にまで一気に押し流されるケースがある。 ギリシャなどは典型的な例だろう。


人は「今破綻していないんだからもう少しは大丈夫、いやもう少しどころか当分大丈夫、きっとそのうち考えれば大丈夫」と考えがちであるが、過去に破綻したどの国でも多くの人は経済が破綻に向かって転がり始める直前まで、「当分大丈夫」と考えていたわけで、「今破綻していない」ことは将来への何の保証にもならない。 長期的、構造的な問題は短期的に対応すべき問題であり、無策でいること、先送りすることは現状維持ではなく、将来の対応をさらに困難なものにしているにすぎない。 

一生ニートで暮らしていけるんなら「明日から本気出す」を続けていても構わない。今日から本気を出す事は短期的にはその人の効用を下げるかもしれない。又、本気を出すタイミングとしてより好ましいのは学生の頃だったのかもしれない。しかし今何歳であったとしても一生ニートを続けられないのであれば、「今日から」本気を出さないとダメなのである。


財政再建はもちろん道徳談義でもなければ長期的に対応策を考えればよい問題でもない。 健全な財政規律を守ることと長期的、安定的な成長を成し遂げることは相互補完的であり、一方が欠けていては他方の達成も難しい。 明日から本気を出せばなんとかなるように見える問題は今日本気を出さなければ永久に解決されないのである。


[追記]
もちろん必ずしも「短期的に対応する」=「今すぐ歳出の大幅削減をして構造的財政収支を均衡させる」ではない。 特に日本にとっては財政問題が「短期的に解決できない」という意味で「長期的な」問題であることは間違いなく、現時点の判断で中長期的に確度の高い対策がとられることがコミットされるならそれは短期的に対応したことに準ずる効果が期待できる。 ただし、それが「デフレ脱却、税収のGDP弾性値4で財政再建可能だ(キリ」みたいな対策?であればその効果は推して知るべしということになるのだろうが、 


[追記]
ちなみにエストニアのケースで緊縮策の評価に非ケインズ効果の有無を持ってくるのはそもそもナンセンス。

エストニアでは2008年までは加熱した景気による歳入の増加によって財政収支が均衡しており、歳出の急増による構造的財政収支の問題が認識されたのは過熱した景気がはじけてから。 当然そのような状況下で景気が過熱している時に人々が「将来の予測に基づいて」消費を予め抑制したりはしない。 もしエストニアが2008年以降に年金とか公務員関連費用のような構造的な歳出に切り込んで財政再建を行わずに財政問題を放置していれば、財政懸念が人々の消費を抑制していた可能性はあるが、いずれにしてもエストニアはそうなる前に手を打ったのである。