なぜバブルが崩壊したのに家賃は下がらないのか?

常に高いクオリティで洞察力に富むエントリーを量産されており、いつも興味深く読ませていただいている「ニュースの社会科学的な裏側- www.anlyznews.com」様の「家賃にみる下方硬直性」というエントリーがはてぶで話題を集めていた。


「家賃にみる下方硬直性」
http://www.anlyznews.com/2012/04/blog-post_3091.html


こちらのエントリーではバブル崩壊以後、住宅地地下が大幅に下がったのに対し、家賃が高止まりしていることを示し、それを「価格の下方硬直性」の一例として、「インフレで実質ベースの家賃が下落して行く状態ならば、住宅地地価と家賃の乖離はここまで大きく無かった可能性は高いと思われる。」と指摘されている。 
(尚、住宅地地価と住宅価格は同じ傾向が見られるとの追記あり(筆者も幾つかのデータで同傾向を確認)。以下では「住宅価格が大幅に下がったのに対し、家賃が高止まりしている」ことに対する考察とした。)


確かにこの指摘には納得出る部分もあるのだが、筆者はむしろバブル崩壊から現在に至るまで(住宅価格をベースに考えると)家賃が「安すぎる」状態が続いたことが、この乖離を生んだのではないかと考えている。 

前回のエントリーではバブル拡大局面、つまり住宅価格の上昇局面、では住宅を賃貸物件としてみた場合の将来の「期待」収益率が過大評価されることによって収益性からみた住宅の「適正価格」もまた過大評価され、結果としてバブルの拡大に歯止めが掛からなかった、という解説を試みた。 そして、筆者の理解ではバブル崩壊で住宅価格が暴落する中で、家賃が高止まりしていることもこの文脈のなかで説明可能と考えている。



まず、バブルの拡大局面を考えると住宅価格の上昇率に対して、家賃の上昇率はそれを大きく下回っている。 つまり単純に家賃に基づく収益性(ROA的な)のみを考えるなら、この時期はそれが大幅に悪化していった時期と見ることができる。 

しかし、前回考察したように、住宅価格が上昇し続けるという予想が支配的なら、時間差はあるかもしれないが家賃も又上昇し続けるという予想が成り立つわけであり、バブル拡大局面においても賃貸物件の将来の「期待」収益性は(少なくとも主観的には)足元の収益性程悪化していたわけでは無いだろう。 またREITのうたい文句のように「投資利益と投機利益の両方が狙えます!」的な考えもバブル拡大局面での(住宅価格上昇率>家賃上昇率)の状況を大家に許容させる要因となったとも考えられる。

いずれにしろバブル拡大局面においてこの乖離は累積していった為、バブルのピーク時期は賃貸物件の家賃のみに基づく収益性が最も悪化した時期となった。


そしてバブルが崩壊し、住宅価格は暴落した。 


バブルが崩壊し、住宅価格が上昇し続けると言う「期待」が剥がれ落ちたことにより、家賃も長期的には上昇し続けるだろうという「期待」が維持しえなくなった。 つまり(将来の「期待」収益率 > 現在の実際の収益率)だったものが(将来の「期待」収益率 ≒ 現在の実際の収益率)となったわけである。さらに「投資利益」とともに期待されていた「投機利益」については期待できないだけでなく、下手すると損失まで覚悟せざるえなくなった。 
これらの条件を考えると、投資・投機案件としてその期待される収益性から求められる家賃の水準は、賃料/住宅価格の比で見た場合バブル拡大局面よりも高くなくてはならなくなったということになる。


この場合、賃料が安すぎて賃貸物件を保有する価値が低いと判断されれば、賃貸物件の供給が先細りになって需給が逼迫するため、長期的には家賃と住宅価格はある程度の収益性を持つ水準、つまりより安い住宅価格かより高い家賃(或いはその中間)でバランスすると考えられる。

つまり住宅価格の下落局面で生じた、家賃の高止まりは全体としては住宅価格と家賃の間の均衡への調整局面だったというのが筆者の理解である。



「ニュースの社会科学的な裏側」様のエントリーでは、空室率が上昇している中で賃料が高止まりしているのは不自然(「何かの誤解している」)との指摘があるが、ここで留意すべきは、住宅・賃貸の場合、少なくとも短中期的には需給が一致するような価格水準が存在するわけではないという事である。 その点について「ニュースの社会科学的な裏側」様は

教科書的なミクロ経済学の説明では、地価が下がって家賃が高止まりしているのであれば、土地を買収して大家を始める人が出てくるので、家賃が下がるか土地があがるかして、両者の価格推移は安定的になるのだが、実際はそうではない。価格の下方硬直性と見なして良いであろう。


アパートの入居率が低い事は良く報道されている(賃貸住宅の空き室率推移をグラフ化してみる:Garbagenews.com)ので詳しいメカニズムは不明だが、大家も借家人も何かの誤解をしているようで、家賃の低下ペースが遅いのは否定できない。そしてインフレで実質ベースの家賃が下落して行く状態ならば、住宅地地価と家賃の乖離はここまで大きく無かった可能性は高いと思われる。

と解説されており、家賃の水準が「高すぎた」と考えれば、全く指摘のとおりだと思われるが、地価が下がってもまだ家賃が「安すぎた」と考えれば特に不思議はない事になる。


もちろんそういった状況下で、短中期的には価格水準によって本質的には需給が改善されないとしても、需給が価格水準に影響することはありうる。 住宅賃貸市場において特にその影響が顕著に見られると推測されるのは高価格帯の賃貸物件である。 住宅は生活においては必需品であり、よって低-標準価格帯の賃貸物件の需要者には「借りない」という選択肢があまり無いが、高価格帯の賃貸物件の潜在的需要者には価格帯を落とすというオプションがあるからである。 (そして実際にこちらのサイトのデータを見るとそういう傾向があるようにも見える。)

もう一点付け加えておくと、住宅価格が下落を続けているということは、既存のプレイヤーは現時点の住宅価格より更に高値で仕入れているということであり、彼らにとっての収益性は平均すれば新たに参入する人々より悪くなっているだろうが、そのこと自体は家賃が下がらない決定的な要因にはならない。 問題は安い家賃で既存の市場に食い込んで収益をあげるという戦略が取れないほど住宅・土地価格が(家賃をベースに考えると)高すぎるという事である。 
よってこれらの条件を考えると、家賃が今後大きく下がる可能性があるとすれば景気が回復せずに金利だけが上昇するなどして、多くの「投資家」或いは「投機家」が耐えられなくなり、住宅の投売りをするようなケースかもしれない。 


以上をまとめると

  • バブル崩壊直後の家賃は「投資」案件と見た場合、安すぎる水準にあった。
  • 不況と空室率の上昇は高価格帯の賃貸物件の価格下落を招いたが、住宅は生活に必須の為、低-標準価格帯の家賃への影響は小さく、住宅価格の下落と比較すると「高止まり」することとなった。
  • しかしながら収益性を考えると、住宅価格は依然高い(家賃は依然低い)状態が続いたため、新規参入者が低価格を武器に低ー標準価格帯の市場に参入することは難しく、家賃の下落圧力にはならなかった。

ということになるだろうか。 


現実問題として家賃が安すぎたのか高すぎたのかは評価の難しい所であるが、例えば住宅価格が下落を続けていた2000年頃に賃貸物件を(或いはREITを)買ったと考えて、その現時点までの配当とキャピタルゲインを併せた収益性を見てみれば、それほど良いものだったは言えないだろう。 2000年の時点で多くの人がそれを予測できていたかどうかは難しい所であるが、総体としてみれば「現時点での不動産投資は無いな」と判断した人が差し引きで見れば多かったから住宅価格は下落を続けたという見方もできるのでは無いだろうか? 


[追記]
上記に関連して興味深い参照情報を提供されているサイトを発見。


[不動産]家賃の下方硬直性は「大家さんが頑張ってる」から
http://d.hatena.ne.jp/Lhankor_Mhy/20120424


こちらでは住宅価格とではなく、勤務先収入と家賃を比較したグラフを作成されているが、それによるとバブル拡大期から勤務先収入がピークをつけた90年代半ば頃までは(家賃の伸び率>勤務先収入の伸び率)の状態が続き、その後は両者の関係は安定している。 

1985年を100と見た場合、勤務先収入は上昇し続け1990年代後半には約130まで上昇しているが、同時期に家賃地代は180近くまで上昇している。 また、バブル崩壊後は収入は120弱まで下落し、家賃地代も160まで下落した。(ただこの数字は「ニュースの社会科学的な裏側」様の数字と結構乖離がある。インフレ調整分??)

この水準は、もし家賃が収入の1/3だとすれば、収入増加分の殆どが家賃地代の増加分に吸い取られたことになる。 (実際には家賃の収入に対する割合は平均すればもう少し低いかもしれないが、収入の増分も別にバブルによるものばかりでもないだろう。)

このデータはバブルによる恩恵は「持たざるもの」には非常に薄いものであるという事を示しているのでは無いだろうか?