「投機」と「住宅バブル/サブプライム問題」

世界中で何度も繰り返し住宅バブルが発生・崩壊していることからも分かるとおり、住宅はその特性として「投機」の対象になりやすい条件を備えている。

それは前回書いたとおり「ある程度希少性があり、価格の上昇によって供給量が容易に増加せず、代替もききにくい」ということであり、要は収益性や需給といった観点からの「適正価格」の評価が難しいという事である。 このうち、以下では「収益性」という観点からなぜ住宅の「適正価格」の評価が難しく、住宅バブルが起こりやすいのかについて考察してみる。


住宅のうち「居住用の住宅」についてはその「収益性」を直接図ることが難しいが、一つの切り口として、その物件を賃貸した場合を想定することによってその「収益性」が推し量られることがある。 この切り口はいわゆる「賃貸−持ち家論争」でも良く見られるものでもあり、つまりその物件を貸すことによって得られるであろう賃貸料が住宅の「適正価格」の目安となりうるという考えである。 これはオーソドックスな考え方に見えるが、以下に述べるようにバブル生成時においては賃貸料は適正価格を計る目安としてはかなり脆弱であり、それ故に「適正価格」の目安にはなりにくいと筆者は考えている。


賃貸料は住宅価格と違ってバブル生成局面ですぐに上昇するわけではないかもしれないが、住宅価格が上昇し続けるという予想が支配的であればほぼ必然的に賃貸料も又上昇し続けるであろうという予想が導かれる。 そうでなければ誰も新たに賃貸物件など作らないだろうし、既存の大家にしても賃貸物件を売却し、その代金を国債等で運用した方が収益率が高いようなら賃貸を続けるメリットは小さくなる。 しかしそうやって賃貸物件がどんどん減っていき、一方で住宅の価格が上がり続ければ、需給の関係から賃貸料は必然的に上昇する。 つまり長期的には賃貸料が住宅価格と投資案件に期待される収益率から導かれる水準から大きく乖離しつづけることは想像しにくいということになる。


そして賃貸料が住宅価格につれて高くなるという予測が存在するなら、足元の賃貸料から考えて住宅価格が高すぎる水準になったとしても、投資(+投機)資産として住宅を購入する人へのブレーキにはならない。 つまり住宅バブルの場合、将来の「期待」収益性に基づいて投機判断がなされる限りにおいては、バブル拡大中は投機資金が集まり住宅価格が高騰してもその「期待」収益性は損なわれないように見える為、「収益性」の観点は住宅バブルにおいては有効なブレーキにならないということになる。 これは住宅バブルを事前に検知するのが難しいという問題とも繋がっており、バブルを抑制するために中央銀行は時として「パンチボールを片付ける」のが早すぎると非難される覚悟を持って臨まねばならないということになる。




次に、前回、前々回のエントリーに「住宅の転売」についてのコメントが付いていたので少し触れておくと、その市場内で住宅を需要し続けるのであれば、よい住宅が見つかって移り住んだとしても、市場にとっては最終需要者であり、その人間が市場に費やすお金は「最終消費者・需要者以外からの資金の流入」に当たらない、つまり「投機」ではない、というのが筆者の理解である。


確かに住宅を購入する場合、必ずしも全てが文字通りの「終の棲家」となるとは限らない。 しかしながら転売する可能性があるからというだけでそれが「最終消費であり投機」とはならない。 以前にも書いたが、それが「投機」であれば「投機」利益がでるような状態、例えば購入した住宅の価格がバブルによって2倍になったような状態、になったとしても通常はその住宅に住み続ける限りその「投機」利益に手をつけることは出来ない。 そして少し考えれば分かるが、もっとよい住宅が見つかって移り住む場合も、もとの住宅を売却して「投機」利益?を一時的に得たとしても、同じくバブルで価格が上昇した同水準の住宅を新たに購入するためにはこの「投機」利益もろとも売却金額を突っ込まねばならず、「投機」利益を手にすることは結局出来ないし、そもそも市場から見て需要者であり続けることにもかわりはない。

もちろんそれでもバブルが進む前に住宅を所有していた人にとってはメリットが無いわけではない。 住宅価格が高騰した地域から田舎に住み替えるなど、「結果として」利益が上がるようなケースは色々有るだろう。 ただ、そういった「結果として」利益が上がるような個別のケースでは需要者が市場から出て行くときに「結果として」利益を上げるわけであるが、需要者が出て行くこと自体はむしろ価格を下げる方向へと働く。 よってこういったケースが多く発生してもそれによって価格が高騰していくようなことは起こらない。 

つまり前回のエントリーで書いたとおり、最終需要者以外からの、そして最終需要者の利益に繋がらない資金が収益を目指して市場に「流入」することが「投機」そして「バブル」の問題の根源であり、需要者が市場から出て行くときに「結果として」利益が上がったかどうかは本質的には「投機」かどうかの判断とは関係ないということになる。そしていずれにしろ前々回のエントリーで取り上げた「投機」の弊害をもっとも強く受ける人々、つまり「まだ住宅を所有していない人々」にとっては「投機」でバブルが進むことには直接的なメリットは全く無い。



尚、上記で「通常は」と書いたのは、「投機利益」が転売せずに住宅所有者の手に入る(ような錯覚を起こす)仕組みが存在するからである。 察しのよい方ならもうお解かりだろうがそれはサブプライム問題を引き起こした要因の一つである「サブプライムローン(ホームエクイティローン)」である。

ホームエクイティローンとは所有する住宅の「正味価値(住宅の市場価値からローン残額を引いた価格)」を担保に金融機関から借り入れを行なうものであり、住宅所有を「投機」と見た場合、「投機」利益がその住宅に居住しながら得られる「ように見える」仕組みである。

しかし、これは少し考えてみるとそういううまい話でもない事が分かる。 

「投機」利益は本来ゼロサムであり、更にサブプライムのケースでは「ホームエクイティ」と言いながらも実際にはそれを担保に金融機関から借金ができるようになっただけで、本来的な意味の利益が上がったわけですらない。

つまり住宅Aを2000万円の借金をして購入した人が住宅の市場価格が1000万円上昇した時に、その上昇分を担保に1000万円借りれるようになったとしても、(住宅A+借金2000万円)が(住宅A+現金1000万円+借金3000万円)に変わるだけということである。  つまりこの場合の「投機」利益は同じ住宅Aに対してより多くの借金を返さないといけなくなった将来の自分から得ただけであり、個人レベルで見てもゼロサムである。  

これもいざというときに借金できる金額が増加したという面ではバブルが進む前に住宅を所有していた人にとってはメリットが無いわけではないが、やはり「まだ住宅を所有していない人々」にとっては全くメリットが無い。


このサブプライムローンのたちの悪いところは本来であれば「投機」と考えるべきでない住宅購入に「投機」的要素を大々的に持ち込んだ上に、その更なる一般化(低所得層化)を金融機関が後押しした点にあるといえる。 この「投機」の後押しと、それによって生じたバブルによって米国の景気は一時的に非常に良くなり、完全雇用も達成したのかもしれないが、結果的にどれだけのツケが経済全般にもたらされたかを考えれば、やはりこのような「投機」の後押しは許すべきではなかっただろう。 


しかしネットの言説を色々読んでみると、世の中にはどうも「投機」を過度に肯定的に捕らえ、かつ「バブル上等!」な人が思ったより沢山居るんじゃないかという気がしてきた。一億総投資家wなんてキャッチフレーズをバブルの崩壊とともに記憶している筆者には同意できない考えであるが、喉元過ぎれば熱さ忘れるということなのだろうか? 


* 長くなりすぎたので住宅バブル以外のバブルについては次回。