所得収支は円高で減るのか?

ブログエントリーにいただくコメントにはなるほどと思わせるものも多くあるが、それは違うのではないか?というものもある。 まあそういったものを気にしていても始まらないわけだが、少し面白いものがあったので考察してみたい。

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所得収支の元は貿易黒字の海外貯蓄。円高で黒字が減ったら所得収支も減る。

実際のコメントには「頭がわるい」だのといろいろとついているのだが、そのあたりは省略w。


まず短期で見れば所得収支はその大部分が投資収益であり、円高になれば確かに減るが、貿易黒字が減るから所得収支が減るわけではなく、投資収益が外貨建てだから円高で円建ての収益が減るだけである。 

海外投資の収益は、累積投資額とその利回りによって決まるわけで円高だの日本の貿易黒字だのといった要素に直接左右される訳でないことを考えればこのあたりは普通にわかるだろう。 (近年は世界的に不景気の時に円高に振れる傾向があるので両者はある程度連動はする可能性があるが、因果関係ではない。)


では中長期的にみればどうだろうか?

これは実際の日本の国際収支の推移を見てみると明らかであるが、貿易黒字が減少トレンドにある一方で所得収支は増加トレンドにある(又、対象期間の輸出、輸入については共に増加している)。 どう見ても貿易黒字が減れば所得収支が減少するといった単純な関係にはない。 また将来の所得収支につながる経常収支黒字も長期的なトレンドとしては貿易黒字が減少したからといってそれに連動して減っている訳ではない(景気には連動している)。


http://www.mof.go.jp/international_policy/reference/balance_of_payments/preliminary/pg22FY.htm


これは

経常収支=貿易収支+所得収支+経常移転収支+サービス収支

      =−(資本収支+外貨準備増減)

      =−((投資収支+その他資本収支)+外貨準備増減)

      = 貯蓄ー投資

という関係を基に現実に何が起こるかを考えれば特に不思議ではない。
これらは貿易収支やサービス収支等の他国とのやり取りだけでなく、国内の貯蓄、投資のバランス等も含めて均衡的に決まっていく経済の一部に過ぎず、よって貿易収支と所得収支やその基となる投資収支の間に直接的な「因果関係」があるわけではないということである。


例えばいくら円高がどんどん進んで輸出企業の競争力がなくなっても、それで海外投資ができなくなるようなことにもならない。 資本の移動の自由が維持され、為替市場が機能している限り各個人、企業が所有している資産を海外に(外貨建てに)移すことができなくなるわけではないからである。 

又、この場合いくら各個人、企業が資産を海外に移しても円建て資産そのものが減少するわけでもない。為替市場は円と外貨を交換しているだけでその事によって一方の量(名目)が増えたり減ったりはしないからである。そうなると円高が進む限り稼ぎ(輸出)もしないのにいくらでも消費(輸入)ができるように感じてしまうが、もちろんそういうことは起こらない。

どんどん円高が進んで輸出が少なくなり、一方で輸入が伸びれば、資本の流出が始まる。しかしこの場合「投資収支、その他資本収支」サイドの圧力により円売り・外貨買いが進み、結果として円安へと戻る方向への圧力となる。 これは円キャリートレードが流行った時期に生じた現象と似ている。 そしてこういう動きが活発化すれば円高がどんどん進んでいくようなことにはならない。 つまり「円高がどんどん進んで日本経済が破滅すると輸入も海外投資もできなくなる」という設定自体が矛盾をはらんでいることになる。


ちなみに輸入がまともにできなくなるケースは円安でかつ輸出企業の競争力が無いケースで、この場合は資産の海外移転(キャピタルフライト)が更なる円安を呼び、どんどん日本の購買力がなくなっていく。 こうなってしまえば資源・食糧を含めた輸入品はどんどんインフレし、経済は縮小していき、通貨安、高いインフレ、少ない輸入、少ない輸出でなんとか釣り合うところまで落ち込んで行ってしまう。 ちなみにこの場合の「縮小」は実質、実体での縮小であり、名目ではインフレによってむしろどんどん拡大していくことになる。


筆者は「実質」での消費こそが経済活動の主目的の一つであると考えており、貿易の場合それは輸入にあたる。 よって最も避けるべきは円安がどんどん進んで行って輸入もままならない状態になることであり、円高はそれがファンダメンタルズに依らない投機的なものである場合を除いて、大きな問題ではないと考えている。 もちろんそういった場合でも円高によって不利益を受ける個人・企業が存在することは間違いないが、その特定の人々の利益に過度に反応して為替介入などを繰り返していけば経済の歪みを累積させ、かえって長期的かつ頑健な経済成長の為にはならないのではないだろうか。


[追記]
これもコメントを頂いていたが、円高で海外投資が損になるか?という話。 


まず端的な事実として投資収益自体は投資後に円高になれば予測を下回るケースが多い。

ただ、例えばもし同様のケースで資金を全額ドル建てで借り入れていれば投資利回りは変らないはずである。借金も円高で減るからである。つまり円高で毀損される部分の儲けはイメージ的には為替差益、或いはキャピタルゲイン的な儲けの話に近いのではないかと考えている。


もちろん実際には日本企業の多くは国内で借り入れた資金(円)で海外の高利回り(期待)の資産を取得しており、その場合円高で借金(円)は減らずに収益(例えばドル)は減るため、収益性にはマイナス要因となる。 

しかしこれもよく考えてみれば国内外の金利差相当分程度に円高が進んでいくだけであれば、別に国内企業がそれによって取り立てて損を蒙るという訳でもない。 この場合、大まかに言えば(円の金利+円高の影響)=(外貨の金利)となり、現地の企業と条件が同じになるだけである。 


国内の企業が海外の資産を買うのは為替差益を狙うというより資産自体の(相対的な)高収益性が本来の目的であるから、金利差の影響を大きく超えるような円高でなければ想定の範囲内ということになる。 

また、前回取り上げた総合商社の場合は本来輸入企業なわけで、円高は短期的な収益を押し上げる為、為替の影響をある程度相殺することができる。 更に言えば、円高がドルの価値の毀損によるものであれば、資源などの実物資産の実質的な価値は変わらない(ドル建てでの値段は上昇する)為、収益性は大きくは変わらないと期待することもできるかもしれない。


問題となるのは金利差で説明がつかないほどの円高が進んだ場合であるが、この場合は一定の為替差損が出るのは仕方ないだろう。 これが事前に分かるのなら極端な話、ドルで借りて円に投資していればそれだけで利益が出せるわけであるが、そうなると「投資」ではなく「投機」の世界の話になってしまう。


つまり円高によって海外投資の収益性が下がることは間違い事実ではあるが、前エントリーのタイトルにも書いた通り日本の海外資源投資を後押ししているのは一義的には「円高と国内金融システムの安定(を基にした巨額のファイナンス能力)」であって低金利ではなく、金利差から来る円高トレンド自体は投資の本質としては後押しでも逆風でもないというのが筆者の理解ということになる。

(もちろん日銀の異例の金融緩和に支えられた超低金利や国際協力銀行等の政策金融機関を通じた積極的な貸し出しが海外資源投資の後押しとなっている事実は間違いなく存在するが、それは国策としての海外資源投資支援という側面の方が強く、直接的には上記とは別の問題と考えるべきだろう。)