インフレを求める政府は酒を求めるアル中と同じ?

インフレの害を説明するにはアルコールに例えるのが分かりやすい。

アル中が酒を飲み始めたとき、まずやってくるのは程よい酩酊感である。 悪い効果は次の日の朝になってはじめて現れる。 二日酔いで吐き気と共に目覚めたアル中はしばしばその苦しみを和らげるために更に酒に手を出すことになる。

一国の物価がインフレを始めたときも、最初にやってくる効果は良いものに見える。 増え続けるマネーは、それにアクセスできる人間 - 特に政府 - にとっては誰の支出も減らすことなく自らの支出を増やすことを可能にする。 雇用は増え、経済も上手く回り、誰もが幸せになれる、そう、”最初のうちは”。 これらがインフレのよい効果である。

しかし、支出の増加は次第に物価を押し上げ始める。 労働者は彼らの賃金では、たとえ額面では上がっていたにしても、少しのものしか買えなくなるだろうことに気付く。 企業もコストが上がったことによって物価が上昇しても儲けが思ったように増えないことに気付く、物価がもっと早いスピードで上昇すればその限りでは無いが。 

そして悪い効果は急激に拡大する。 高い物価上昇率、それに劣る需要の増大、経済停滞下のインフレである。 アルコール中毒者の場合と同様に、更に貨幣の量を増やそうという誘惑は過去の米国が経験したローラーコースターのような経済を生み出す。
そしていずれのケースでも行き過ぎは多大なダメージをもたらす。


インフレとアルコールの類似はその治療法についても言える。

アルコール中毒への治療法は基本的にはシンプルであり、「飲むな」である。 しかしこの治療法を実行するのは簡単ではない。 この場合、悪い効果が先に現れ、良い効果はなかなか現れない。 アルコール中毒者は禁酒の段階で酷く苦しむ。 それをやり遂げ、もうアルコールの誘惑と戦わなくてよい状態となるまでの道のりは簡単ではない。 これもインフレーションと同じである。 貨幣の増加率が抑制されることによる当初の影響は、低い経済成長と一時的に上昇する失業率、それにも関わらずなかなか下がらない物価、として現れる。 そしてその効用が現実のものとなるには1,2年はかかる。 それは低いインフレとより健全な経済、そしてインフレを伴わない高経済成長へのポテンシャルとして現れるのである。



さて、ご存知の方も多いかも知れないが、上記は「インフレはいつ、いかなる場合でも貨幣現象である」という言葉ばかりが繰り返し引用されるフリードマンの著作「Money Mischief」の"あまり引用されない"一節である。


もちろん内容を見れば分かるように、フリードマンが「アル中にとっての酒と同じ」と説く「インフレ」は、ある特定のインフレ率の事を指しているわけではなく、「スパイラル的に上昇していく(可能性のある)」インフレを指しているわけであり、しっかりとコントロールされていれば一定の範囲内のインフレについては上記の批判的な言及は当たらない。


しかし、日本で「インフレはいつ、いかなる場合でも貨幣現象である」という言葉を引用しつつインフレの効用を説いてまわる人々の中には、インタゲ等によって成し遂げられると期待される安定的なインフレ維持の効用、つまり

企業や家計が将来の物価を予想しやすくなれば、投資や消費の判断もしやすくなる。結果として経済活動が安定する効果を見込める。

というような効用ではなく、フリードマンが批判しているような「インフレ進行によって最初に来る効果(酩酊感)」をインフレの主たる効用として喧伝しすぎではないかと感じることが多い。 


特に選挙の為に目先の「酩酊感」を演出したがる特性をもつ政治家がこういった主張を行う場合には国民は十分に注意深くならなければならないはずなのであるが、どうもそういう方向へ向かっている感が強くなっているように見受けられる。 手遅れにならないうちに早く世界経済の混乱が解消され、日本経済が一息ついて最大の課題、人口減少時代の社会福祉を如何に執り行うか、に対処していける状態へとなればよいのだが、、、