日銀がインフレ目標導入に消極的な理由

アメリカが事実上のインフレ目標導入に踏み切ってから、日本でもやるべきだという声が高まりつつある。 筆者は議論自体は別に否定するものではないが、気になるのは当事者である日銀サイドの説明を踏まえていない批判が多いように感じるところである。


例えば北國新聞が社説で展開していた議論(以下)などはその典型である。

 インフレ目標は、先進国のなかでは、ごく標準的な金融政策の枠組であり、米国以上に デフレが深刻な日本でこそ必要な政策だ。日銀は「効果がない」「ハイパーインフレを招く」などの理由で、インフレ目標の導入に否定的だが、「効果がない」と言うのは、インフレ目標を導入している多くの国に対して失礼だろう。スウェーデン、ニュージーランドなどは一時的なデフレをインフレ目標の導入で克服したとされている。

http://3coco.org/a/modules/d3pipes_2/index.php?page=clipping&clipping_id=3117

日銀がインフレ目標の導入に消極的なのは事実であるが、その理由が「効果がない」或いは「ハイパーインフレを招く」であるというのはどこから来た話なのだろうか?

まあ古い記録までたどればそういうことを述べた日銀関係者もいたのかもしれないが、少なくとも現在日銀がとっているポジションとは大きな乖離がある。 例えば以下は2年ほど前に白川総裁が記者会見で説明したものであるが、インフレ目標の導入が「効果がない」とかましてや「ハイパーインフレを招く」というような発言は見受けられない。

――先日の国会審議でもインフレターゲットが議論になった。あらためて見解を聞かせてほしい。


「われわれが発表しているのは中長期的な物価安定の理解であり、物価安定はどういうものかという一種の定義だ。それについて各政策委員の理解を集めて、その結果は2%以下のプラスの領域であり、1%を中心と考えているということだ。これはあくまでも、中長期的に見た物価安定がどういうものかを明確に示したものだ」


「インフレーションターゲティングは金融政策を運営するときの枠組みの1つであり、英国やカナダ等では定着している。しかし、今回の金融危機を通じて、インフレーションターゲティングという枠組みについても反省機運が今、生まれてきているように思う」


「足元の物価上昇率が目標物価上昇率を下回る状況が長く続く下で、物価の動向だけに過度の関心が集まる結果、物価以外の面で、いわば静かに蓄積しつつあった金融経済の不均衡を見逃し、見過ごし、結果として金融危機発生の一因になったのではないかという問題意識が以前に比べて高まってきているように思う」


「インフレーションターゲティングが不適当だと言っているわけではないが、インフレーションターゲティングを採用してきて、これまで比較的うまく行ったと思われてきた国で、実はインフレーションターゲティングの問題をどう克服するかということが今、彼らの問題意識になってきているように思う」


「私自身はインフレーションターゲティングを議論するよりも、これはどういうラベルを金融政策運営の枠組みに張るかということにあまり多くのエネルギーを割いても生産的ではないなという感じがする。インフレターゲットを採用している国も、それから採用していない国も、結果として金融政策の枠組みは近年、非常に似通ってきているという感じがする。3点だけ申し上げる」


「1点は、物価安定に関して、何らかの数値的な定義や目標を有しているということだ。日銀に即して言うと、中長期的な物価安定の理解だ。2つ目は先行き数年間というかなり長い見通しを公表していることだ。日銀で言うと経済・物価情勢の展望(展望リポート)だ」


「3つ目は、その上で、金融政策運営に当たって、物価動向だけではなくて、中長期的に見た物価や経済、金融の安定をより重視する必要性への認識が高まっていることだ。日銀に即して言うと、2つの柱による点検ということになる」


「インフレーションターゲティングを採用しているかどうかということは現在、金融政策の枠組みを議論する上で、意味のある論点、あるいは切り口ではなくなってきているという印象がある」


「日銀自身は各国のいろいろな経験を見ながら、インフレーションターゲティングを採用している国の中央銀行の良い部分、それからこれを採用していない中央銀行の良い部分をすべてわれなりに咀嚼(そしゃく)して、それを組み込んだ日銀独自の枠組みだと思っている」


「いずれにせよ、この枠組みがいつ、いかなるときも最善だというつもりはない。現在、各国とも自らの金融政策の枠組みをどういうふうにするのが良いのかを議論しており、そういう観点からわれわれも考えていきたいと思っているが、現状ではこの日銀の枠組みが最適だと考えている」

http://www.bloomberg.co.jp/news/123-KY167W0D9L3501.html


この中で特に明示的なインフレ目標の設定のデメリットについて言及しているのは

「足元の物価上昇率が目標物価上昇率を下回る状況が長く続く下で、物価の動向だけに過度の関心が集まる結果、物価以外の面で、いわば静かに蓄積しつつあった金融経済の不均衡を見逃し、見過ごし、結果として金融危機発生の一因になったのではないかという問題意識が以前に比べて高まってきているように思う」

という発言と思われる。 要はインフレ目標を明示的に示すことによって物価の動向だけに過度の関心が集まることになれば、長期的に金融危機の一因となり、結果として日銀のもう一つの目標である金融システムの長期的な安定を妨げるリスクがあるということである。 他での総裁の話を併せて考えれば

  • 「物価の動向だけに過度の関心が集まり日銀に不適切な緩和圧力がかかることになれば、結果としてバブルを(ひいては金融危機を)招きかねない」という理由で”明示的な”インフレ目標の導入に現時点では消極的

という感じだろうか? 


いずれにしても北國新聞の社説や、「日銀貴族」がどうこうというような陰謀論等に代表される日銀批判の多くはこれらの日銀サイドの説明を無視しており、日銀が主張してもいない「インフレ目標の導入でハイパーインフレを招く可能性」とかを一生懸命否定しては、それを日銀批判につなげている。 これでは議論がかみ合わないし、そもそも日銀に対して「失礼」ではないだろうか?