ジョブズは本当に雇用を創出しなかったのか? 

クルーグマンが”Jobs, Jobs and cars”というコラムで、雇用創出者(job creator)としてのスティーブジョブズという見方に異議を唱えている。

"Jobs, Jobs and Cars" by Paul Krugman

日本語訳: 「クルーグマン「雇用,ジョブズ,自動車」(NYT,2012年1月26日)」 by道草様)


クルーグマンは「共和党はジョブズを偉大な雇用創出者のように描き出しているが、彼は断じて雇用創出者ではない。」と断定し、その根拠として以下の2点をあげている。

  • アップル社はほんの僅かしか米国内で雇用を創出していない。 直接的な雇用者は4万3千人しか居ない
  • 供給業者として間接的に70万人雇用しているが、そうした従業員は殆ど米国外の人間である。


確かに上記2点は事実ではあるが、それはジョブスが「偉大な雇用創出者」であることを全く否定していない。


まず1点目の国内での直接的な雇用者数については、市場価値でみて世界最大の企業となったアップル社としては確かに多いものでは無いかもしれないが、雇用の「創出者」としての評価はそれだけでは語れないはずである。 


例えば恐らく全米で最大の雇用者の一つであるウォルマートはアップルの数十倍の雇用(140-50万人?)を維持しているが、ウォルマートを雇用の「創出者」と考える人は少ない。 それは巨大な成功企業ではあるが、基本的には既存の枠の中でシェアを伸ばして成長し、雇用を増やしてきたのであって、「創出」したわけではないからである。 (むしろ同業他社の雇用を破壊しつつ成長してきたという批判の声も強い。)


一方でジョブズ、或いはアップル社が作り出してきた価値は、文字通り「創出」されたと考えることができるものが多い。 "Apple I"を世に出したことによって、Windowsにも影響を与え、マイクロソフトと共にパーソナルコンピュータを世に広めた事実を考えれば、その雇用の創出は莫大なものになるはずである。 この一点を考えてもジョブスが雇用の創出者ではない、などという評価は全く不当なものと言える。 もちろんこの雇用の創出はアップル社が現在直接或いは間接的に雇用している従業員数なんかでは全く計ることができない。


この点だけ考えてもジョブズが「雇用の創出者ではなかった」というのは全く近視眼的で不当な評価だと言えると思うが、仮に"Apple I"を世に出したという昔の功績を切り離して近年のジョブズの功績だけを考えても、やはり「雇用の創出者ではなかった」という評価は不当なものだろう。


例えば近年の実績としてタブレット市場一つとってもiPad以前と以後では様相が全く様変わりした。iPad以前にタブレット市場が存在しなかった訳ではないが、iPadがタブレット市場を実質的に「創出」したと言っても過言では無いだろう。 そして当然のことながらタブレット市場が「創出」されたことによる雇用の増加はアップルのiPadの販売による雇用の増加を上回っている。 この効果も勿論アップル社の雇用者数(直接間接を問わず)からだけでは測ることはできない。


2点目の多くの従業員が国外にいることをもって、ジョブズが「雇用の創出者」であることを否定する論法も強引である。

確かに直接的にはアップル社はより多くの雇用を中国で作っているのかもしれないが、中国がそういった低賃金労働で稼いだお金(ドル)で高賃金労働で作られた米国の製品を輸入・消費しているわけで、間接的に米国経済に雇用を生み出していることにも留意すべきである。 結局世界全体でみて雇用が「創出」されているのなら、様々なルートを通って自国の雇用もまた創出されることになる。


もう一点付け加えるなら、供給ではなく需要が制約となっている先進国経済において、過去に存在しなかったもので、かつ多くの人に是非欲しい!と思わせるものを「創出」することの経済に対する寄与は非常に大きいはずである。 こういったイノベーションがなくても、景気がよくなりさえすれば誰もがより値段の高い製品を買うから需要不足は解消されるという見方もあるが、「景気がよくなれば高価なものを買う」というストーリーは需要不足で景気が悪い状態を打開できない。 景気に関係なく是非欲しいと思わせる製品を創出し、供給することこそが需要制約の中で景気を牽引する力となると筆者は考えている。(例:パーソナルコンピュータ、携帯電話、スマートフォン等)


ちなみに、「ジョブズが雇用の創出者かどうか」という話から展開されている議論(製造業における産業の「生態系」維持が重要なこと等)については概ねその通りだと思うが、そこから結論部分に至るまでの議論の展開は「反共和党」色が前面に出すぎだろう(今回に限らず最近のクルーグマンのコラムは殆どそうだが、)。

最後の部分でクルーグマンは、「起業家を否定するわけではなく、むしろ政府は支援すべきだと信じている」と結んでいるが、「雇用の創出者」としてのジョブズを評価しないような(そしてGM,クライスラーへの支援を全肯定するような)スタンスから行われる企業への政府支援が長期的にみて本当に米国で雇用を「創出」できるのかは疑問が残る所である。