通貨の「本質的な価値」

ちきりん女史が「通貨制度という虚構のシステム」というエントリーで通貨には本質的な価値はなく、通貨制度は虚構のシステムだ、という説を展開されている。 確かに納得いく部分もあるが、管理通貨制度は世界中で問題は抱えながらも長期にわたってそれなりに安定的に機能してきた。 「虚構的な価値」のみに基づいた制度がこれだけの成功をおさめられるだろうか?


では管理通貨制度における通貨の「本質的な価値」は何かと言えばそれは「税金支払い券」としての価値だと筆者は考えている。


国家は通常自国通貨換算で国内の経済活動を評価し、自国通貨換算で税金を課している。 もちろん税金の支払いは自国通貨建てである。もしある会社が全ての仕事をドル建てでまわしていたとしても、その会社が日本で課税対象になる限り、この会社も一定の「円」がどうしても必要となる。

これは通貨の信任は国家の徴税権に支えられているという話と同じであり、又、無税国家が存在し得ない理由の一つとも言える。

もし国家がその支出の殆どを更なる通貨の発行で賄おうとすれば、その通貨でないとできないことが何もなくなってしまう。つまり通貨に対する究極的な需要(=本質的な価値)が、限りなく希薄化し、通貨の価値が完全に虚構になってしまうことになる。

虚構になったから直ぐに「崩壊」するわけではないが、そうでない場合に加えて明らかに安定性では劣る制度とならざる得ないだろう。 


そういった意味ではユーロが「崩壊」することは確かにありそうにない話であるが、そもそもこの「ユーロ崩壊」ってのは単に現行のユーロの枠組みが壊れるという意味なんじゃないだろうか? それは「ユーロ圏の縮小」に過ぎないっていうちきりん女史の指摘は確かにそうだけど、ここまで積み上げてきたブロックの一部が「崩れ落ちる」って事だから、まあ「崩壊」といってもいいような気もするがどうだろう?