経済政策でギャンブル("倍掛け")しようとしているのは誰か?

欧州財政危機はいまだ出口が見えない状況であるが、クルーグマンがその欧州財政危機に関して「Boring Cruel Romantics」というエントリーを書いている(邦訳はこちら)。 


大筋としてはヨーロッパを一つの通貨、一つの金融政策で扱うことがそもそも最初から問題だったし、うまくいくはずも無かった(+俺は最初からそう言ってた)というようなものであり、内容自体は目新しいものではない。


むしろ、読んでいて気になったのは、緊縮財政を主張する人々を批判して、「あいつらは倍掛け(double down) した」と述べている部分である。

残念ながら、約束されたようには物事は進まなかった。 しかし、彼ら「テクノクラート」とされる人々は政策を現実にあわせる代わりに、更に「倍掛け(double down)]することにし、ギリシャは緊縮財政によってデフォルトを避けられると主張したりもした、実際には計算すればそれが無理だと誰でもわかったはずなのに、


クルーグマンは「積極財政派」であるから、これは当然「緊縮財政」を主張する人々を批判している訳であるが、この部分に引っかかったのはニコラス・タレブ(「ブラックスワン」の著者)が、全く逆の立場から積極財政について以下のように言及していたのを思い出したからである。

人々は「フリーランチ」を求めている。 そのことは私が金融トレーダーだった頃の話を思い出させる。 マーケットでお金を失った人々が私に電話をかけてきて、彼らのお金を取り戻す「魔法の方法」を求めたという話を。 それはまさにオバマ政権が行っていることだ。 リスクに直面しているという事実、そして既にお金を失ったという事実を受け入れる代わりに、借金を増やしたり貨幣を毀損したりすることによって将来の世代のお金で「倍掛け(double up)」すべきでない。 人々は「フリーランチは存在しない」という事実に直面しなければならない。

http://www.youtube.com/watch?v=mhSRaehWSvY&feature=player_embedded


クルーグマンは"double dowm"、タレブは"double up"を用いているが、この場合意図しているのは両者とも日本語で言うところの"倍掛け"とほぼ同じと思われる。 つまりクルーグマンは緊縮財政派を、タレブは積極財政派を、「失敗を取り戻そうとして更に掛け金を突っ込もうとしている」と批判しているわけである。


どちらが正しいかについては様々な見方があるだろうが、筆者はタレブの見方を支持する。


ギリシアの財政問題は過去に繰り返されてきた多くの国の財政問題と同じく膨大な累積債務が危機の源泉となっているわけであるが、それを作り出したのは直接的には過去の財政赤字である。 「積極財政で経済を好転させ、税収を増やす事こそが問題の解決策だ!」というような主張は、実態だけを見れば財政赤字が作り出した問題を財政赤字で解決しようと言っているのに等しい。 そういった手段は、成否はともかく、まさに「倍掛け(double up)」と呼ぶのにふさわしいのではないか?

更に付け加えるなら、過去に行なわれてきたギリシャの「積極財政」はギリシャ経済を立て直し、財政再建を達成することは出来なかった。 もちろんギリシャの財政赤字が経済を好転させる類の投資・支出に向かわなかったというのが一因かもしれないが、そもそも積極財政派の主張の要点の一つは政府が経済の建て直しにつながる「正しいお金の使い道」を知らないとしてもお金を使いさえすれば効果がある(だから政府が正しいお金の使い道を知らないというのは積極財政を否定する理由にならない)というものだったはずである。 例え過去のギリシャ政府のお金の使い方がまずかったとしても、ケチャップを買いまくったりするよりは経済に好影響を与えたはずだ。 

或いはよくあるレトリックのようにギリシャ経済も「積極財政をしなかった場合よりはマシになっていた」のかもしれない。 ギリシャの失業率は80年代以降常に5%を上回っており、90年代後半から00年代前半は10%をも超えていた。 失業率という面からみれば財政出動をやりすぎた事が問題ではなく、むしろ積極財政が足りなかったという主張まで出てきそうだが、GDP比で見れば世界トップクラスの財政赤字を続けてきたわけだし、現実にはその足りなかった(?)積極財政が積み上げた累積債務によって現在財政危機に直面し、国家主権まで脅かされそうな目にあっているわけである。 


ギャンブルには「マーチンゲール法」という昔から有名な戦略がある。 簡単に言えば勝つまで「倍掛け」しつづければ絶対に負けないというもので、確かに机上の理論ではその通りである。 しかし現実にはマーチンゲール法は必勝法たりえない。 それは勝つまで掛け続けられるという前提が成り立たず、どこかでパンクしてしまうからである。 大きな累積債務を負った状態での積極財政が「倍掛け」であるという視点に立てば、むしろ今のギリシャは自力では起死回生を狙った「倍掛け」もできなくなった状態であり、マーチンゲール法が既にパンクした状態と言える。 


ギリシャと比べれば米国(おそらく日本も)は幸いなことにまだ倍掛けが出来る状態ではある。 しかし、その倍掛けの資金はタレブが指摘するように将来の世代のお金である。 そしてマーチンゲール法は多くの場合では小額の勝ちが得られるものの、負けるときには大敗になるという性質を持っている。結局はギャンブルの必勝法もフリーランチも机上には存在しても現実の世界では見つけがたいものであるということだろう。「倍掛け」をあきらめてつけを清算するのは、確かに痛みが伴う。 しかしタレブが言うように "it’s painful, but that’s life" である。


[追記]
ギリシャが正しい規模の積極財政を正しい用途につぎ込んでいれば今のギリシャ問題はなかった、という指摘は或いは正しいかも知れない(実証はできないが)。 しかし「正しい規模」も「正しい用途」も政府が正しく判断できると信じるに足る根拠はなにもないし、まして失敗すれば今のギリシャのようになってしまうのなら、そんなギャンブルを政府にやってほしいとは個人的には全く思わない。 

人生にリスクはつきものであるが、あくまでそれは個人或いは民間が取るべきものであると筆者は考えている。国民がリスクをとって失敗したとしても国全体として健全な状況であれば、失業手当等で支えたり復活を支援したりも可能だが、国がリスクをとって失敗すればその影響は国民全体に及ぼされることになる。 卵をたくさん抱えている人間は、まず転ばないことに最大限の注意を払うべきであろう。