いっそTPP「協定」より関税の一方的撤廃の方がまだマシなんじゃないの?

昨日のエントリーでは推進派の池田教授のエントリーを基にTPPに反対すべき理由の一つについて述べた。 その中で考察の前提とした関税貿易と自由貿易における国民の効用に関する部分、つまり

関税を互いに掛け合った状態がナッシュ均衡(であり自由貿易がパレート効率的)だとすると

・互いに関税を掛け合っている状態(A)

・自国だけ関税を撤廃した状態(B)

・互いに関税を撤廃した状態(C)

の3つの状態は (C) > (A) > (B) という順に効用が高い。

という国民の効用の比較の部分についてyasu様とYagokoro様から以下のコメントを頂いた。


yasu様

自国民の効用の大きさは一般的には

互いに関税を撤廃した状態(C)>自国だけ関税を撤廃した状態(B)>互いに関税を掛け合っている状態(A)

の順番になる。

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もちろん、クルーグマンの考察やサミュエルソンの指摘などを鑑みてもわかるように、仮定の置き方によってはA>Bや、あるいはA>Cという状況ですら作り出すことは可能である。ただ、ノビーが説いているような自由貿易に関する一般的な仮定の下での話を考える限り、C>B>Aである。


Yagokoro様

関税によって利益を得ているのは、農水省であって国民ではない。経済学的にはC>B>Aの順で効能が高い。結局大事なのは自国の生産性向上だというのは、もう国富論の段階でケリが付いており、その最適解は工業化だった。


これらはある意味予期していた反論でもあった。 前回のエントリーでは「国民の効用」とは何なのかについて説明を行わなかったが、この部分はもともと純粋に「経済学的に」導き出せるようなものではない。消費者のメリット・デメリットと生産者のメリット・デメリットを比較するような万人が認める客観的尺度などどこにも存在しないからである。 

それを承知の上で、前回のエントリーでは推進派の池田教授の議論をベースにするという形で(筆者の理解にも近い) (C) > (A) > (B) というのを基に議論を進めたのであるが、その部分について(C) > (B) > (A) が「経済学的には」正しいのだというコメントを頂いたということになる。 


しかしながら確かに客観的な評価が難しい(或いは存在しない)問題ではあるものの、少なくとも(C) > (B) > (A)というのがそれほど強いコンセンサスを得ているとは考えにくいと筆者は考えている。 なぜかと言えば、もし(C) > (B) > (A) がコンセンサスなのであれば、そもそもTPPやWTOのような「協定」など必要ないからである。 

仮に相手国の市場開放度に関わりなく(B) > (A)であるなら、関税を一方的に撤廃しさえすれば国民の効用は改善する。 そして相手国も馬鹿でなければ関税を撤廃するはずだから、自然と(C)が実現する。 この時の(C)はナッシュ均衡かつパレート最適という安定的な状態であり、この状態からあえて逸脱する必要性やメリットは誰にとっても存在しないことになる。 


しかしこのストーリーは現実の世界を描写していない。


そもそもの理解としてなぜTPPという「協定」が必要かといえば、裏切ること、つまり相手にだけ関税を撤廃をさせておいて、自らは何らかの形で保護貿易をやるのが自国の効用の最大化に繋がるという理解が広く存在するからである。 

そしてなぜ「協定」の「交渉」が必要かといえば、「協定」の内容によっては各国がTPPから得られるものが異なってくるからである。 自由貿易の推進がゼロサムでないとしても、それは分け前が無条件に与えられる事を示しているわけでは全く無い。 それは「交渉」で勝ち取らなければいけないものである。


又、TPPでは「協定」に実行力を持たせるために、関税以外にも様々な規制の緩和、撤廃が参加国の義務として課せられそうである。しかもある国がそれを破ったと民間企業から訴訟を起こされて負けた場合には巨額の賠償金を支払わさせられる仕組み(ISD条項)も用意される見込みとなっている。

このISD条項自体に問題があるという見方も強い(参照: 「ISD適用事例(メキシコ、カナダ、アルゼンチンなど)」)が、仮に条項自体はフェアなものだったとしても、この条項を通じてメリットを得るためには訴訟をも視野に入れた利益の追求を行う力が必要となる。


筆者の理解ではこういった「交渉力」や「訴訟力」は明らかに日本が他国に比して劣る部分であり、絶対劣位な部分といっても良い。だからこそ、政府がそのような貧弱な交渉力を持って民間の生産者、労働者の戦う「場」を決めるような国際交渉にのこのこ出て行くのは正直なところ勘弁して欲しい。 それなら国内規制に口出しをされたり、訴訟の矢面に立たされたりするリスクが低い分、関税を自主的、一方的に撤廃する方がまだマシなんじゃないかとさえ思える。 

個人的にはこの部分が筆者がTPPという「協定」の「交渉」への参加に反対する最大の理由である。 日本政府が農産物に関税をかけ、結果として消費者のメリットを毀損することも、不必要な規制で民間の生産活動が邪魔されることも確かにあるだろう。 しかし、それはあくまで国民の代表たる政府が「選択」したことの結果であるし、またダメなら後で是正もできる。 しかし、政府が海外にのこのこ出かけて行って「交渉」で負けて、それが「協定」として固定化され、民間が相対的に不利な「場」で戦わさせられるなんて事になったら大迷惑である。 


しかもTPPはあくまでも「参加9カ国」の間での「協定」であり、つまるところ「ブロック経済圏」の構築が目的である。 本当に自由経済が正しく、かつ独自に関税を撤廃した状態が互いに関税を掛け合った状態よりも国民の効用が高いのであれば「ブロック経済圏」を前提とした「協定」の「交渉」などに参加する必要性など最初から全く無い。 一方的に全世界に対して関税を撤廃することこそ理にかなう判断であるはずだ。 

やはり関税を一方的に撤廃するのは損だと思えば、GATTやWTOなどの枠組みで行えばよい。こちらにはアメリカに対抗して交渉できるプレイヤーが先進国、発展途上国共に数多くいるから、日本がただ右往左往していてもそれほど酷いことにもならないだろう。


筆者は一般的な意味での「小さな政府」を全面的に支持するわけではないが、経済における政府の役割、特に景気を後押しする方向での役割についてはあまり期待していない。 景気を後押ししてリターンを得るためには多かれ少なかれリスクをとる必要があるはずであるが、政府がリスクを取りにいくと碌なことにならない。 政府は基本的には適切な規制の設定やインフレ抑制、必要十分な富の再分配等を通じてむしろ景気を抑制して「場」を安定させることに努めるべきで、リスクはあくまで個人がとるべきというのが筆者の考えであり、政府が国民の手札を一手に集めてTPP「協定」の「交渉」の場で勝負してくるなんてのは願い下げとしたいところであるが、さて、どうなるだろうか?



[追記]
話は変わるが、コメント頂いた、

経済学的にはC>B>Aの順で効能が高い。結局大事なのは自国の生産性向上だというのは、もう国富論の段階でケリが付いており、その最適解は工業化だった。

というのは自己矛盾しているように感じる。


工業化が最適解であれば、工業が比較劣位の国にとっては関税をかけて国内の工業を育成するのが正解ということになるはずである。 韓国は今でこそ自動車輸出国であるが、当初から自動車産業が比較優位であったわけでは無い。 高関税その他の国策によって育成した結果、比較優位を持つことができたのである。

むしろ最適解が工業化だったからこそ、少なくとも一部の発展途上国にとっては(A)の価値は明らかに(B)の価値より高く、場合によっては(C)の価値よりも高い効用をそこ(関税)から得て、先進国の仲間入りを果たしてきたわけなのではないだろうか。