混合診療の解禁は国民皆保険制度を如何に壊すのか?

TPPに関しては当初の関税撤廃偏重の議論から、徐々にその他の分野にも関心が広がっているようであり、特に混合診療の全面解禁が議論される可能性があることを政府が認めてからは、その影響についての推進派、反対派双方からの主張が繰り広げられている。 


筆者の立場は混合診療解禁反対であり、混合診療解禁の問題点は医療に行き過ぎた民営化を持ち込む恐れがある事だと考えている。


医療に行き過ぎた民営化が適さない理由ははっきりしている。 それは求められているものの違い、つまり世界のほぼ全ての人々が医療に求めているのはより多くの患者の命(生活)を救うことであって、より多くの付加価値を創造したり、より多くの雇用を創造したりすることではないという事である。


例えばアメリカの例を見れば、一人当たりの医療費は日本よりもかなり高いし、医療従事者数も多い。これは金額的にみればより付加価値の高いサービスを生み出しているということであり、雇用にも、そして経済成長にも貢献しているかもしれないが、必ずしもより多くの患者の命(生活)を救っているわけでもなさそうである。 民間の商売としては日本より成功しているのかもしれないが、それが広く国民の期待に応えているかといえば、個人的にはそうは思わない。


参照:「医療の国際比較」
http://www.fukuyama.hiroshima.med.or.jp/iryou/kokusaihikaku.html


もちろん十分な利益が期待できなければ研究資金は投下されず、より先端的な医療や薬の開発が行われなくなるという面は無視できない。 しかし、開発された薬や医療技術から最大限の利益を引き出すことのみを目的とした場合、その目的はできるだけ多くの患者を助けることではなく、一部の裕福な患者から最大限のお金を巻き上げることによって達成されることになってしまいかねない。


確か「危ない経済学」で読んだ話だったと思うが、イギリスの列車は建造コスト的には殆ど変わらないのに敢えて2等列車の環境を悪くすることによって、1等列車の付加価値を高めて富裕層を誘導して利益の最大化を計っていたらしい。

理不尽な気もするが、この程度の差別化であれば許容範囲とも考えられる。 お金の無い人間でも不自由さを我慢すれば一応は目的地にたどり着けるからである。 


しかし、同様のことを医療でやろうとすれば、「一般人なら助からないが、莫大なお金さえ払えば助かりますよ、」という状況を作り出すことで差別化をはかり、利益を最大化するという事がまかり通ることになる。 


この状況を(完全にではないにしろ)改善する一つの方策が国民皆保険制度といえる。 一方で健康な人間まで含めて、高額所得者からはより多く、低額所得者からは少なく保険料を徴収し、他方で医療に掛かる費用に枠をはめることによって、より多くの患者の命を救うことと、より多くの利益を上げることの間にある目的の乖離を小さくしているわけである。


全体的にみれば日本の国民皆保険制度はそれなりに上手く機能していると言える。 もちろん全てが保険制度によるものでは無いだろうが、一人当たりの医療費は相対的に低く、健康度、寿命は相対的に良好である。 しかし民間的(経済的?)な視点から見れば、そのGDPに比して日本の医療関連市場は小さすぎるという見方も可能であろう。 しかしそれは需要が喚起されていないという意味ではなく、本来なら取れるところから取りっぱぐれているということである。 (* 年間平均受信回数を見れば需要は十分に喚起されていると考えられる。)


では、混合診療の解禁という形で医療の一部が今まで以上に民間化され、皆保険対象外の「市場」が拡大するとどうなるだろうか?

これまでの枠組みをベースに考えるなら、日本市場において先端的な医療技術が利益を最大化する為には皆保険の対象となることが必要だったし、医療関連企業はその為に様々な努力を行ってきた。 しかし、皆保険対象外の市場が一定規模以上になれば、むしろその市場を拡大した方が利益の最大化につながるという状況になることも考えられる。 つまり皆保険対象外市場で上述の利益最大化の手段を実行することが合理的な判断になるということである。


このことはこれまでのように先端的な医療技術が一定の期間を経て皆保険の対象になっていかなくなる可能性を示唆している。 保険対象になって多くの命を救うより対象外市場で富裕層の命だけを救った方が割がいいからである。 

先端的な薬や医療技術は基本的に特許で守られているから競合相手もいないし、誰でも命は惜しいので出せる限度まで出す。 つまりその先端医療の富裕層にとっての価値は貧困層にとっての価値の何百倍にもなるという事であり、そういった場合、富裕層に的を絞って富裕層が出せる限界の費用に価格を設定したほうが利益が最大化される可能性が高い。 特に命に関わるような医療であればあるほど富裕層のみを相手にした時の利益は皆保険の対象となってより多くの命を救うことによって得られる利益より大きくなるのではないだろうか?


では、混合診療の解禁は現在の皆保険制度を破壊するのだろうか? 結論からいえば別に「制度」自体が破壊されたりはしないだろう。 ただ、緩和しなかった場合に近い将来皆保険の対象内で受けられたかもしれない治療が超高額診療になり、皆保険の対象であれば治療を受けられたかもしれない人々の多くはあきらめざるえなくなる。 一方で、今まさに保険対象外の高額診療を受けている人にとっては負担は減るし、混合診療になるからとあきらめていた人の中には、これを機に高額診療を受け始める人もいる事は確かである。 

唯、全体で見れば前者の数は後者の数より圧倒的に多くなるだろう。 そもそも現在でも経済的な理由で十分な治療を受けられないケースは日本においてすら稀ではない。そして混合診療緩和の恩恵を短中期的に受けるのは高額な診療費が払える富裕層だけである。 医療格差が貧困層(或いは一般層)の効用を押し下げ、富裕層のそれを押し上げることによって開いていくのは望ましいことではないはずであるし、「最大多数の最大幸福」からさらに離れていくことを意味している。 つまり混同診療の緩和が壊すのは皆保険「制度」ではなく、現時点で皆保険制度が実現している「価値」という事になる。



国の規制は民間が利益の追求の為に行う合理的な行動が国民の効用の最大化につながるように枠をはめることに価値があると筆者は考えているが、その視点から見れば混合医療の禁止は一定の効果があるし、そもそも相対的にうまくいっている国内の制度を精緻な議論も無く変更するなんてことは百害あって一理無しとしか言いようが無いというのが筆者の考えである。



[追記]
若干誤解があるようなので追記。


今回のエントリーの肝は、混合診療の解禁の影響が 「今までの医療はそのまま受けられ、そこにお金を出せば先進医療が受けられる選択肢が出来る」という事に留まらなのではないかということ。


皆保険には予算に限りがある為、価格には規制がかかるが、混合診療による自由市場が限られている状況では、その規制を受け入れてより多くの人間に使われること、つまりより多くの人間の命を救うことが利益の最大化に繋がる。

ところが混合診療による自由市場が大きくなれば、価格規制を受け入れずに自由市場で利益の最大化を目指した方が割が良くなる可能性がある。


薬の特許は20年(+延長5年)である。 更にアメリカには医療方法にまで特許がある。 そして先端的な技術はそれが命に関わるものであればあるほどその期間内なら独占的な競争力をもって収益を上げることができる。

今までの医療が受け続けられればよいという話では無い。 過去25年の間に皆保険の対象内で新たに受けられるようになった診療がどれだけあり、それがどれだけの人間の命を救ってきたかを考えればこの意味する所は明らかなのではないだろうか?