貿易に勝ち負けは無い? (比較優位について)

最近TPPに関連して、比較優位について言及している記事が目に付くが、その中でよく説明されている「比較優位に基づけば貿易は両者が得をするものであることは明らかであり、貿易に勝ち負けはない」というような話には筆者は違和感を感じる。 筆者は貿易にも一般的な意味での勝ち負けとほぼ同じものが厳然と存在すると考えているし、多くの人も実感としてはそう感じているのでは無いだろうか?


比較優位の原理はアインシュタインと秘書の関係で説明されることがよくある。 曰く、アインシュタインはタイピングも物理学も秘書より優秀かもしれないが、時間に制約がある中ではタイピングは秘書にまかせてアインシュタインは全ての時間を物理学に集中する方が効率がよくなるというようなものである。


たしかにアインシュタインが両方を行うより、分業した方がトータルでの生産性が高まることは良くわかるし、そうすることによってアインシュタインにも秘書にもメリットがうまれることも確かだろう。


しかしこの話を少し考えてみれば、アインシュタインと秘書の立場は対等ではないことは明らかである。 アインシュタインはタイピングでも物理学でも秘書より優秀である為、仕事の選択権はアインシュタインにはあるが、秘書には無い。そして仕事から得られるもの(報酬、満足度他)も通常はアインシュタインの方が高くなるはずだからである。


これは貿易でも同様であろう。 多くの国が可能であれば選びたいと思っている仕事は、その仕事において絶対優位を持つ幾つかの国が優先的に持っていき、その他の国は残った仕事から自らが競争力を維持できるものを選ぶしかない。 


そして通常はそういった人気の仕事に絶対優位を持つ国は豊かになり、豊かになることによって人件費が高騰し、人件費が安い国との住み分けがより明確となる。(もちろん物理的な面からの制約が各国の比較優位産業を決めることも多々あり、全てがこれに当てはまるわけでは無いが。)


もちろんこの分業によって原理的にはどちらの国もメリットを受けるが、一般的な意味ではより人気の高い仕事を優先的に持っていける国が勝ち組と言えるのではないだろうか? これを逆に言えば少しでも割の良い仕事において絶対優位を確保することが国家としての競争力の向上に繋がるといっても良いかもしれない。


実際にまだ勝ち組になれていない国、つまり発展途上国の多くは比較優位で割り振られた仕事に満足せず、より割りの良い仕事での絶対優位を得ようと努力している。 例えば、税制等で優遇して積極的に先進国から工場を誘致したりするのも、従来は工業が比較優位では無かった国にとっての競争力向上政策と言えるだろうし、工業製品の輸入に高関税をかけて国際競争力の弱い国内企業を保護、育成するのも競争力向上政策の一つと言える。


割の良い仕事を絶対優位で勝ち取った国は、相対的により豊かになれる。 そして国外から輸入したい物資・サービスの対価を賄うのに必要な国内リソース(輸出に必要なリソース)の割合は小さくなり、あまったリソースは国内での物資・サービスの供給・需要に向けることができるようになる。例えば国外では殆ど需要がない日本語の書籍がこれだけ日本中にあふれているのは、そういうことに国内のリソースを割いてもやっていけるからであり、貧しい国はそんなことにリソースを割いていたらまともに食っていけない。つまり日本で「ガラパゴス」と呼ばれているような国内向けオンリーの物資・サービスの供給・需要が存在するのは日本が国際貿易において望ましいポジションを占めているからこそと言える。 よって「外需依存度が低下するのはグローバル化が遅れているから」というような意見には筆者は懐疑的である。


又、もう一度アインシュタインと秘書に戻って考えれば、秘書がタイピングの仕事にありつけるかどうかはアインシュタイン側の二つの条件に掛かっている。

一つはアインシュタインのリソースが足りないことである。 仮に「頭脳の疲労度を考慮すれば、アインシュタインが物理学に打ち込めるのは1日3時間が限度」となれば、あまった時間でアインシュタインが自分でタイピングすれば良いわけだから秘書に頼む必要は無い。

次に、仮にアインシュタインが多忙を極めていたとしても、秘書のタイピング能力(或いは指示理解能力)が低く、タイピングの指示を出すよりアインシュタインが自分でタイプした方が早ければ、やはり秘書はタイピングの仕事にありつけない。


この例を貿易に落とし込むとすれば、前者は先進国において失業率が非常に高い(かつ失業補償が十分でない)ケース、後者は国際分業のコスト(運賃等)を考えると、そもそも分業のメリットが先進国側にないケースに近いだろう。


こういったケースでは特定の発展途上国は輸出できるものが殆どなくなってしまう。そうするとどうなるか? 別に貿易赤字で破綻するわけでは無い。ただ、こういった国は豊かな生活をおくるために必要な物資(資源等)の輸入ができなくなり、自給自足に近い形の経済を続けるか、先進国からの支援に頼るかしかなくなるわけである。 


比較優位の説明にはPCと自動車や、ワインと毛織物など一見価値がそれほど違わないものが対象産品として選ばれる事が多いように思うが、これらの選択自体がミスリーディングだろう。 これが自動車とバナナだったら、多くの人は「バナナ共和国」を連想して、ポジティブな印象を持たないだろうが、現実にはそういうケースの方がむしろ多いのではないだろうか。