悪い金融緩和、悪い総需要刺激、悪い経済成長

前のエントリーでは米国における格差の拡大について幾つかのデータを基に考察を行った。 

データからは経済成長が格差拡大を伴った様子が見てとれたが、これは不可避的な部分も強いし、そもそもアメリカの再分配機能の問題であり、経済成長自体の問題とは言えない。 格差が拡大するくらいなら全く経済成長しないほうが良かった、という話に賛成する人は少ないだろう。


しかしながら、もう少しデータを探ってみると、2001年以降の経済成長については単なる「経済成長に伴う格差の拡大」以上の悪影響を実体経済に与えた様子がうかがえるのではないかと筆者は考えている。


以下は主にグリーンスパン議長時代のFederal Fund Rateの推移であるが、FRB議長として経験した経済危機に金融政策で対応したことがわかる。


任期前半の危機としては、就任して2ヵ月後の1987年10月に起こった「ブラックマンデー」と1990年8月の「イラクのクェート侵攻」があげられる。 両危機に対して、議長は「FRBは流動性を提供する準備ができている」というアナウンスや政策金利の早めの引き下げで対応し、その効果もあり経済は比較的速やかに安定を取り戻し高い名目成長を継続することに成功した。

又、この期間は世帯所得も比較的順調に伸びていた。 経済成長と平行して格差も拡大してはいたが、90年代については多くの人がそれなりに経済成長を実感できていた期間であったはずである。





しかし2001年のITバブル崩壊後は様相が一変している。 この時もグリーンスパン議長は思い切った金融緩和を行い、名目GDP成長だけを見れば殆どITバブル崩壊の影響など見て取れないほどであるが、世帯所得の推移を見れば、このITバブル崩壊と金融緩和を境にはっきりとしたトレンドの違いが現れている。


2001年以前も以降も、金融緩和によって総需要刺激を行い、名目GDP成長を維持したという点では同じなのに、一体何がこの違いをもたらしたのだろうか?


以下は1991年から2008年までの名目、実質GDP成長率をプロットしたものである。
ITバブルの崩壊によって一時的に下がった名目成長率は早くも2003年頃にはほぼ以前の水準(6%)に復帰しているが、名目・実質成長率の差は以前と比べて広がっている。 これはインフレ率(GDPデフレーター)が上昇したことを意味している。


次にこの期間の実質GDPへの各要素の寄与度を示す。 ITバブル崩壊時に落ち込んだ個人消費、設備投資が2001年から2004年に掛けて順調に回復している様子が伺える。


http://en.wikipedia.org/wiki/File:Contributions_to_Percent_Change_in_Real_GDP_(the_US_1991-).png


また、一時6%まで悪化した失業率も急激ではないにしろ2003年頃から徐々に回復に転じている。


これらのデータだけを見れば、「金融政策による総需要管理」なるものがうまく機能しているかのように見える。 平時より高めのインフレ率と低い名目金利で実質金利を大きく下げて民間投資を後押しし、雇用を回復させることにも成功したというストーリーである。又、実質所得が上昇しなかったことですら、金融政策の成果だという見方もあり、そのストーリーでは割高となっていた賃金水準が「是正」されたことが雇用の回復を後押ししたということになるらしい。


しかし、この設備投資の中身をもう少し詳しくみると、このストーリーに疑問がでてくる。 以下は上のグラフの"Private Domestic Investment"の中の設備投資(Fixed Investment)部分の内訳を示したものであるが、ITバブル崩壊後は設備投資に対する住宅投資の割合が大きく増えているのがわかる。 


そして、前回のエントリーでも示したとおり2001年を境に個人の債務残高は急速に伸び、又その債務残高に占める住宅ローンの割合も上昇した。 



http://www.meti.go.jp/report/tsuhaku2009/2009honbun/html/i1210000.html


ここまでなら、日本の住宅バブルとかわりは無いが、更に事態を悪化させたのが、サブプライムローンとホームエクイティローン(やキャッシュアウトリファイナンス)である。前者はいわゆる貧困層向けの住宅ローンであり、従来なら住宅ローンを組めなかったような低所得層にまで銀行が貸し込んだ。そして後者はその住宅ローン返済中の不動産を担保にその不動産が値上がりした場合に更にお金を貸し込む仕組みであり、単純に言えば1000万円の借金をして家を買った人間が不動産価値が2000万円になったときに、それを担保に更に1000万円の借金をすることが出来るというものである。 仮にこの仕組みをフルに使ったとすれば、バブル崩壊後の住宅ローン残高は、不動産の購入時に組んだ住宅ローン額ではなく、バブルのピーク時の不動産価格に近くなることになる。


実際に多くの人がこの仕組みを使って金融機関からお金を引き出し、それを消費に使った。この借金による消費はピーク時には全消費の2%程度を占めていたとされているし、資産効果を通じて住宅バブルが消費を刺激した面もあっただろうから、個人消費の伸びについてもかなりの部分がバブルによるものだったのではないだろうか?(**米国では住宅価格と個人消費との間に、株式よりも強い正の相関関係が確認される(参照)。)


そして、これらの住宅ローンやホームエクイティローンの基になったのは金融緩和によって市場に供給された資金であり、企業がその巨額の収益を内部留保や自社株買いの形で銀行に供給した資金だった。 そして銀行はその余剰資金の活用方法の一つとしてサブプライムローンやホームエクイティローンを拡充し、総資産を急拡大させていったのである。


http://jp.wsj.com/US/Economy/node_93589


http://www.tdasset.co.jp/column/kamiyatakashi/vol145/


この期間のお金の流れを住宅バブル周りに絞って書きだすと以下のような感じだろうか。確かに銀行を含めてお金は市場を循環しているが、この循環ではお金がまわればまわるほど個人の債務が膨張していく。 



つまり2001年以降の金融緩和政策はたしかに総需要を刺激し、望ましいインフレ率、名目成長を誘導し、実質成長や雇用といったファクターにも短期的にはプラスの影響をもたらしたが、実態はそのかなりの部分が不動産価格の上昇を燃料とした住宅バブルによる経済の歪みの拡大に支えられたものであり、悪い経済成長だったと考えざるを得ない。


これは「重要なのは名目か実質か?」というような問題ではない。
 
名目も実質も共に「数値上は」望ましい水準であり、それによって失業率が目先は良くなったとしても「中身」が悪ければその経済成長はやはり悪いのである。そして悪い経済成長は結局どこかで破綻する。 それは経済成長が加熱しすぎて破綻するのではなく、もともと筋が悪いから破綻するのである。

そして悪い経済成長が累積した経済の歪みは、それが調整されるまでの間、経済の重石となりつづける。実際に米国経済はITバブル崩壊時と比べても5割以上高い失業率を住宅バブルが崩壊してから3年以上経った今でもまともに下げられないでいる。


結局、今の経済状況から立ち直る為に必要なのは「名目・実質GDP」や「インフレ率」のようなマクロ的な「指標」にとらわれることではなく、経済の「中身」を良くする(或いは正常化する)ことではないのだろうか? 更に言えば経済の「中身」を良くするためには一時的には「雇用」すら犠牲にする必要があるのかもしれない。 確かに「雇用」は経済の最重要課題ではあるが、「目先の」雇用だけにとらわれていては結局「長期の」雇用を悪化させることになる。2001年のITバブル崩壊後の金融緩和はあの時点での「目先の」雇用を維持、改善することには効果があったが、結局数年後にはるかに多くの、そして長期間の失業を生み出すことになったわけである。


「中身」を良くするのは民間の仕事だろう。財政政策は場合によっては一定の効果があるかもしれないが、財政不安自体が経済の重石になっているような状況下ではリスクのほうが高い。金融政策に求められるのはインフレの抑制と緊急時における金融システムへの流動性の供給、そして更なる信用バブル発生への警戒であって、副作用の強いカンフル剤を経済に打ちまくることではない。民間が経済の「中身」を良くするには時間が掛かるが、これは待つしかない。全治三ヶ月の人間がどれだけ良いリハビリをしても1週間で完治することは出来ないようなもので、「長期的にみれば、われわれは皆死んでしまう」といわれようが、短期的に解決できない問題はやはり存在するのである。