均衡的な為替水準と「経常収支+資本収支=0」式について

順番が逆な気もするが為替関連のエントリーを幾つか書いたついでに、筆者が為替についてどう理解しているのかについても書いておこう。 


まず為替レートという価格には二つの面がある。 すなわちAB二国の通貨間の為替レートは

 (1) 資産価格の面:A国の通貨建の流動資産とB国の通貨建の流動資産の相対価格

 (2) 交易条件の面、A国の生産物とB国の生産物の相対価格

の二つの相対価格の意味を併せ持っていおり、後者には更に

 (2a) 生産物そのものの相対価格という面

 (2b) 生産物の背後にあるA,B両国の生産能力、すなわち労働力、各種の資源、技術的能力、政治的・社会的安定性の評価という面

の二つの面を含んでいる(参照)。


円高の弊害を語る人間は(1)の側面を軽視し、(2)の側面を重視することが多いが、この二つの側面は為替とは何か、或いは均衡的な為替水準とは何かを考える上ではどちらも同様に重要である。


以下ではこの二つの側面が為替の長期的均衡水準に対して持つ意味について以下の国際収支の式を参照しながら筆者の理解を少し整理してみる。

 経常収支+資本収支+外貨準備高増減=0

尚、この式は外貨準備高増減も広義の資本収支に含むとすれば「経常収支+資本収支=0」となるので、本エントリーでは「経常収支+資本収支=0」として、論を進める。


経常収支は貿易・サービス収支、所得収支、経常移転収支の三つを合わせた収支であり、貿易・サービス収支は財貨・サービスの輸出・輸入の収支であり、所得収支は雇用者報酬と投資収益を計上したものである。

これらは単純に言えば、AB両国の国民が対象期間内に創造した付加価値のやりとりに関する収支と考えることができる。

経常収支については国内及び海外における様々な財・サービスの市場で競争の結果により国内企業による財・サービスの国内外への供給となるのか海外からの輸入となるのかが決まり、それを更に全ての市場について集約したものであり、国際市場を国内外の収支という切り口で切り取ったものである。


一方、資本収支の意味は何かといえば、これも単純に言えばAB両国間の既存の流動資産の移動である。

A国の流動資産がB国の流動資産に移動する形には色々あるが、例えばA国の企業が手元資金を活用してB国の企業を買収する場合などは典型的なケースであるし、手元資金を活用しなくても国内の金融機関から資金を借りてB国企業を買収しても良い。

もちろんこれらの流動資産の移動は個別の個人・企業の判断によって行われており、一方向にのみ起こるものでもなければ統一の予測に基づいて行われるものでもない。 両国の投資家が独自の評価・判断において、その投資が期待する利益を産むと信じて行うわけである。


ではなぜこの二つが常に同額になるかといえば、一義的にはそういう方式(複式計上方式)で集計されているからである。 国際収支は自国民と他国民のお金のやり取りを複式計上方式で記録しており、渡す人間がいれば受け取る人間がいる訳で、定義上、常に同額にならざる得ない。


しかし、この経常収支部分と資産収支部分を分けて考えるという考え方は現実の経済に対する切り口として、単なる集計方式という以上の有用な視点を提供してくれる。


例えば為替市場をこの式の切り口、すなわち経常収支と資本収支という分類で考えると、以下のようになる。


経常収支関連分:
 A国からB国への輸出に対して支払いを行おうとする人(A国通貨買-B国通貨売)
 B国からA国への輸出に対して支払いを行おうとする人(A国通貨売-B国通貨買)

資本収支関連分:
 A国通貨建ての流動資産をB国通貨建ての資産へ移そうとする人(A国通貨売-B国通貨買)
 B国通貨建ての流動資産をA国通貨建ての資産へ移そうとする人(A国通貨買-B国通貨売)


この観点からみれば経常収支関連部分と資本収支関連部分は本来かなり毛色の違うものであるが、それらが一致するのは為替の売買が常に一致するからであり、逆に言えば売買が成立する水準で為替レートが決まっているからである。 

しかし現時点で売買が成立する為替水準であるからといって、その為替水準が長期均衡的(安定的)であるとは言えない。 株式市場を見れば分かるようにどのような暴落・暴騰局面でも常に売る人もいれば買う人も同じだけいるわけである。


では長期均衡的な為替水準とはどのようなもので、その為替水準から外れたときにどのように均衡水準に収束していくのだろうか?
ここでは仮に何らかの要因でA国の通貨が長期均衡的な為替水準から乖離して大きく上昇(通貨高)した場合を考えてみる。(AB2カ国モデルで)


まず経常収支を見れば、通貨安となったB国は輸出が増え、輸入が減る方向へと圧力が働く。A国はもちろんその逆となる。これは決済用の為替需要においてB国通貨への需要が強く、A国通貨への需要が弱くなることを意味し、過度な通貨高を修正する方向への圧力となることを示している。


同時にこの為替の変動はB国では景気拡大への、A国では景気抑制への圧力となり、B国の資産の期待収益性は向上する一方でA国の資産の期待収益性は落ちることになる。又、これはB国の長期金利を上昇させ、A国の長期金利を下落させる圧力ともなる。

物価水準に関して言えば、為替が変動する前と比較すればB国のインフレ予測は上がり、A国のインフレ予測は下がるだろう。 B国では輸入品の価格が上がるとともに貿易を通じて景気が拡大するという予測が存在する訳であり、共にインフレ圧力となるからである。


次に資本収支を見れば既存のA国通貨建ての流動資産の価値は大きく上がる。結果として主にその資産をA国通貨建てで保有していた人間は、主にその資産をB国通貨建てで保有していた人間と比較し、相対的に資産を増やすことになる。

一方で経常収支面から考えるとA国通貨建ての資産の期待収益性(及びA国の長期金利)は為替変動前よりも低くなることになる為、国際的な資本の移動が自由化されている場合、流動資産の一部はより高いリターンを求めてA国からB国へと移動する。(注1)


投資家がA国からB国へと流動資産を移すときに期待しているリターンは、為替の変動等によるもの(キャピタルゲイン)と実際の資産の収益によるもの(インカムゲイン)とのトータルとなる。 このことは名目での為替トレンドが両国間のインフレ率の差によって趨勢的に変化していたとしても、インフレ率による影響を除外した水準(実質為替レート)で長期均衡的な状態になれば、流動資産の循環的な移動は収束することを意味している。

つまり一方の国がインフレ率5%、もう一方の国がインフレ率0%であった場合にはその他の条件が同じであれば為替レート(名目)は5%ずつ変化していくと予測されるが、両国の資産の期待リターンの平均が8%、3%であった場合(つまり実質リターンが同じ(3%)であった場合)は、「キャピタルゲイン+インカムゲイン」での利益を目的として新たにA国からB国へと流動資産を移そうという人と、逆方向に資産を移そうという人がほぼ釣り合うことになる。


これらの各効果があわさることにより、為替レートが長期均衡的な水準から大きく乖離した状態は市場の機能によって中長期的には是正され、結果として為替レートはその経常収支への影響と流動資産の移動とが均衡する所に落ち着き、循環的な流動資産の流れは収束することとなる。


ただし、この場合の収束は資本収支が完全にゼロとなることを意味するわけではない。 なぜなら、流動資産は年を経るごとに経済全体で貯蓄等によって追加されることになるが、増加した流動資産がどちらからどちらへ移動するかは、両国でどれだけ貯蓄が行われるか、どれだけ資金需要があるか等によって決まってくるため貯蓄性向が高くかつ資金需要が少ない国(例:日本)は資金が流出しつづける形で均衡することになるからである。 (又、これは、経常黒字だからといって必ずしもどんどん円高になっていくわけではない事を示している。 両国における趨勢的な貯蓄性向・消費性向が長期均衡的な実質為替レートを決める一要素となっているということである。)


以上が長期均衡的な為替水準から乖離した場合に何が起こるかについての筆者の基本的な理解であり、この理解に基づけば変動相場制においては過度な通貨高は政府による介入など無くても長期的には維持されることは無く、市場機能によって長期均衡的な為替水準(実質)へと近づいていくことになる。 


しかし、一方で上記の理解に単純に基づけばその収束の仕方については主に名目為替水準が元に戻る、つまり通貨安になることによって調整されると考えることが出来、筆者が過去に何度か書いてきたようなデフレの主因を為替市場(プラザ合意後の急激な円高)に求める主張はおかしいということになる。 

しかし筆者は、特定の条件下では過度な通貨高の調整が為替市場を通じて行われにくくなり、結果として名目為替水準を保ったままインフレ率の差で実質為替を調整していくことになる(つまりデフレで調整していくことになる)のではないかと考えている。 次回はこの考察について書いてみたい。



参照: 「貿易黒字・赤字の経済学」 小宮隆太郎


(注1)これはポートフォリオの調整と考えることもできる。もしリスクヘッジの為にA,B両国に50%-50%で資産を保有しようと考える投資家がいれば、A国の為替が大きく上がったことによりそのポートフォリオは一時的に60%-40%となるわけで、10%分の資産をB国に移そうと考えるだろう。(ちなみにこの投資家はこの50%-50%のポートフォリオを維持していた事によりA国100%のポートフォリオを保有していた投資家よりは資産を減らしているが、B国100%のポートフォリオを保有していた投資家よりも資産を増やしており、狙い通りリスクを減少させることに成功している。)