「クルーグマンによるFRB評」補足

前回のクルーグマンによるFRB評について

で、バーナンキの言うように期待に働きかける手段(FRBに出来ること)はいっぱいあり、まずバーナンキは量的緩和という手をとった。それを見ていて、イマイチ効果が弱そうなので、ウッドフォードは将来の政策パスの表明という別の手を提案し、クルーグマンも賛成した。で、おそらくバーナンキの政策手段のハコにはこの方法も入っていたし(実際にウッドフォードの指摘の前に似たことを行っている)、インフレターゲットや物価水準ターゲットなどの他のツールも入っているだろう。


単にこういった話であるので、

と指摘があったが、これなどはリフレ派によく見られる「リフレ政策は本質的に正しく、手法によって効果の強弱があるだけ。 とにかく推進すべき。」という事がコンセンサスとして議論の根底にあるかのように考えている所からくる発想に見える。


前回紹介したエッセイの中でクルーグマンは、流動性の罠下で有効な金融政策についてバーナンキのViewとクルーグマンのViewは異なり、バーナンキのQE2はバーナンキViewの「実験」だったとし、そして、この実験はの結果は「That experiment is now widely viewed as a disappointment」だったと評している。

QE2の効果については、デフレにならなかったのだから大成功だ、とか結局銀行や大企業の懐をうるわしただけだ、とか様々な評価があるが、クルーグマンが述べているように「That experiment is now widely viewed as a disappointment」、つまり「期待はずれ」だったというのが一般的な評価だろう。 


このエッセイの趣旨は、そうした現状認識の下、リフレ政策に関する二つの声、すなわち

  • バーナンキはQE2で「リフレ政策」の実験をやり、その結果は期待はずれだった。まあデフレにならなかったのは成果といえば成果だろうから、そろそろ手仕舞いすれば? という声
  • バーナンキ自身による、「長期的に力強い経済成長を支援する多くの経済政策は、中銀の領域外」という発言(注1)に代表される、「FRBはやるべき金融政策をやっている、長期的な問題は政府・議会が責任を持ってやるべき」という声。

に対して、

  • 本当のリフレ政策(クルーグマンView)はまだ実施されていないし、こっちはバーナンキViewと違って効果があるはずだ!FRBはやれることはやったなんて言ってないで本当のリフレ政策に舵を切れ!

という主張・反論であり、「単にこういった話」では無く明確な対立軸がある。


今、更にリフレ政策を推進しようと考えるのであればクルーグマンのようにこの「期待はずれ」という現状認識が一般に存在することを前提に議論を行わなければ、説得力はないだろう。逆に今の米国の状況がリフレ政策の成功例とするなら、それはそれで良いかもしれないが、成功していて尚「期待はずれ」と広く見られている程度の成果しか得られないなら政策としての訴求力は大してないし、今日本で喧伝されている「リフレ政策の効果」は誇大広告だろう。


ただ、一方でQE2が期待はずれだったのはクルーグマンが指摘するメカニズムによるものだったとしても、ではクルーグマンのViewに基づく金融政策が正解なのかどうかは、これもまた実験してみないと分からない。クルーグマンViewがインフレターゲットだとするならイギリスの現状についても実験結果と考える必要があるのではないだろうか? 

それにバーナンキがクルーグマンの理論を理解していなかったはずは無く、その上でQE2を選択したのは、その方が効果が高いと考えたのか、或いはクルーグマンViewの方がリスクが高いと考えたかであり、バーナンキの政策が最良のものだった可能性も十分にある(注2)。


実際にリフレ的政策が実施されてた米英においてすら、それが成功だったと言うコンセンサスが存在するわけではなく、それどころか外から見れば同じようなリフレ政策を唱えているように見えるクルーグマンからすら、「That experiment is now widely viewed as a disappointment」と評されているような現状で無条件にリフレ政策の実行を絶対善であるかのように喧伝されても、「じゃあ日本でも「実験」してみよう」という気運が高まることは無いのではないだろうか?



(注1)
バーナンキのこの「長期的」という発言自体はこのエッセイの後に行われたものだが、これについては別の所で

「バーナンキ議長の長期的との定義は『こうした不快な状況が全て終わった後』のことだと思う」

「FRBの政策も同様だろう。議長の講演は基本的には中銀は長期を考慮せず、かなり長期となる得る短期についてもわれわれの問題ではないと言っている」

と指摘しおなじみの「長期とは今起こっている出来事には誤解を招く言葉だ。長期的にはわれわれ全員死んでいる」という言葉を引用して批判している。

http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920000&sid=a6A_arCOTbR8


(注2)
クルーグマンは別の所でバーナンキの姿勢を「かつての日銀のようだ」と批判していたが、逆に白川総裁は「同じような問題を抱えると中央銀行として同じような思考を経て同じような結論になってくる」と見解を示している。
「学術的な議論」を経て、実際に中央銀行として実務を担っているバーナンキが「かつての日銀のよう」になったとすれば、それ相応の理由があると考えるべきであろう。

 総裁は日銀の金融政策について、日銀のPRが下手、と指摘。ただ、手探りで追加緩和を模索してきた中でフロントランナーとなっており、日銀が採用した政策はすべて米連邦準備理事会(FRB)が採用している、同じような問題を抱えると中央銀行として同じような思考を経て同じような結論になってくる、との見解を示したという。

http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-22973420110901