財政問題に関する自己成就的危機の可能性について

ユーロ圏での相次ぐソブリンリスクの顕在化は世界経済における不安要因の一つとなっているが、その中でも特にイタリアのソブリン危機については状況が若干特殊であり、個人的にクルーグマンがどのようなコメントをするかに興味をもっていたのだが、幾つかコメントがエントリーされたようなので少し考察してみる。 


まず筆者がなぜイタリアに対するクルーグマンのコメントに興味を持っていたかといえば、クルーグマンによる以前のNY Timesの記事「”Debt Atithmetic(Wonkish)” -借金の算術(翻訳)」と関係がある。 (尚、以下の引用はいつもクルーグマンの記事の翻訳・紹介に労をとられている「道草」様から行わせていただいた。感謝。)


この記事ではクルーグマンは米国の財政状況、特にプライマリーバランスが達成されていない中での債務のスパイラルについて

経済成長とインフレが債務の増加率に歯止めをかけることだ。歴史的な基準では十分低いものだが、名目成長率が4%あると仮定してほしい。それは債務/GDP比率の上昇を3%ポイント減少させる。だから一年後、想定された数字の元で、債務はGDPの4.5%増加することになる。

債務の増加による、利子率の負担についてはどうか? 最低でも、インフレを補正すべきなので、TIPSイールドを使おう。それは現在、1以下だ。だが悲観的に見て、2としよう。そうであっても、追加される利子率の負担は、GDPの1%の10分の1よりも低い。

だからたとえ十分に大きい赤字予算であっても、長期的に見た債務の悪化のペースは、とてもゆっくりしたものになる。もしそれが債務の死のスパイラルだとしたら、スローーーモーションの死のスパイラルだ。

と分析。そして、

だがしかし、心理学が突然変化して、急激な利子率の上昇があるかもしれないと批評家は言う。そこで疑問なのは、なぜ心理学が変化するのかということだ。投資家は、まさに私が使ったのと同じ算術を使うことができる。なぜ利子率の負担のわずかな増加で、彼らはパニックになるのか?

と疑問を投げかけている。


つまり、プライマリーバランスが達成されていない状況下でも、名目成長があれば投資家は「借金の算術」によって債務悪化のペースがゆっくりであることを理解し、パニックにならないから利子率も急激な上昇をもたらすことはない、というロジックである。


ところが、イタリアのケースではプライマリーバランスは達成されているし、別にデフレでもない。つまり利子率が急激に上がらなければ債務はむしろ改善していってもおかしくない状態にあった。 しかし利子率は急上昇し、欧州中銀の救済措置を受ける羽目になった。


クルーグマンの「借金の算術」で言えば、なぜそんなことが起こるのか?って事が実際に起きたわけである。


これについてクルーグマンは同じくNY Timesの記事「"A Self-Fulfilling Euro Crisis? (Wonkish)" 自己成就的ユーロ危機(翻訳)」)で分析を行っている。(以下の引用はこちらもいつもクルーグマンの記事の翻訳・紹介に労をとられている「P.E.S」様から行わせていただいた。感謝。)

つまり、イタリアについて我々が見ているのは、債務不履行への恐れがまさにその債務不履行を引き起こすという自己成就的危機のまさに起ころうとしているところなのだ。そして、これはまさしく市場介入によって危機を回避することができるケースである。低利子率を確実にするところまで欧州中銀に大量のイタリア債権を買わさしめよ。さすれば債務不履行の可能性は消えてゆく。これによって更なる市場介入は必要なくなる。絶対にやってみる価値はあることだ。

この分析は非常に納得できるし、欧州中銀が、というかフランス・ドイツが、一致協力してこの危機に当たっていくならイタリアの危機は克服できるチャンスは十分にあるだろう。 実際にそちらの方向へと動き出しているようにも見える(ドイツの様子が若干怪しいが、、)。


しかしこの事態について本当に興味深いのはこの「自己成就的危機」が実際にイタリアクラスの大国の経済を揺るがしたことである。


この「自己成就的危機」は単純に言えば、利子が急上昇しなければ債務不履行になる可能性は非常に低いが、もし利子が急上昇すれば債務不履行になる可能性があるという状況下で、後者のリスクを織り込んで利子が急上昇し、じっさいに債務不履行の危機が訪れたということである。 


クルーグマンの「借金の算術」では、利子が急上昇しなければ債務不履行になる可能性が低いんだから利子は急上昇しない、という論理が示されていたが、「自己成就的危機」ではこの理屈は通用しない。そしてこの「自己成就的危機」が実現しうると考えるかしないと考えるかで、財政・金融政策が内包するリスクの評価は格段に違うことになる。


財政について言えば、まさにイタリアで起こったように国債残高が大きい場合には、たとえプライマリーバランスを達成していても、利子率が急上昇すればソブリン危機を招く。 国債残高が十分に少なければ国債の債務履行に関してこのような「自己成就的危機」が殆ど起こりえないことを考えれば、一部の人間が否定したがる国債残高の増加がソブリン危機リスクを高めるという主張は全く正当と言える。


但し、このような評価は財政拡大による景気回復を目指す立場からは都合が悪いものであり、クルーグマンは「借金の算術」の記事内で、そのようなリスクを声高に主張する人を「見えない「債券自警団」や「信頼の妖精」を信じ」ているとし、実際にそれに類する事態がイタリアで起こった今回は、

イタリアと同じレベルの債務を持つが、独自の通貨、そして債務はその独自の通貨において発行されている国は、同様の危機には見舞われないだろう。その場合の誘惑は債務不履行ではなくてインフレである。そして、インフレーションには債務不履行が持つような"first bite of the cherry"の側面、つまりなんらかの対策をとろうとしたら、50%かそこらの担保価値の削減を債権者がこうむるといったことが起こらない*1。この事は、独自の通貨をもつ国は、今イタリアを襲っていると思われる自己成就のパニックのようなものに見舞われることはないということを意味するものと思われる。その他の関係者にとってのこの事の意味は、読者への練習問題としておこう。

と、イタリアが独自通貨を使用していなかったことにその原因を求めている。


しかしクルーグマンは引用にもあるとおり否定しているが、もし独自通貨を使用していなかったら、その場合の国債残高の大きさ等に起因した「自己成就のパニック」は形を変えて通貨暴落&インフレに向かう可能性があるのではないだろうか?

この場合、債務不履行リスクは上昇しないかもしれないが、コントロールできない通貨暴落&インフレが起きるのではないかという「自己成就のパニック」が成立し、結局利子率は急上昇するのではないだろうか?又、自己成就的に通貨暴落が起これば対外債務が返しきれなくなり結局IMFの世話にならざるえないかもしれない。国債残高を積み上げている限り独自通貨を使用しているからといって「自己成就のパニック」から自由でいられるということにはならないわけである。


結局の所、「自己成就的危機は起こりうるし可能な限りそれに備える必要がある」と考える場合には各種財政・金融政策に対するリスク評価は格段にシビアなものにならざる得ない。

自己成就的危機はいつ起こるかわからないし、今起こっていないからといって明日起こらないともいえない。又、例えばその危機が日本で起こるとして引き金が引かれるのが日本とも限らない。それに対して自力でできることは「自己成就のパニック」に対する頑健さを取りもどすことであるが、日本の状況下では増税や緊縮予算がその頑健性についてプラスとなるとは必ずしも言えない(かもしれない)点も問題を更に複雑にしている。


日本の国債残高が幾らになれば(或いはどのような外部条件が揃えば)「自己成就のパニック」を引き起こすのか、またその波及ルートがどのような形を取るのかは分からないが、日本の経済規模を考えればもしそのようなことが本当に起きればその影響はイタリアの比ではないだろうし、救済もIMFなんかではとても間に合わないだろう。ならばこのリスクを増すような行為については慎重であるべきだということは「見えない「債券自警団」や「信頼の妖精」を信じ」ていない人間にとっても共有すべき認識では無いだろうか?



[追記]
変動相場制+独自通貨条件下での自己成就的危機の一種としてはアジア通貨危機があげられるのでは無いか?

もちろん個別の国にはそれぞれ問題があったが、全ての国があの時点で危機を迎えなければならない程の状況でもなかったのではないかと筆者は考えている。


1) ファンダメンタルズからは必ずしも当面のデフォルトを心配する必要はないかもしれないが通貨危機が波及する恐れがある(なんで?)

という所から始まって、

2) 波及すれば外国資本が一気に引き上げる恐れがある

3) 外国資本が一気に引き上げればデフォルトする可能性が高まる

4) 大変だ、今のうちに危なそうな所から資本を引き上げよう!


というループで通貨危機が波及していったとすれば、これも自己成就的危機の一形態と言えるだろう。 

そして、自己成就的危機はそれが起こった場合に得をする人間(ヘッジファンドや機関投資家)がいる場合には発生確率が大きく上がる。彼らが動かせるお金だけでは危機は起こせなくても自己成就のパニックを煽れば大きく儲けることができるということであり、こういった投機筋の動きを規制することも一つの対策と言えるかもしれない。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E9%80%9A%E8%B2%A8%E5%8D%B1%E6%A9%9F