円安政策に関する重商主義的誤謬について

一週間ほど仕事で海外に出ていたらその間に前回のエントリー(「円高のメリット」)に対して

忙しいのと、都合の悪い話には反応しないので○○らしくなったのとでしばらく来てなかったが、久しぶりに見てもまたとんでもないトンデモ論を書いているなあ。

と、コメントを頂いており、更にその翌日には

まともな反論は出来ない、でも自分の間違いを認めることも出来ない、というのは相変わらずなのかな。

と気の早い追加コメントまで頂いていたので、少し張り切って反論してみる。


前回のエントリーでは円高には何のメリットもないというような主張に対して、

そもそも円高は確かに良いことばかりではないが、長期的・趨勢的な円高傾向は必ずしも避けなければいけないものではないはずである。 


「基本的には良いことであるが、デメリットもある。しかし短期的に大きく変動する事はデメリットが大きく避けるべきである。」というのが円高のあるべき評価ではないのだろうか?


では円高のメリットは何かと言えば、単純化すれば購買力がアップし、輸入(とその結果としての消費)を増やせるということだろう。


として、円高のメリットを述べると共に、「何が何でも円安誘導すべきというような主張」についてアダムスミスの重商主義批判をひいて批判を行ったが、それについて以下の通り真っ向から批判をうけている。

円高になっても海外のモノに対する購買力は増加しない。ある個人が円高で外国産のものや海外旅行をたくさん出来るようになったからといって、国全体で見た場合に海外のモノに対してたくさん買えるようになるわけではない。基軸通貨国である場合は別として。

そして、輸出企業がより多くの外貨を獲得するためには、より多くの輸出財が売れる環境、すなわち円安になった方がよく、その時にこそ多く獲得した外貨で多くの輸入(あるいは将来の輸入のための海外資産の購入)が可能になり、消費を増やすことが出来て、国民の厚生が高まるのである。


何というか結局の所、「輸出振興こそが国民の厚生を高める」という重商主義的発想から一歩も抜け出していない主張であり、又、自らが見たい一方向からしか物事を見ていない事がよくわかる論理構成でもある。 


この理論は「円」を貿易相手国通貨に替えても当てはまるはずであるが、当然の事ながらある国が輸入を増やすということは貿易相手国が輸出を増やすということである。 ところが、もし日本が円安の時にこそ輸入を増やせるというなら相手国は通貨高の時にこそ輸出が増やせることになり、明らかな矛盾が生じてしまう。


以上、反論終了。 としてもよいがそれでは不親切なので若干補足しておく。


為替が円高になるということは、貿易相手国の通貨が安くなって輸出が増えるということであり、相手国の輸出が増えるということは日本の輸入が増えるということである(注)。これは逆から見れば円高によって相手国の生産物の円建て価格が安くなり更に輸入量も増えるということであり、購買力が増したということと同じである。よって円安によって輸出が増すことを肯定しつつ、円高によって購買力が増すことを否定することはそもそもつじつまが合わない。
又、この場合、日本の輸出は一時的には抑制されるが、この為替の変動が国家による為替介入(や投機筋によるかく乱要因)等の影響を受けていないものであれば、基本的に貿易全体を最適化し、両国の国民の厚生を増すものとなっているはずである。


つまり通貨高にも通貨安にもメリット・デメリットの双方があり、経済における均衡の結果としての為替変動であれば、(少なくとも長期的には)両者にとってメリットがある方向へと為替が動いているはずであるから、その為替変動がどの方向へのものであっても国全体としてのメリットを伴う(国全体としてのメリットがデメリットを上回る)ということを述べているに過ぎないわけである。 


そして、こうした理解のうえで為替介入による円安・輸出振興政策について考えるなら、それは明らかな重商主義的政策でありアダムスミス等による重商主義批判がそのまま当てはまることになるはずである、というのが前回のエントリーの趣旨だったわけである。 
よって

純輸出を増やすのが良いなんてのは間違いだぞ、だから円安がメリットとは限らないぞ、そういう世間一般で言われているカンタンな答は間違っているぞ、としてひねくれた精神で別の答を探し求め、スミスの重商主義批判にたどり着き、そこから天の邪鬼な考え方をして、円高には輸入財消費を増やせるというメリットがある、というトンデモで元よりさらにひどい間違った答を発見する… このブログでよく見られる構造である。

というような複雑な経路を辿ったわけではないことも一応付け加えておこう。


(注)本文中では単純化のため2カ国で考えているが、これが複数となっても本質的にはロジックは変わらない。


[追記]
ちなみに上記の説明内ではなぜ筆者が(均衡の結果としての)円高のほうが円安よりどちらかといえば良いと考えているかという点には触れなかったが、それは為替レートがフロー面(生産物価格)だけでなくストック面(資産価格)の相対価格を表していると理解しているからであり、端的に言えば円高になるほうが貯金の実質的な価値が上がるからである。 このあたりについては又別途書いてみたい。