輸入デフレ説は本当に初歩的な誤解なのか?

輸入品価格の下落が日本におけるデフレの構造的要因の一つではないか、という説に対するリフレ派の典型的な批判は「相対価格と絶対価格の差が分かっていない」というものである。

その指摘の次には往々にして「そんな基本的なことすら分かっていないとは、・・・」的な発言がくるわけであるが、少なくとも経済学のある仮説(学説)ではそのようなロジックが存在すること自体は筆者も知っている。


この輸入デフレ説批判の典型的なロジックについて、例えば山本幸三衆議院議員の「東大で「永田町の経済学」を講義」というレポートでは

(3) 輸入デフレ説
 これは、相対価格と絶対価格の差が分かっていない、初歩的な誤解である。輸入品は、相対的に国内品より安く、人々は、輸入品の購入に向かう。この時、人々の所得に余裕が生じ、その分は、他の国内品に向かう。そうすると、輸入品の価格は下がるが、他の国内品は値上がりするはずである。その結果、全体としての価格(絶対価格)水準は、当初と余り変わらないはずである。デフレという問題は、上がるべき国内品も含めて、全体の物価水準が下がるということで、これは、総需要が不足しているからに他ならない。

http://www.yamamotokozo.com/reports/kozo-report01.htm

という風に説明されている。


このロジックを知っていながら、なぜ敢えて輸入デフレ的な説(注)を主張するかといえば、上記の輸入デフレ説を否定するロジックは必ず成り立つわけではないし、現実としても成り立っていないと考えるからである。


以下になぜそう考えるかについて幾つかの視点から説明してみる。


(1)現実にあわない
上記の輸入デフレ説を否定する理論はそのまま輸入インフレを否定する理論でもある。

しかしながらリーマンショック以降の各国、特に発展途上国のインフレ率を見てみると明らかに世界的なコモディティ(資源・食料)価格の高騰のあおりを受けて上昇しているように見えるし、当該国もそう認識している。輸入デフレを上記の理論で否定する人にとっては現在多くの発展途上国で同時に進行しているインフレも輸入インフレではないのだろうか?

これらの発展途上国はリーマンショック後に貨幣の供給を急増させたわけもなければ(急増させたのは英米を始めとした先進国)、総需要が急増したわけでもない。


(2)ロジックにミクロで見た場合の必然性が無い
輸入品が値下がりすれば、その分は他の国内品に向かうというがそれは必然なのだろうか?
輸入品が値下がりすれば購買力で考えた可処分所得は増えることになるし、実質的な可処分所得が増えれば消費性向も変化する可能性があるはずである。

又、例え余裕分が100%他の国内品に向かったとして、それが全体としての価格水準に影響を与えないという必然性はどこにあるのだろうか?? 需要が増えても価格が上がらないものなんて幾らでもある。

逆に考えると、上記の理屈が正しければ需要増に対して価格が上がらない製品(iPhoneのアプリ等)の販売量が大きく増えれば、それだけでデフレになることになってしまう。


(3)上記の理屈が全ての国で常に成り立つと仮定した場合、一物一価の法則との矛盾が生じうる
一物一価の法則とは「「自由な市場経済において同一の市場の同一時点における同一の商品は同一の価格である」が成り立つという経験則」である。 もちろん国際市場においてはこの法則が厳密に成り立つケースはむしろ稀であるが、この法則から大きく乖離した状態が長期間続くことも又難しいと考えられている。(そのような場合、裁定取引の機会が増え収束する方向への圧力が掛かる。)

もし輸入品の価格下落に対して絶対価格の水準が維持されるように国内品の価格が上がるという説が全ての国で常に成り立つなら、長期的に見て各国の国内品の価格は世界的な一物一価から乖離しつづけていくケースが起こりうることになる。


(4)デフレ開始時の日本の状況を考慮していない。
デフレ・ディスインフレが始まった当時の日本は既に「一物一価」からかなり乖離した状態、つまり大きな内外価格差を抱えた状態であった。 米国の中でも物価の高いニューヨークの物価(生活費指数)と比べても東京の物価は更に60%から100%も高く、生活費の高い都市ランキング1位の常連でもあった。

これは中国等の発展途上国に限らず、先進国を含め、海外のものを低コストで国内に持ってこれさえすれば、殆どのもので利益を出せるような状況でったという事であり、アメリカからわざわざコストを掛けて輸送してきた缶コーラが国内品の半額程度で売りに出されたりもしていた。

つまり自由な市場経済においては、プラザ合意後の円高によって大きな内外価格差を抱えていた当時の日本の物価は下落するのがむしろ自然な状態であったわけである。(参照:http://d.hatena.ne.jp/abz2010/20101207/1291719204 )


(5)定量的な厳密性に欠ける
山本議員は「全体としての価格(絶対価格)水準は、当初と余り変わらないはずである」と書かれているが、実際のところデフレ期間においても日本の物価「水準」は「余り」変わっていない。デフレといってもせいぜいCPIで見て年率1−2%程度の話である。

山本議員は輸入デフレ説を否定されているわけであるから、この価格「水準」が「余り」変わらないという指摘の定量的なイメージとしては日本が直面したデフレよりかなり小さい数字を想定されているのだと思うが、そうであれば相当高い精度で物価が殆ど変わらないことを説明するロジックが必要となるはずである。 しかしながら上記の通り、この説にはそれほどの定量的な厳密性は認められない。


以上とりあえず5点ほど書いてみたが、これらに加え、前回前々回に書いた「輸入品の増加が個別の市場にどのような影響を与え、それが労働市場を通じて、日本全体に対してどのように波及していくか」という視点からの考察でも、輸入品の増加、価格の下落が物価に対して中立的であるという説には首を傾げざる得ない。




ちなみに山本幸三議員は輸入デフレ説を「初歩的な誤解」と一蹴する一方で、日銀総裁がこのような説を唱え、「恩師である小宮隆太郎氏までが、日銀擁護に回っているのは、未だに理解出来ないでいる。」と書かれている。

山本議員のプロフィールを見ると東大に理一で入学した後に経済学部に文転し、その後2年間小宮隆太郎教授のもとで経済学を学ばれたようである。 確かに同レポートで書かれている日米貿易摩擦についてのロジックは小宮教授の主張とほぼ同じに見える。

しかしながら、山本議員は(小宮教授からは大学に残るよう勧められたそうであるが)学部卒で財務省に入省しており、その後はMBAこそ取ってはいるものの経済学を本格的に研究してきた人ではないように見受けられる。(それどころか履歴を見る限り本格的に研究対象として経済学を学んでいたのは小宮教授の下での学部の2年足らずの期間のみではないかとの印象すら受ける。)


その人が日銀総裁や恩師である東大教授が経済学的に間違っていて「初歩的な誤解」をしていると批判し、「理解出来ない」と言っているわけであるが、なぜそこまで自説に自信がもてるのだろう? 筆者には日銀総裁や小宮教授が「初歩的な誤解」をしていると思い込めることのほうが理解できない。


(注)
輸入デフレというと中国等からの廉価品の輸入に起因するデフレという趣旨で使われることが多いし、山本議員の輸入デフレ批判の中でもそのように使われているが、筆者は円高によって内外価格差が拡大し、輸入元が先進国・発展途上国問わず、ほぼ全ての輸入品価格が軒並み切り下げられたことが広い意味での輸入デフレであると理解している。(一応念のため書いておくとこれが日本におけるデフレ要因の全てと考えているわけではない。)