埋めるべき需給ギャップはどこにあるのか?

日本経済について議論を行う際に重要なキーワードとして出てくるのが「需給ギャップ」である。


日本には埋めるべき膨大な需給ギャップがあるらしいが、勿論その分だけ毎年在庫が積みあがっていっているわけでは無い。要は潜在的な供給能力に対して実需要が少ないため、本来であれば100単位生産できる所が80単位しか生産されず、潜在的な供給能力と実際の供給量の差、つまり20単位の需給ギャップが生まれているという事である。 


ではその埋めるべき膨大な需給ギャップはどこにあるのだろう?


まず前提として多くの工業製品では潜在的な供給能力をアップさせるのに必要となる追加投資は農業などと比べると相対的に低く、機会損失を防ぐために需要増に対応できるだけの設備投資が行われる傾向にあり、その超過供給能力を持った設備を使って需要に併せた生産が行われる事が多い事を考慮する必要がある。

CDやゲームソフトなどはどのタイトルも作ろうと思えば何百万本でも作れるが、通常は需要を大幅に上回る数が供給されたりはしない。しかし誰も売れない歌手のCDに大きな需給ギャップがあるとは言わないだろう。

これは単純な物理的供給能力を基に考える需給ギャップは日本のような需要が経済を制限している状況下では余り意味が無く、トレンドラインからの乖離(過去数年と比較して需要・供給が増加したか減少したか)を検証する必要があるという事である。



一方でトレンドラインを下回っていたとしても市場が構造的に縮小した結果生じた需給ギャップについては、それが埋めるべき需給ギャップであるかどうかは疑問である。 

新築住宅市場は73年の191万戸をピークに現在では80万戸レベルまで落ち込んできているが、別にホームレスがその分増えたわけでは無いし、住宅ローンを抱えている世帯の割合は統計を取り始めた79年以来最高となっているという話もある。要は人口が増えなくなり昔ほど新築住宅が必要なくなっただけである。この需給ギャップを埋めるために住む人間の居ない新築住宅を幾ら作っても意味がないだろう。

住宅に限らず、少子高齢化に代表される日本の人口動態に構造的な影響を受けている国内需要は多い。人口動態の経済への影響を低く評価したがるリフレ派でも、住宅・自動車・家電等の耐久消費財の国内需要に対して人口動態が影響を与えてきた事は(しぶしぶ?)認めているようである。



では国内の特定の産業が国際市場での競争に負けて供給を減らした場合に生じる需給ギャップはどうだろう? このような国際競争力は輸出製造業だけの問題ではなく、輸入・輸出の両面での問題となりうる。


当り前であるが、輸入品が入ってくればその製品の国内の需給はその分だけ逼迫する。これは単に中国等の発展途上国から輸入される廉価品の話に限らない。欧米の高給ブランドバッグの輸入が増えれば日本のバッグ市場の需給はその分だけ逼迫する。
又、廉価品、高級品を問わず、輸入品の国内価格(円建て価格)が下がれば、国産品に対する需要は相対的に低下し、対抗上値段を下げる必要が出てくる。この場合、量的にも質的(単価的)にも国内産品の需要は輸入品によって圧迫されることとなる。

GDPと比べれば輸入の絶対額が少ないから影響も少ないはずだ、という指摘もありうるが、輸入の絶対額が極端には増えないのは国内産品も対抗して値下げしているからという側面もある。もし輸入品の値段が下がって国内産品の値段が変わらなければ、輸入はもっと増えたはずと考えられるし、実際に産業によっては完全に競争力を失って衰退し、市場がほぼ全て輸入品に置き換わり国内産品の供給自体が存在しなくなったものもある。 日本は島国である事もあり国際競争力を失った企業が生き延びやすい環境(=内外価格差が維持されやすい環境)ではあるが、長期的には内外価格差は解消されていく(参照


又、輸出についてはより単純であり、国際市場での競争に負けて輸出が減れば日本の総需要は減るし、輸出が増えれば総需要は増える。


このような国際市場での競争の結果として生じた国内の需給ギャップを国内の需要を喚起して埋めることは理論上は可能かもしれないが、供給サイドの競争力がそのままでは輸入が増えるだけとなる可能性が高い。一方で逆説的に聞こえるかもしれないが供給サイドの生産性を上げることで、この需給ギャップを埋めることは可能である。

供給サイドの生産性を上げれば、余剰供給能力が更に増え、需給ギャップを拡大すると主張する人もいるが、本来生産性を上げるというのは売れない商品を更に大量生産できるようにするという事ではなく、より競争力の高い(製造コストが安い/付加価値が高い)商品を供給できるようにするという事である。

国際市場が存在する商品では、生産性が相対的に低いが為に供給能力が余剰となっていた側面があり、生産性が上がれば必要十分な利益を生み出すことが可能になる。


過去数十年の傾向を見れば、日本は構造的な円高傾向により多くの製造業が国際競争力を失って衰退していったし、生き残った製造業もコスト削減等による生産性を向上を迫られ続けてきた。一方で素材産業等の一部の産業は付加価値を高めて競争力を維持し、輸出を拡大させ続けてきたし、輸出で得た外貨で更に輸入を増やすと同時に、海外資産も積み上げてきた。

そして日本全体で見れば円高傾向を維持しつつ国際収支での大幅な黒字を維持し続け、その間に蓄積した純資産からの収益が貿易収支に迫る、もしくは上回る規模にまで増加した。


つまり日本が豊かになる過程においても現在と同様に多くの国内産業で需給ギャップ(需要<供給)が発生していたということであり、違いがあるとすればその需給ギャップから埋められたかどうかではなく、需給ギャップに起因する失業者を他の新たな産業が受け入れる余地があったかどうかということになる。



筆者は上記の二つの需給ギャップ、人口動態に起因する需給ギャップと日本が豊かになってきたことに起因する需給ギャップが日本経済が内包してきた需給ギャップのかなりの部分を占めると考えているが、これらの需給ギャップを直接的に埋める簡単な方策は存在しないと考えている(注)。


敢えてこれらの埋めがたい需給ギャップを埋める方法を考えてみるとすると、一つは移民をどんどん受け入れること、もう一つは為替介入で円安誘導して輸出を増やすと同時に輸入品の値段を上げて国内産品の相対的な価格競争力を上げることであろう。

これらはまさに経団連が支持する政策であるが、筆者の考えではこれをやって本当に得するのは一部の輸出製造業だけで、一般的な国民にとってのメリットはデメリットを上回ると考えている。この点については関連エントリーを何度か書いたのでここでは論じないが、いずれまとめて考察してみたい。


(注)
特定の市場に生じた需給ギャップを直接的に埋めることは困難、ないしは無意味だが、間接的に埋める方法ならあるかもしれない。 日本のような先進国では埋めるべき需給ギャップは中長期的には労働市場に集約されると考えられるので、この労働市場の需給ギャップを埋めれば良いという事になる。 この点については次回に考察してみたい。