国債残高と国民の「資産」の関係について

先日のエントリー「国の借金 国民一人当たり722 万円」の意味 では、国債残高のもつ意味について目先のお金の流れの面から考察した。

エントリーの趣旨を簡単にまとめると、国債残高は将来的に返済する必要があろうがなかろうが、存在する以上その金利負担(もしくは元利負担)相当のお金が国民が支払った税金から棒引きされることになり、残高が増えれば増えるほど支払った税金と受け取れる公共サービスの差が大きくなるというものであった。


これはお金の流れ(フロー)の面から見た国債残高のもつ意味ではあるが、資産(ストック)という視点を加えるとその見え方がまた少し異なる。今回はこちらの視点から少し考察してみたい。


但し、今回取り上げたいのは「国債が国民の資産になっている」という意味の「資産」ではない。その意味での「資産」の視点も重要であるが、今回取り上げたいのは、要は国は借金までして代わりに何を得たかということである。


細かく見れば国債の発行には様々な目的があるが、ウェイト的に大きいのは以下の二つと考えられる。

(1) 公共資産(社会資本)の形成
(2) 景気刺激


ここでいう公共資産とは公共事業によって建設される道路や橋、住宅、湾港等その存在が国民の効用となりうるものを指しており、いうなれば国民全体の資産である。 そして建設に伴って発行された国債が全て償還されたとしても、これらの資産が消滅するわけではない。 一旦建設された公共資産は理想的にはその後半永久的に国民に効用を供し続ける。

よって国民が公共資産から受ける効用が国債残高に対する元利払いを上回らない限り、税金の元は取れているということになる。 以前地方分権について考察したエントリー(参照)でも書いたが、現在の日本では既存の社会資本から受ける効用を含めれば殆どの日本国民が負担(納税額)を大幅に上回る効用を公共の資産とサービスから受け取っており、それが日本が他の国(特に発展途上国)より恵まれた環境である要因の一つだと筆者は考えている。


但し、以上のことは大幅な財政赤字によって足元で増え続ける国債残高を肯定することには必ずしも繋がらない。


まだ社会資本の整備が十分でなかった高度成長期に行われた公共事業は、波及効果が大きいものが多く、借金をして金利を払っても余裕で元が取れた。 仮に1000億円の投資を全て国債で賄い、その金利負担が5%であったとしても、毎年50億円払うに足るだけの効用を国民が受け取ることが出来たし、場合によってはその直接的な経済効果による税収増分だけで、元利を賄うことすら可能であった。

ところが、社会資本が整備されてくるにつれ、そのような有利な公共投資対象は少なくなり、また公共事業自体が利権化し、明らかに元が取れそうに無い(掛けたお金に見合う国民の効用が得られそうに無い)事業にまでお金が回されるようになった。


その傾向に拍車を掛けたのが、「(2)景気刺激」としての公共投資である。 ケインズ経済学的に言えば「有効需要の創出」ということであり、大雑把に言えば一時的な有効需要の不足を公共投資で埋めることによって景気回復を達成するというものである。


この意味での公共投資は有効需要を作り出すことが主眼であり、極端な論者になると「穴を掘って埋めればよい」ということになる。 ただ、長期的に見た場合、穴を掘って埋めても何の社会資本も残らないので国民の効用にはなんら寄与しない。 よってこの場合、公共投資は目先の景気を回復させることによって元を取る必要がある。


筆者はケインズ的な有効需要の創出の効果を完全に否定するわけではないが、問題はその成果評価が困難なことだと考えている。 社会資本から得られる効用の評価も簡単ではないが、それでもまだ客観的、定量的な評価を試みることはできる。 しかしながら有効需要の創出による景気改善効果が、その投資額に見合うものであったかどうかの評価は「実現しなかった将来」との比較となり、幾らでも恣意的な評価が可能となる。このことは最悪の場合、公共投資の歯止めを失わせ、将来の世代に何の資産(社会資本)の裏づけの無い借金だけを残すことになる。

そのより典型的な例は「赤字国債」である。 この場合とりあえず足元の公共サービスを維持するために借金をしているわけであり、将来の世代からみれば完全に負担の付け回しである。


幸い現在の日本はまだ既存の社会資本から受ける効用を含めれば殆どの日本国民が負担(納税額)を大幅に上回る効用を公共の資産とサービスから受け取れる状況であるが、この状況がいつまで続くかは予断を許さない。

人口が減少していくということは社会資本から受けられる効用の総量が減るということであり、一方で、蓄積された膨大な社会資本の維持費とその建設に使った国債の元利負担の一人当たりの負担割合が増えていくということである。(人口減少で人が住まなくなった地域の既存の社会資本は何の効用も生まないが、その建設費用の元利負担が消えるわけではないということ、) この状況に少子高齢化による社会福祉の負担増が加わると、税負担に対する公共資産・サービスから受ける効用の割合が徐々に低下し、日本に生まれたことによって得られる「豊かさ」のレベルが下がっていくことになる。

この予測は、少子高齢化のトレンドが容易には変わらないことと、(少なくとも当面は)プライマリーバランスが達成されそうにないことを考慮するとかなり実現確率は高いはずである。 そしてこの予測の現実味が高ければ高いほど、ケインズ的な景気刺激の効果はますます限定的となる。 


よって結論は前回と同じとなってしまうが、すぐに解決できる問題ではなく、痛みを伴わない解決策も恐らくは存在しないとしても、日本の将来を考えると財政再建はやはり真剣に考えるべき喫緊の課題であることは間違いなく、国債残高の増加を全く問題なしとするような議論には用心すべきであろう。。