金持ちの子供がより金持ちになれるもう一つの理由

仮に、才能も性格もチャレンジ精神(リスク選好度、効用関数)も全く同じ二人の人間が居て、一方が資産家の子供(A)、一方が貧困層の子供(B)だったとする。

二人が住んでいる国は機会の均等が行き届いており、二人は才能に見合った同等の教育を受けることができ、同等の人脈も築くくことができる。理想的な環境ではあるが、それでも資産家の子供が貧困層の子供より事業で成功する可能性はやはり高い。


ある投資案件があったとする。 その投資案件は確かなものであり、彼らの能力があれば1000万円を投資すれば、8割の確率で2000万円のリターンがあげられる。 この投資案件はとりあえず一回きりのものであり、次があるかどうかは事前には分からない。但し今回投資しなければ次は無い。

この投資の期待値は+600万円であり、次に繋がる可能性もある。 間違いなく良い投資案件である。


ではこの時二人の判断は同じになるだろうか?


この時二人のリスク選好度をあらわす効用関数は同じと仮定している。 リスク選好度が同じであれば同じ判断をしそうなものであるが、二人の間には大きな違いがある。 それは効用関数のスタート地点としての保有資産である。


効用関数は通常逓減的であり、お金の価値はお金を持っている人間にとってほど低くなる。そして100万円資産を増やすことによって増加する効用は100万円資産を減らすことによって減少する効用より少ない。 


つまりこの投資案件がもたらす2000万円というリターンはBにとってより価値があるが、1000万円失うことによる痛みもまたBにとっての方がずっと大きい。

一方で富裕層出身のAにとっては2000万円を得ることによる効用の増加は大して大きくないが、1000万円失うことによる痛みも大したものではない。


よって同じリスク選好度、効用関数であれば、既に関数が逓減した後のポジションからスタートできるAのほうが、よりリスクをとって勝負することができる為、同じ能力、リスク選好度を持つBよりも事業の成功にははるかに有利なポジションに居ることになる。


これは自由主義経済の一つの帰結ではあるが、望ましいものとは必ずしも言えない。 Bは成功するに値する能力とチャレンジ精神を併せ持っているが大きなリスクを取るのは難しく、結果として金持ちがより金持ちに、貧乏人がより貧乏になるシステムの一部となっている。この格差拡大のメカニズムには能力の遺伝等の議論の余地が残る仮説を持ち出す必要がない。どのように機会の均等を整備しても結局のところ食うのに困らない人間の方が成功しやすいという話である。


この問題点は本質的であり、客観的な解決方法は存在しない。又、筆者は社会主義的な結果の均等が正しいとは全く思わない。そのような社会が成功しないことはソ連をはじめとした幾つかの社会実験で示唆されている。


又、日本にはこの歪みを更に広げるシステムが存在する。 それは金融機関が経営者に求める個人補償である。 仮に個人補償が無かったとしても保有資産の限られる経営者(B)が築き上げた企業の価値がゼロになるようなリスクが取れるかどうかは疑問であるが、もし個人補償があった場合、Bのリスクの許容幅は更に小さくなるはずである。 個人補償がある場合、大きな投資判断は単に会社ではなく人生を賭けた勝負にならざる得ず、保守的にならざる得ない。


この格差拡大メカニズムを根本的に解決することは難しいが、現実に即した形である程度緩和することは可能ではないかと考えている。
経営者に個人補償という形で無限責任に近いものを押し付けるのではなく、責任を限定することもその一つである。もちろんその為に金利が高くなる可能性はあるが、それはコストの問題であり、リスクの問題ではない。上の例では仮に1000万円の融資に対する金利が100万円から200万円に上がったとしても期待値が100万円減るだけであり、良プロジェクトには変わりない。


現在検討されている経営者への個人補償(個人連帯保証)を制限する法案は社会主義的な施策にも見えるし弊害も確かにある。しかし「起業家精神」というあやふやなものを推奨するよりはるかに日本における起業を後押しし、日本経済を活性化させる効果が期待できるのではないかと筆者は考えている。