岩本教授の「貨幣数量説と流動性の罠」について

岩本教授のブログで国債の日銀引き受けが起こしうるレジーム転換の影響について、貨幣数量説的な観点から以下の指摘をされている。

「日銀の国債引き受けによってレジーム転換が生じて,マイルドなインフレが実現する」という考え方については,レジーム転換が生じるか否かがそもそも問題だが,かりにレジーム転換が生じたとしてもそのような都合の良いレジーム転換は存在しない。最近のマネタリーベースは100兆円程度だが,かりに日銀が20兆円国債を引き受けたとして,Mが120兆円に増えたとすると,それに対応して着地すべき名目GDPは1200兆円を超えるだろう(1995年以前の貨幣の流通速度をもとにしているので,着地すべき名目GDPにはある程度の幅をもってみる必要はあるが,以下の議論に本質的な影響はない)。2010年の名目GDPは479兆円だから,1200兆円というのは数年のうちにマイルドインフレで到達できる数字ではない。つまり数年間で適切な水準に着地するなら,それまでは猛烈なインフレになるだろうし,マイルドインフレで着地しようとすれば,何十年かかるかわからない。「Mを増やしてマイルドインフレの実現」というのはまったくの妄論である。


貨幣数量説と流動性の罠
http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/35329635.html


筆者も(レジーム転換を目的とした)日銀の国債引き受けには反対であるが、一方で例えレジーム転換したとしても必ずしも岩本教授の指摘するような状態にはならないのではないかと考えている。


まずレジーム転換が起こったときに為替市場で円がどのような動きをするかを考えてみる。基本的には円安方向への動きになるのは間違いないが、パターンとしては

  1. 高インフレが継続する期間中じわじわと円安になる
  2. その分を先取りして一気に円安になる

の2つが考えられる。


1.について考えると、非常に高いインフレ率が何年も続くということは同一財に対する購買力平価の観点から考えると円がどんどん弱くなることを意味している。

しかし何度も書いているように日本の輸出産業は名目では歴史的高水準である為替レートでも輸出を伸ばしてきたし、経常収支も大幅に黒字である。もし単純に高いインフレ率が継続し、その期間中通貨が切り下がっていくのであれば、日本の輸出産業の国際競争力は更に強化され、輸出も増えるだろう。

しかし輸出ががんがん増えながら通貨がどんどん切り下がっていくような状態は長続きしないはずであり、このパターンは考えにくい。


では2.はどうだろう。 

もしレジーム転換で極端な動きが起こりうりうるとすればこの「通貨が一気に、かつ大幅に切り下がって、そこから輸出を伸ばしながら再び円高の道を歩み始める」というパターンのような気がする。 敢えて呼ぶなら「韓国パターン」という事になるだろうか?

しかし通貨危機の発端となることの多い国債については日本の場合は自国通貨建てであり、しかも現状ほぼ国内で消費されており、直ぐに危機的状況になることは考えにくい。日本の高い外貨準備高や経常収支を併せて考えると数十兆程度の国債引き受けであればそこまで大きな為替変動は起きないのではないだろうか?(注1)


つまり日銀の国債引き受けが仮にレジーム転換を引き起こしたとしても、即120兆円のマネタリーベースに対応する「着地すべき名目GDP」(1200兆円)を目指すような現象は起こらないのではないか?というのが筆者の見解である。


では実際に何が起きうるかについての筆者の予測を次のエントリーで書いてみたい。


(注1)
但し、日本の場合、国債がほぼ国内で消費されている事はメリットも多いがデメリットもある。 最悪のパターンとしてもし国債危機が起これば、それは金融危機に直結し、しかもその金融危機を解決するための資金を国債発行で賄うことが困難になる。国債危機自体が起こりにくい構造の為、この状態に陥る可能性は低いように思うが、投機筋の大掛かりな仕掛けによって起きる必要も必然性もない国債危機が発生する可能性もゼロではなく、注意は必要である。



(追記)
筆者も以前に高橋教授の記事に対して以下のようなエントリーを書いたことがある。

日銀はBSを絶対値としては大きく拡大させてきています。 それでもインフレ率が上がらないのは高橋教授に言わせれば「デフレ目標」を持っているからだそうですが、それなら「インフレ目標」を掲げただけでインフレ率は大きく上がってもおかしくないことになります(既にBSは拡大しているので)

ただ、筆者の理解の中心はそもそも日本のデフレの大部分は「デフレ目標」で形成されているのではなく、インフレ率自体の趨勢的な低下が原因であり、その構造的な部分が改善されないまま「インフレ期待(懸念)」だけを誘導しても、実質的な経済成長は達成されないのではないかという点にある。(もちろん「期待」に左右されている分もそれなりにあるとは思うが)


岩本教授の考察は引き合いに出しているリフレ派の議論と同様に貨幣数量説の前提である「Vは金利によって変化するが,長期的には安定していると考えられ,長期的には貨幣量が物価を決定するとマクロ経済学の教科書には書かれている。」を前提としているが、日本の場合この流通速度(V)そのものが趨勢的に大きく変わっている可能性もありうるのではないだろうか? そうであれば

(1995年以前の貨幣の流通速度をもとにしているので,着地すべき名目GDPにはある程度の幅をもってみる必要はあるが,以下の議論に本質的な影響はない)

という前提は自明ではなくなるはずである。そして

市場は以上の事実を理解しており,ゼロ金利政策の出口ではMの縮小が必要なことを見通している。

ということも同様に自明ではなくなるのでは無いだろうか?