地方分権はどこまで正しいのか  - 既得権 vs 優先権

地方分権について考える際の切り口は数多くあるが、現在を過去に起きた文脈の中で捉えるなら日本が中央集権国家として現在の国の形を作り上げてきたことは無視できないはずである。(特に明治維新以降)


確かに日本の現状は「都市」と「地方」に分けた場合、都市からの補助金で地方が食っている状態であるが、歴史的に見れば地方の農業からの税収を中央が集めて、都市部に集中的に投下してきた経緯があり、その結果として近代となって都市部を中心に新たな産業が興り、先進国化を達成できたわけである。


地方から見れば、都市に長年「投資」してきたのだから、その配当を受け取って当然という見方もできるはずである。


又、そもそも個人単位で考えれば、都市部に住んでいる人間でも自分が公共の資産、サービスから受ける効用以上に税を負担している人間は稀であり、「都市部の税収を地方に配りたくない」というのは殆どの都市住民にとっては「(個人的にはなんの関係も無い)高額所得者や優良企業が払っている税金に対して、同じ地域に住んでいるというだけで優先権を主張している」ことと同じである。


公共資産についても同様の問題がある。 例えば「日本を30のシンガポールに分ける」という記事が注目を浴びていたが、この場合国道を初めとする国民の財産の分配はどうなるのだろうか?

恐らく時価(或いは現在価値)で見れば、国道などを含めた国の資産の相当部分が都市部に集中しているはずである。これは日本中から集めた税金で培ってきた資産であり、それを無条件に地域単位で分配するのは公平とは言えないだろう。

一つの解決策として国有資産の使用料については国全体でプールして分配しようとなった場合、使用料の設定次第では今以上の都市部から地方への金の流れ発生する可能性すらある。(首都高の料金が地方にまわっている状態を更に国道やその他公共資産まで拡大した状態)


受益者負担という考え方もあるかもしれないが、地方に住み300万円の納税をしている人と、都市に住み300万円の納税をしている人の間で公共の資産・サービスから受ける効用が大きく違うとすれば、それは受益者負担の観点からもやはり公平とは言えない。 結局このまま単に分割してしまえば各個人の受益も負担もその地域にたまたま金持ちや優良企業がいるかどうかで決まってしまうことになる。


以上は筆者の考えとして、日本人として生まれたからにはどこに生まれようと”ある程度は”同レベルの「国との間の負担・受益関係」が提供される事が公平と考えているからで、同じ日本人でも生まれた場所によって大きな差異が生じるのは自然であり、国内での移住の自由が保障されていれば最低限の公平性は守られるという考え方もありうるし、それが必ずしも間違っているという訳でもない。 


それに都市部のインフラが歴史的には地域の税収で作られたといっても、その税収を払った人間は既に生きていないのだから、現在地方に住んでいる人間が都市部の公共資産に権利を主張するのはおかしいのではないか? という意見も全く同様に成り立つだろう。


筆者は地方分権を行うことによって効率が改善される部分が存在することには基本的に同意である。

しかし実際の地方分権議論は、現状優遇されている地方の住民の既得権と、居住地域からの税収に対して優先権があるはずと考える都市住民の間の綱引きの部分が強いように感じる。再分配議論では客観的な「正しさ」より主観的な「正しさ」が強いわけで、この綱引きの部分を議論してもあまり得るものは無いだろう。とりあえず前に進むためには効率を改善するための地方分権と地方と中央の再分配(実際には主に都市部に集中する優良企業と高額所得者からその他大多数の国民への再分配)という問題は分けて議論すべきではないだろうか? 地方の効率が上がれば日本全体が底上げされて最終的には都市住民にとってもプラスになるはずである。