デフレ均衡は何が均衡しているのか?

前回に続いて、フィードバック・ループの観点からデフレについてもう少し考察してみる。


現在の日本経済に至る転換点をプラザ合意後の円高と考えると、円高はフィードバックループとして

 円高 → (外貨建てでの)人権費・物価高騰 → 輸出減・国際収支悪化 → 円安

というネガティブ・フィードバックを持つ一方で、間接的に

 円高 → (実質)人権費の高騰 → 産業の空洞化→ 失業率の増加 → 景気悪化
 円高 → 内外価格差拡大 → 輸入増→ 内外価格差是正→ デフレ → 景気悪化

 景気悪化 → デフレ・失業率の増加 → 景気悪化

というポジティブ・フィードバック・ループを国内に発生させることになると考えられる。


国際貿易を舞台としたネガティブ・フィードバックが強く働けば、円は再びプラザ合意前の水準へと回帰していき、国内経済におけるポジティブ・フィードバックが制御不能になれば大不況、デフレスパイラルに落ち込むことになるわけである。 


しかしながら日本の過去十数年は長期的な円高トレンドを維持したまま、国内的にはデフレ均衡とも取れるようなマイルドなデフレが長期間続くというものであった。


つまりネガティブフィードバック、ポジティブフィードバック共に何らかの要因で既に安定状態に陥っているか、ループの増幅度及び回転速度が制御されて変化が少しずつしか実現しない状態であったと考えられる。


国際貿易におけるネガティブ・フィードバック(円高→円安)に対する阻害要因として筆者が思いつくのは以下のようなものである。

  • 円高(人件費の高騰)に輸出量が大きく影響を受けない産業構造への転換
  • 輸出(シェア)競争力の低下を補う、世界経済全体のパイの拡大
  • 企業努力による輸出競争力の向上(リストラ等)


人件費は輸出産業にとって外貨建て名目(主にUSドル建て)で効いてくるものであり、円高直後から輸出企業は大きな影響を受けることとなったが、主要輸出産業から労働集約型産業が退場する一方で、資本・技術集約型産業の発展に成功し、日本はより非価格競争力を高めた産業構造へと生まれ変わった。


又、世界経済全体のパイは新興国の成長により急拡大しており、日本が輸出の主力を高技術・高収益型産業へと特化し、結果として世界貿易に対するシェアを落としても、絶対量としては十分に成長できる余地が生まれたことも、功を奏した。


これらの要因は円高から輸出減、円安へと繋がるリンクにたいする制御となり、このネガティブ・フィードバック・ループの安定的な均衡点(為替水準)を押し上げる圧力となってきた。


一方で国内経済のポジティブフィードバックに対する阻害要因として考えられるものは以下の通り、

  • 内外価格差是正がゆっくりと長期にわたって行われてきた
  • 輸出産業の底堅い成長
  • 人件費低下を含むネガティブ・フィードバック・ループ (景気悪化 → デフレ・失業率の増加 → リストラ・人件費低下 → 企業業績回復 → 景気回復
  • 政府・日銀による景気悪化への対応策


内外価格差については以前「デフレと円高、どちらが卵でどちらが鶏なのか?」でも書いたが、プラザ合意後の急激な円高によって生じた内外価格差は、もし日米が地続きであれば短期間のうちにほぼ解消されたはずで、その場合物価下落率は数十パーセントとなっていた可能性がある。 しかし現実にはこの内外価格差は日米間のインフレ率の数パーセントの差を通じて長期間にわたって解消されてきた。(そしてこの期間中は日本経済は常に内外価格差是正による物価下落圧力にさらされ続けることとなった。)

景気悪化に対するリストラ・人件費低下を通じたネガティブ・フィードバックも(多くの規制に制約されながらも)少しずつ回り始めた気配もあり、リーマンショック前には「企業業績の回復」までは到達していたようである。


そして、良くも悪くも最も直接的な影響を与えてきたのは政府・日銀の景気へのサポートであろう。

政府・日銀はプラザ合意後の1980年代には円高不況対策として(当時としては)超低金利の金融緩和政策をとって景気刺激を続けた。その結果、資産価格高騰のポジティブ・フィードバックは適切な制御を逃れて暴走し、不動産バブルを発生させ、銀行と家計に不良債権・負債という景気回復への足かせを残して、結局破綻することになった。

その後、バブル崩壊によるショックと内外価格差是正による潜在的な物価下落圧力により経済は一気にデフレへと突入してしまい、伝統的な金融緩和では足りなくなり、財政出動や量的緩和等のリスク・コストを伴う景気刺激策をとらざる得なくなった。


財政出動は本来であれば

財政出動(=財政悪化) → 景気回復 → 税収増 → 財政再建

というフィードバック・ループの形成を狙うものであるが、銀行の不良債権と家計の負債が重しとなり、景気回復への効果はなかなか上がらず、国債残高のみが積みあがっていくこととなった。


一方でこのような財政の急速な悪化は通常であれば

財政悪化 → 国債暴落 → 円安

というルートを経由して円高へのネガティブ・フィードバックとなってもよさそうなものであるが、デフレ期待下での有力な投資先として

デフレ → 低金利 → 国債価格上昇 → 資金集中 → 国債価格上昇

という国債バブルとも見えるポジティブフィード・バックが形成されてしまったことによって、財政悪化から国債暴落、円安へと繋がるネガティブ・フィードバック・ループは今のところ稼動していないようである。


これまでに述べた各ルートの中から、「デフレ」だけを見てみると内外価格差是正によるデフレ圧力と、景気後退によるデフレ圧力の二つがあることが分かる。 但し、前者は一定の均衡水準(内外価格差<輸入コスト(+α))へと漸近的に近づいていく安定的な系であるのに対して、後者はデフレ・スパイラルに繋がる非安定的な系である。 長期に亘ってマイルドインフレが継続している日本の状況は、政府・日銀による景気刺激策が後者のデフレスパイラルに繋がるポジティブ・フィードバックを制御することはある程度成功したが、前者のデフレ圧力については貿易を規制しない限り完全に制御することが困難なため、結果としてスパイラル化しないデフレ状態が続くこととなったと考えることも可能ではないだろうか。


又、全体を見渡すと現在の状態はデフレ「均衡」といってもネガティブ・フィードバックによる安定均衡ではないことが分かる。 むしろ空回りしている財政出動・金融対策はポジティブフィードバック的に国債残高を増やし続けており、それを支える国債バブルもポジティブフィードバックによって支えられている。
ポジティブ・フィードバックは適切な制御がなければ、最後には破綻してしまうものであるが、両者を制御しようという動き(増税や金利正常化)は不人気であるし、そもそも軟着陸可能なレベルを過ぎている可能性もある。 又、仮にまだ軟着陸可能であったとしてもその制御は短期的には景気後退のフィードバックループを加速させてしまう恐れが高く、非難の対象となる可能性が高い。

ポジティブ・フィードバックはいずれ破綻するものであるし、国債バブルが破綻する前に手を打った方が被害の拡大が食い止められることも確かだと思うのだが、痛みを伴う判断だけに不人気内閣にはハードルの高い話であろう。


(参照)
円-ドル為替レートと1984年を基準とした対ドルの相対的な購買力、及び過去数年分のEIU社による東京の生活費指数(ニューヨークを100とした場合の東京の相対的生活費)をプロットしたものを以下に再掲する。

日本の低インフレ・デフレ期間中に、じわじわと内外価格差が解消され、購買力平価状態に回帰していることが分かる。


http://d.hatena.ne.jp/abz2010/20101207/1291719204