日本も「ライフスタイルとしての生活保護需給」を許さないことにするらしい
以前に「英国は「働いたら負けかなと思っている」人々をこれ以上許さないことにしたようです」というエントリーで英国が生活保護受給者に対する圧力を高めていこうとしているとのエントリーを書いたが、日本でも同じような動きがあるらしい。
英国ではオズボーン財務相がインタビューに答えて、「英国の社会保障は肥大化して抑制が効かなくなっており、"Lifestyle Choice"として働かずに福祉で暮らす人の存在を許している」とし、「働かずに福祉で生活していくのを"Lifestyle Choice"の一つと考えている人間にとって、その選択は終わりに近づいている。」と指摘。働くことに対するインセンティブをより強くした社会保障制度を再構築することによって40億ポンドのコストカットを目指すと話していた。
今回日本で議論されようとしている案も
- 稼働可能層(16〜65歳)に対し期間を切って集中的・強力に就労自立を促し、就労できるまでの間は、ボランティアや軽作業を義務づける
- ボランティアへの参加回数、態度、欠席率などをみて3年または5年ごとに、受給の可否を判定する
- 医療扶助に対する自己負担の導入
- 稼働能力を判定する第三者機関の設置
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2011-02-07/2011020702_02_1.html
というもので、英国の案と方向性は同じである。
言うまでもなく国家としてはセーフティネットは必要不可欠であり、又、セーフティネットがある事によって社会の安心感・安定感が向上し、結果として経済にも好影響を与えると考られるが、その水準としては今回の改正案が示すとおり
「いざと言うときは政府が指定した軽労働を行いつつ就労自立へ努力することによって最低限の生活が保障される」
ということで十分(注)であり
「働かなくても一旦生活保護を受けられれば何もしなくても最低賃金を上回るお金を受け取りつづけることが出来る」
という設定は、"Lifestyle Choice"としての生活保護の需給が制度上可能となるような水準・制度であり、過剰であろう。
「生存権を保障した憲法25条に反する」という意見もあるようだが、別に憲法はライフスタイルとしての生活保護需給を保障している訳ではない(はず) 。
日本は欧米と比べて確かにセーフティネットが手薄な面があり、拡充すべき点は多々あるかもしれないが、生活保護についての現制度の「穴」を過剰に擁護することは長期的に見てセーフティネットへの社会の理解と拡充にはつながらないだろう。
生活保護を受給することは権利であり、揶揄されることではないが、過剰な水準を要求する一部の人々や、この制度にフリーライドしようとするごく一部の人々の存在は定量的には無視できる程度であったとしても正当な生活保護に対するいわれの無い批判となり、その本来目的としていたセーフティネットとしてのの役割に対する障害にもなりかねない。
既得権益に切り込む話であり実現には多くの障害があるだろうが、方向性としては正しい政策と思われるので、腰砕けにならず是非がんばって欲しいものである。
(注)
もちろん物理的な諸事情により軽労働も不可能な場合には救済案が必要であるが、その様な事はいうまでも無く盛り込まれるであろう。