リフレ政策+ワルラスの法則+貨幣数量説 = スタグフレーション?

先日書いたワルラスの法則に関する記事は、マニアックなテーマと素人の考察、そしていつものように長すぎる文章という3重苦を乗り越えて意外なほど読んでいただけたようなので、長くなりすぎて前回のエントリーから削った部分を書いてみたい。(削っても長すぎだったわけだが、、)


飯田先生の説明を元にワルラスの法則を図示すると以下のような感じになるはずである。


[:W500]


資産市場の超過供給については個人的には疑問に思う点(注)があるのだが、ここでは消費財と同じと考える。


この図では消費財と資産にそれぞれ10,000の超過供給が発生しているので、トータルでの貨幣の超過需要は40,000となる。 では貨幣の供給を40,000増やすとどうなるだろうか?


まず一つの可能性としては飯田先生もコメントされていたように流動性の罠に陥り、貨幣が退蔵されてしまうというケースが存在するだろう。 ちなみ貨幣の超過需要はある一定期間を考えた時にその期間内にストックをいくら増やしたいかという需要とも考えられるので、この場合貨幣の供給を増やした分だけストック(退蔵)が増えるだけで、この図にはあらわれないことになる(多分)。


では、退蔵されずに使用された場合は以下に示すように消費財・耐久財の超過供給を埋めることができるだろうか?

[:W500]


Yes and No. その可能性はある。 が、必然ではないだろう。


例えば貨幣数量説(の一説)では貨幣の供給が増えれば長期的にはその分だけ物価が上昇するとなっている。そうなると貨幣の供給を増やした場合、以下のようになる可能性がでてくる。

[:W500]


このケースの場合、需給バランスは改善されず、相対価値(=物価)だけが変化する。 要はスタグフレーションになるわけである。


リフレ派は貨幣の供給を増やせばインフレ率が上がる根拠に貨幣数量説を、貨幣の供給を増やせば需給が改善する根拠にワルラスの法則をあげることがあるが、この二つを単純に足し合わせればスタグフレーションになる可能性も否定できないはずである。(もちろんこれは必然ではない。ただ、需給ギャップが存在するからといって供給した貨幣がそのギャップを埋めるのに向かうかどうかも又必然ではないということ。)


又、消費財と資産の相対価値が同じだけ上がる保証も無い。 上念氏が紹介している岩田教授の「デフレ脱却プロセス」によるとリフレ政策を実施すれば最初に資産へと資金が流れるとのことなので、以下のようなパターンもありうる。


[:W500]


この場合もやはり消費財における超過供給は解消されない。消費財を生産している人間の賃金はそれほど上がらないだろうが資産価格は大きく上がるので資産を持っている人間は相対的に裕福になり、それ以外の人間は家を持つのも難しくなる。 

しかも(資産価格上昇率>物価上昇率)という局面では資産価格の上昇にポジティブフィードバックが働き、ますます資産価格だけが上昇していく可能性もある。 バブルの誕生である。


筆者が以前「リフレ政策で日本は破綻するのか?」で考察したリフレ政策を実際に行うと何が起こりうるのか、という可能性は全てワルラスの法則と矛盾無く起こりうることになる(勿論成功する可能性も含めて)。 これはある意味当然であり、この場合、ワルラスの法則は何をすれば何が起きるかについては中立的であり、起こりうる経済の状態を特定の切り口でスケッチしているだけだからである。


結局のところ結論自体は前回と同じであり、

もちろん経済は複雑であり、かつ人間は完全に合理的でもないので前提条件次第では紙幣を刷ることによって需給関係が改善するケースは恐らく存在するであろう。しかしそれは「波及経路(なぜそのような結論になるのか)や定量予想(効果を数字で表すとどのくらいになるのか)」のレベルで検証する必要があることであり、飯田先生の記事にあるようにワルラスの法則のような「多くの前提を必要としない基礎的な理論」は検証に多くの前提条件を必要とする波及効果や定量予想には答えることができないのであるから、ワルラスの法則をもってリフレ政策の是非を問うことは木に縁りて魚を求めるようなものであるというのが筆者の考えである。

という事になる。


最後に誤解されがちなようなので念を押しておくが、筆者はリフレ政策には反対であるが、ワルラスの法則についてのエントリーも先日の韓国についてのエントリーも「リフレ政策は絶対に失敗する」と主張しているわけではない。 リフレ政策を支持する事実・理論としてリフレ派が提示しているものの一部が不十分、ないしこじつけに近いのではないかという批判をしているだけである。

ワルラスの法則から貨幣の供給が必要なのは明らかだ、という主張にはワルラスの法則の性質を考えるとそのような主張は成り立たないのではないか?という指摘を、韓国が金融緩和でウォン安を実現して経済絶好調だから見習え、という主張にはそもそもウォンの急落は韓国が望んで起こしたものでは無いし、韓国の実例を見る限り通貨安による経済の拡大過程が必ずしも望ましいものになるとは限らない、という指摘をしているだけである。

以前にも書いたがリフレ政策については上手くいく可能性もゼロではないと思っているし、上手くいく場合に起こりうる筋道についてもイメージはあるが、失敗する可能性、失敗したときの影響を含めて考えればやらないほうが良いだろうという判断をしているだけである。

こうしたリスク評価による判断は各個人の価値観による部分も大きいので、リフレ政策を推進すべきという判断を他の人がすること自体は否定しないが、その推進に際しては単純化しすぎた理論や陰謀論を交えたプロパガンダではなく、しっかりとした理論・事実でもってコンセンサスを形成すべきだと思うので、筆者が見てもおかしいのではないかと思う点にはなんらかの批判をしておきたいというだけである。


(注)
資産市場の超過供給は新築マンションや建売住宅のような特殊な形態以外では存在しないのではないだろうか? 売り手と買い手が合意しないとそもそも売買が成り立たず、一方で消費されるものでもないので売れずに手元に残ったからといって在庫になるわけでもない気がする。 

又、逆に考えれば売れずに残った資産が在庫なら、使わずに残った貨幣も在庫になるんじゃないだろうか? そう考えれば全ての市場に超過供給?が存在していることになり、問題は交換比率(価格)が調整されていない(=ワルラスの一般均衡ではない)ということに集約され、貨幣の超過需要という切り口自体なくなってしまうような気もする。 どうなんだろうか??