なぜ移民の流入は住民の相互信頼感をなくすのか?

移民の是非について書いた記事は多いが、賛成派、反対派いずれも感情論や原則論が前面にでている場合が多く、「何が起きるか」についてニュートラルな視点から考察した記事は私の知る限りごく稀である。

そうした稀な記事の中でも移民の問題について考えるときに知っておくべき急所をまとめているのが、What_a_dude氏の以下のエントリーであり、筆者の中での移民問題に関する最重要エントリー。 移民問題に興味がある方は是非読んでみて欲しい。(但し日本という特殊なガラパゴス国家でどこまで海外の実例・研究が有効かどうかは個人的には若干疑義があるのだが、)

「移民がなんだか話題ですね−移民が移住先の住民に与える影響に関する研究」


移民が増えるの雇用がなくなる!といういつものアレなんですけど。
一応レビューしておこうかと。


一応結論から書いておくと
・移民の雇用への影響は限定的で、経済的な成長をもたらしうる
・移民は犯罪の増加とは関係ない
・人種の多様性は集団の相互信頼感を、様々なレベルで失わせる
と言ったところでしょうか、


(以下多数の関連する研究論文の紹介有)
http://d.hatena.ne.jp/what_a_dude/20101130/p1


取り上げられている研究論文・データは非常に興味深いものばかりなのだが、その中で筆者が興味を引かれたのは「民族的同質性(Ethnic homogeneity)と他人をとても信用する人の割合の関係」についての研究で、その研究結果によれば人種の多様性が増して民族的同質性が減退すると、異なる人種間だけでなく同人種や隣人に対する信頼感も低下するらしい。


これを受けてWhat_a_dude氏は

お分かりですか。一枚目を見ただけなら、なるほど、多様性が増すと他人種に対する他者性を重視するようになるんだな、と読めますが、そこでは実は人種関係ない隣人、同人種に対する信頼感も低下しているのです。多様性がもたらすのはグループ間の対立ではなく個人の孤独感であり、アノミーなんだ、というのがパットナムの結論なのですが、非常に悲しくないですか?多様な人間がいることによって不安を感じ、それを煽る人々がもたらすのは同族間の対立、と言うのはオーバーディスカッションでしょうが、ウヨサヨ罵倒合戦を見ていると納得する部分もあります。必要なのはどう考えても相互理解なのにお互いの脅威を喧伝することしか出来ないのは残念でなりませんな。

と結ばれているが、筆者はすこし違うことを連想した。


ここで唐突ではあるが都合上ゲーム理論の話に飛ぶ。 


ゲームの理論で最も有名なのは「囚人のジレンマ」と呼ばれるゲームであろう。詳しくはこちらを参照して欲しいが、要はこのゲームでは別々に取調べを受けている二人の囚人が協力的(黙秘)か非協力的(裏切り)のいずれかの選択をし、その組み合わせによって以下の刑を受けることになる。

(黙秘・黙秘):2人とも1年間の服役
(黙秘・裏切):裏切り者は釈放、黙秘した人間は10年間の服役 
(裏切・裏切):2人とも5年間の服役

この場合、二人を併せて考えれば最もよい選択は(黙秘・黙秘)である。しかし一方の囚人にのみ着目した場合、相手が黙秘した場合も裏切った場合も自分は裏切った方がよい結果になる。

よって両者ともこの事実に気付けば、導かれる結果は(裏切・裏切)となり、望ましいケース(黙秘・黙秘)と比べて二人とも4年ずつ多く服役することになる(参照:ナッシュ均衡)。


但し、同様のゲームを回数を決めずに繰り返し行う場合は、すこし様相が違ってくる。両者とも(非協力・非協力)よりは(協力・協力)の方が得られるものは多いわけであるから、何とかしてそちらの方向に持っていく努力がなされることになる。

ここで有効と考えられているのが「しっぺ返し戦略」である。この戦略ではまず最初は協力的な態度ではじめ、相手も協力的な態度であれば、自身も協力的な態度を継続、相手が非協力的な態度でくれば、自身も非協力的な態度に改め、相手が協力的な態度に変更するまで非協力的な態度を続けるというものである。 「お前がその気ならこっちにも考えがある」という感じであろうか?

ところがある研究によれば、この「しっぺ返し戦略」が浸透してくれば、「寛容なしっぺ返し戦略」というべきものがより効果的になるらしい。 この戦略は、相手が非協力的な態度を取ってきたときも一定割合でこちらは協力的な態度を取るというものであり、相手に考え直す機会を与えるとともに、相手の態度を間違って非協力的ととらえた場合に対する冗長性を備えていることになるらしい。

そして更に面白いことに、この「寛容なしっぺ返し戦略」が浸透してくれば、やがて「常に協力戦略」がより効果的になるというのだ。つまり多くの人が「可能な限り相手と協力的であろう」とする社会では目の前の相手との駆け引きに労力を費やさずとも、常に協力的な態度を維持しつつその分の労力を自身を磨くことに使えば社会は最適な状態に近づき、その構成員も最大限のメリットを受けられるということになるわけである。


ここまでならめでたしめでたしという話になるのだが、この話には続きがあり、この「常に協力戦略」が浸透した世界は理想的ではあるが安定性に欠ける。 というのもこの世界に「常に非協力戦略」をもった相手が入り込んだ場合、その人間の一人勝ちになる為、「常に協力戦略」は有効性を失い、再び「しっぺ返し戦略」に戻らざる得なくなるからである。


つまり筆者が連想したのは、移民が流入することによって各住民が戦略を再考する機会が増えれば、社界全体としての戦略分布もより駆け引き重視の非協力的な方向へと変わらざる得なくなる。信頼感とは相手が協力戦略をとるであろうという期待感であるから、社界全体の戦略分布がその方向に変異するということは移民-住民間だけでなく、住民-住民間の信頼感も損なれるということになるということである。

これは移民が非協力的な場合は勿論であるが、協力的かどうか不明な場合でも恐らくは同じことが起こりうる。 互いが疑心暗鬼であればとりあえず「しっぺ返し戦略」からスタートするのが一つの解ではあるが、「しっぺ返し戦略」では互いの誤解があった場合、(非協力・非協力)へと落ち込んでしまう可能性があるからである。(又、このストーリーは移民に限る話ではない。「協力戦略」をとらない人間に対する社会的な圧力(制裁)が弱まれば、内部から「非協力戦略」を使う人間が出て、社会全体を非協力的に変えることもありうるし、実際に日本もそういう方向へ進んでいるように見えることも多い)


よってこの連想から導かれる結論も、移民の影響について間違った情報を基に疑心暗鬼になるのではなく、より客観的にその効果を把握することが、移民のメリットを最大化し、デメリットを最小化するということにつながるというものであり、What_a_dude氏の結びである「必要なのはどう考えても相互理解なのにお互いの脅威を喧伝することしか出来ないのは残念でなりませんな。」という事には筆者も全面的に賛成である。 


(追記)
ただ、最後にすこし違う観点から筆者の移民に対する私見を付け加えておくと、特殊な業種の人間はともかく、経団連が主張しているような大規模な移民の自由化を短期的に行うことには反対である。


国を会社と考えるなら国民は株主だが、企業や移民はお客さんであり、お客さんを粗末に扱うのはもってのほかであるが一方で商売であるからお客さんとの関係は常に"Give and Take"でなければならない。


よって移民の場合でも移民を受け入れることによって総合的なメリットがあると経営陣(政府)が考えるなら株主総会(選挙)を経て受け入れを決めればよいが、株主利益にならない、または株主がそう欲しないなら受け入れるべきではない。(移民を受け入れることが企業のメリットになるだけでは不十分。 それがトータルで考えて国民のメリットになるというコンセンサスが必要)


つまり筆者の立場は移民については是々非々(移民の職種等による)ながら、国民の間でのコンセンサス無しで移民政策(TPP?)を進めることには反対という事になる。


又、お客さんの意見に真摯に耳を傾けるのは商売の基本であるが、これは株主の意見とは違い会社の利益につながる場合のみお客さんの意見を取り入れればよいというだけの話で、会社がお客さんの意見に従わねばならないといったものでは無いはずである。よってお客さんの意見に株主の意見と同じ重みを持たせるような外国人参政権にも反対である。


ちなみに上記は人権の問題とは関係ないはずである。基本的に全ての人間はどこかの国の国民であるので、会社は違えど株主としての権利も有している。ユーロ圏のように外国人参政権を部分的に認めている国々は、株主がその利益を認めて特定の会社との提携(合併?)を行ったというだけであり、別に株主の権利を無制限にお客さんに与えているわけではない。提携先の企業の株主にだけ一定の権利を与えているだけである。


まあ会社のステークホルダーは株主だけではないとの意見もあるだろうが、そういった主張は広くコンセンサスを形成して初めて意味を持つもので、その主張が「正しい」と一部の人間が信じているだけでは意味がない。
広くコンセンサスが形成されれば経営陣も株主も株主以外のステークホルダーをより重視するようになり、状況は変わるかもしれないが、国家、或いは移民というものを考える際のコンセンサスは国家は国民の効用の最大化を目的とするというものであり、鳩山首相のような「日本は日本人だけのものでは無い」という思想は少数派であろう。